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津波を忘れない
2020年03月12日(木)
9年前に起きたことを忘れはしない。
9回目の3月11日に、祈りを捧げた。
津波被害と原発事故を風化させない。
9回目の3月11日に、祈りを捧げた。
津波被害と原発事故を風化させない。
9年前のあの日の、あの時間、を回想した。
私は医師会の地区会が終わり談笑していた。
患者さんの家で、陸に迫る津波をリアルタイムで観ていた。
自衛隊のヘリからの映像だろうが、あああ、と叫んでいた。
当然、みんな高台かどこかに避難しているものと思った。
しかし批難せずに犠牲になった人が2万人もいたなんて。
逃げたら、助かっていた。
結果論であるし、これを言っても亡くなった人は帰れない。
しかしあの津波の教訓を風化させてはいけない。
自然は人間の想像をはるかに超えている。
防災とは「逃げる」ことである。
これは、その後、何度も防災の講演で私が語ったことだ。
救援物質を花巻空港に送り、そこでレンタカーを借りて
当院の港谷氏らと共に、被災3県を回った頃を思い出す。
思ったことがすぐにできたあの頃は、若かった。
今だったら、どんな行動を取ったのだろうか。
岩手、宮城、福島。
沿岸を全て回った。
本当にいろんなことがあった。
それを集約した提言をまとめて、7月1日に本を出した。
「共震ドクター」という本に、いろんな提言を書いた。→こちら
・高台移転は必要ないこと
・仮設住宅での孤独死防止対策
・二重ローン解消のために大量の弁護士を投入、など。
阪神大震災を経験したので、その後に起きることが透視できた。
果たして9年経った今、本に書いたとおりになっていて、悲しい。
その後、故・黒田裕子氏氏の導きがあり、気仙沼の面瀬中学の
仮設住宅を訪れて、住民やボランテイアといろんな対話をした。
たぶんこのブログを読んで頂いている、気仙沼の皆様には
「今も皆様の優しさ忘れていませんよ」と申し上げたい。
その年の秋には「無常素描」という記録映画が公開された。→こちら
私にくっついてきた映画監督が撮ったもので、世界が観た。
その後、沢山の本が売れたが、すべての印税を
福島県相馬市の震災孤児基金に寄付してきた。
2年前からは、みちのく未来基金に寄付した。
本で金を貰ってはいけない、と言い聞かせた。
災害は忘れた頃にやってくる。
これは歴史の教訓だ。
東日本大震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈り申し上げる。
PS)
昨日、高校の同級生の訃報が、また届いた。
今年に入り2人目の悲しい知らせに言葉が無い。
今日、自分が生きていることに感謝したい。
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この記事へのコメント
ミヒャエル.エンデの「ネバー エンデイングストーリー」も「戦わずに逃げよう」と言うお話です。
ヒットラーに迫害されたユダヤ人も、いち早くアメリカに逃げた人達は、助かりました。
ヒットラーのお婆さんが、オーストリアで、ユダヤ人のお金持ちに女中に入ってレイプされたと言うので、ヒットラーは執念深くユダヤ人を全滅しようとしました。「え!それでは、ヒットラーにもユダヤ人の血がながれたいるんじゃないの?」と思いますけど、それはないそうです。
とにかくヒットラーのユダヤ人排斥思想は、誇大妄想と言うか被害妄想だったのです。
最近日本でも、高校中退した女性が弁護士や司法書士になったりしています。高校で虐められたら、逃げたらいいんです。
東大出るだけが人生では無く「押してダメなら引いて見な」という人生観が必要なのでしょう。
Posted by にゃんにゃん at 2020年03月12日 02:31 | 返信
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