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ウイルスとの共生を「恐れない勇気」 アドラー心理学でコロナ騒動を読み解く

2020年03月13日(金)

アドラー心理学でコロナ騒動を読み解く。
ウイルスとの共生を「恐れない勇気」だ。
私は、そろそろ潮目が変わる予感がする。



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「共生」を恐れない「勇気」   アドラー心理学でコロナ騒動を読み解く  長尾和宏
 
 
「パラサイト・半地下の家族」アカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督の2006年公開の怪獣映画「グエムル ー漢江の怪物―」を機会があればご覧いただきたい。謎のウイルスに感染したとみられる人物を主人公にして社会の動揺が見事に描かれている。実はグエムルとは存在しないウイルスである。新型コロナウイルスは実在ウイルスであるが、社会の過剰反応はウイルスではなく人間が起こすことは明らかだ。
 
現在、多くの日本人が潜在的に抱いている心理的な恐怖は、ウイルスではなく人間の心が作り出している。つまりウイルスが問題なのではなく、それを恐れる人間側の課題のほうがずっと大きいと考える。長引くコロナショックからの再生は不安や恐怖とどう付き合うのかという命題である。多くの人は科学の力でウイルスが克服されると思っているがそうではない。なぜならウイルスは20憶年前に誕生し、人類は20万年前である。ウイルスを100歳と仮定すると人間は、生後1ケ月の赤子である。地球の歴史を俯瞰すると我々の祖先は100歳のウイルスであり、生後1ケ月の赤子が勝てるわけがない。そう考えるとウイルスとどう共存するのか心理学的な解決法の方が現実的であろう。
 
2016年はアドラーブームであった。フロイト、ユングと並んで三大精神科医と称されるアドラーが遅ればせながらに日本でもブームになった。岸見一郎氏の「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」はベストセラーになった。アドラー心理学の特徴を私なりに言うならば第一に性格分類をしないことだ。アドラーは「誰でも3日で幸せになれる」と公言した。第二に極めて実践的な心理学である。第三に課題の分離を重視して、受け止める人次第で人生は変わる、つまり自力本願を説いた。
 
長引くコロナ騒動を克服するために今こそ、アドラー心理学が役にたつのではないだろうか。それは「恐れない勇気」である。騒がない勇気、でもいい。恐れるのも、騒ぐのもウイルスではない。人間の脳である。
 
 
 
1 ウイルス恐怖は対人関係そのもの
 
 ウイルスは生物ではなく物質である。生きた人間の細胞に入り込んで細胞の中で増殖して外に出る。新型コロナは人から人に感染する。ウイルスの住処である人間が死ぬことはウイルスにとって極めて不都合である。自分も死ぬ(不活化)するからである。そんな間抜けな行状を呈した代表的ウイルスは天然痘ウイルスである。だから人間の手で撲滅させられたが例外である。多くのウイルスは、住処である人間を殺さずに利用する。賢いのだ。
 
 濃厚接触、接触感染、飛沫感染、集団感染、院内感染・・・。これらの怖い言葉は1人の人間だけでは絶対に成立しない。人が一人しかいない島では感染症はない。必ず2人の人間がいないと「感染」という概念は成立しない。だからマスクをしたり手洗いをしたり2m以上の距離をあけるわけだが、すべて「対人関係」と言い換えることができる。アドラーは「人間の悩みはすべて対人関係に起因する」と述べたが、まさにウイルスとの関係性も対人関係という言葉に言い換えることができる。
 
 
2 優越感と劣等感
 
 アドラーは、優越感と劣等感が悩みの根源であり、両者は同等であると述べた。これをコロナ騒動に置き換えてみると、感染者への「差別」や「偏見」のことである。「感染者」はそれが判明した瞬間から「差別されるべき人間」に変わり、周囲は見下す。報道の論理はその典型だ。感染した患者や場所をまるで「犯罪者」と「犯行現場」のように映し出して見世物にする。それを観た人は「自分は犯罪者ではない」ことにどこかで安堵し自覚せず優越感を抱いている。
 
だから「感染の疑いがある人」が近よっただけで極端に忌み嫌う。電車の中でクシャミをしたたけで殴って当然と考える人がいる。警官に逮捕される国もある。感染者が出た会社や社会は大騒ぎになるが、すべて優越感と劣等感のなせる業である。多くの人は、自分が感染するのではないかという不安におののくが、それはウイルスではなく、無意識の優越感が根底にある。しかし残念ながら無自覚である。感染者は「ご迷惑をおかけしました」と劣等感にさいなまれながら謝罪をする世の中に私たちは生きている。
 
 
3 課題の分離
  
 アドラーは悩みの解決には課題の分離が大切であると説いている。果たしてコロナ騒動では課題の分離はどうだろう。
 
 「希望する人すべてにPCR検査を」と毎日、テレビで繰り返す専門家や有識者は、誰のために言っているのだろうか。全例検査は、自分の課題?社会の課題?自分の優越感だけから発言しているように聞こえるコメンテーターがいる。
一方、自分の課題ではなく社会の課題であると考える人は医療崩壊を懸念し「重症者に限定すべき」と主張し、両者の主張は平行線にある。課題の分離ができている人同士であればおおいに議論すべきであるが、土台が違うひと同士がいくら議論しても喧嘩になるだけである。
 
 大型クルーズ船を2週間停泊させた結果、700人もの集団感染を起こした経過を検証してみよう。感染者は下船させて、非感染者は下船させない、という考えには「船内=安全地帯」という思い込みがあった。一方、「隔離」という考えの根底には、感染者を犯罪者として差別する思想回路がある。「隔離」は社会の課題なので、個人の尊厳を損なうという側面にもっと想いを馳せるべきであった。しかしそんな説明も感染対策もなかった。もし課題の分離ができていたらな、院内感染防止にもう少しは想像力が働いただろうか。
 
 
4 課題の分離ができる人を「リーダー」と呼ぼう
 
 「学校を一斉休校する」という要請はあまりにも唐突であった。パニックになったリーダーが課題の分離を忘れてしまったのだろう。リーダーの課題とは「社会の平穏」と「自分の地位の確保」である。それ以前から続く公文書の改ざんや隠蔽なども課題の分離がまったくできない行動の象徴である。政治家や専門家や有識者はそれぞれに背負っている組織があり、いくつもの課題がある。しかし各自が課題の分離できていないので各人で見解が大きく食い違う。春の高校野球や東京五輪の開催を巡る議論でも同様なことが起きた。
 
 和歌山県知事が称賛されているのは、独自のリーダーシップが奏功したからであろう。幸い、封じ込めに成功したが、仮に失敗しても厳しい非難を浴びることはないだろうと思いながらテレビを観ていた。課題の分離ができ、ありのままを受け入れて、それを実行する「勇気」があり、まさに「アドラー的な政治家やなあ」と思った。課題の分離を行い、「嫌われる勇気」を持って発言している有識者もいるので、そこはしっかり見極めたい。
  課題の分離ができる人を「リーダー」と呼びたい。
 
 
5 ありのままを受け入れる
 
 アドラーは、「ありのままを受け入れること」を説いた。その思想をコロナ騒動に応用するならば、「無症状者は自宅安静で、かかりつけ医が経過観察」となる。しかし課題の分離ができていない人は「世間に放置していいのか?ウイルスをばらまかないのか?」と憤る。その人は自分がそうなった時も同じことを言うのだろうか。どこかに優越感がないだろうか。
 
 陽性者が出た病院、介護施設、屋形船もみんな同じである。その中で、大阪のあるライブハウスの経営者は偉かった。集団感染が起きて白い眼で見られている事実を淡々と受け止めながら、「これからもっと清掃に力を入れる」と発言した。あれどのバッシングを受けた後の行動にその人の本質がでる。文句を言う人、黙って耐える人、落ち込んで廃業する人など様々だろう。その経営者は、ヘンな劣等感もなく気負いもなく、涼しい顔で「頑張ります」と前向きな発言をしていた。アドラー的な対応だと思った。
 
 
6 「勇気づけ」
 
 すでに世界中の専門家や政治家が「5~7割の人が新型コロナウイルスに感染する」と予測している。市中感染対策の基本は感染者数のピークの平坦化と後方移動であり、総感染者数の抑制ではない。ピークを下げてズラしことで医療・介護崩壊を防げるのだ。どうせ7割の人が感染するのだから。しかしテレビの議論を聞いていると「感染者数のピークの平坦化と後方移動」という課題と「総感染者数の抑制」という課題の分離ができていない人がたくさんいる。
 
 自分は「かかりたくないけどもいつか必ずかかる」という前提で話している人もいれば、「自分だけは感染したくない。医療や政治で総感染者数は減らせる」という間違った前提でトンチンカンな持論を繰り広げる人もいる。後者は前者を批難して見事な「勇気くじき」をしている。アドラー先生が言っているように本来、人間は共同体意識を持っているので、有識者は是非とも「勇気づけ」を意識して、智慧を寄せ合って欲しい。「勇気くじき」は無用な恐怖を増幅させるだけである。
 
 
7 「共生」を恐れない勇気
 
 これからもコロナとの付き合いは続く。既存のウイルスとは性格がちょっと違うように感じるが、上手に「共存」する道を探ったほうが賢明ではないか。諸外国はウイルスを邪悪な敵とみなして徹底的に攻撃しているが、日本は少し落ち着いて日本ならではの発想の転換で対応してもいいと思う。「和」や「仏教」という下地があるので、アドラー的思考ができやすい国だと思う。医療崩壊と介護崩壊を避けて無用に死亡者を増やさずみんなが幸せになるウイルス対策があると思う。それは上手な「共生」だと思う。認知症と同じだ。アドラーを学べば、「共生を恐れない勇気」が湧いてくる。
 
 ピンチをチャンスと思うこともその人の心次第である。ピンチもチャンスも人間の頭が生み出している。過去は変えられないが、未来は簡単に変えられる。今回のコロナ騒動をアドラー心理学で考えてみたらいろんなものが見えてくる。自粛疲れの今こそ、人混みを避けて、公園や河原をしっかり歩いてみよう。ウイルスは紫外線にとても弱いのだ。こまめに歩けば「セロトニン」という幸せホルモンが出て、アドラー心理学の理解が進み、みんなが幸せになるのではないか。
 

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この記事へのコメント

朝、目覚めて
見えている景色は何も変わらない
なのに…
私の周りには見えないものがいっぱいだ
テレビをつけれな
コロナウイルスだぁ〜と朝から晩まで叫んでる

目が痒い…
花粉症の方がヤバい
コロナウイルスだと疑われるか?

恐れ…
人間が一番怖い

自滅しないように
今日も元気でがんばろう

Posted by 宮ちゃん at 2020年03月14日 07:44 | 返信

私も以前のコメントで「心理の問題ではないか」と指摘させていただきましたが、ここまで深く掘り下げていただいて、目から鱗がおちるほどです。さすがです。
優越感と劣等感
一時期欧米人はアジア人というだけでバイ菌扱いして差別した者もいたことが話題になった。
今となっては接触習慣の多い欧米ではアジアを遥かに上回るペースで急速に感染拡大している。
課題の分離
「著名で声が大きい有識者=正しい事を言っている」ではないというのは、認知症治療薬の一連の対応だけでも明らか。有識者にはウラ関連組織があります。皆さん自分の頭で考えましょう。
ありのままを受け入れる
大阪のライブハウスの前向き対応は、今後、同じ被害にあった高齢者施設でも見習われるといいですね。
勇気つけ
自分だけは感染しないという驕りと過信がある人は感染してしまった人を邪悪だと排除しますね。
共生を恐れない
最近頻発している異常気象による災害と同じで、人間がコントロールできない自然現象なので、いかに
人間が自然と共生していくかでしょうね。現代人はそれを忘れてる人が多い気がします。

ウイルス感染だけではなく、認知症でもまったく同じことが言えるのではないでしょうか?
本当の意味での根治治療薬は出ておらず、病気の根絶・撲滅は困難で、共生するしかない。
医療全般にいえることで、非常に重く深いテーマ。根絶・撲滅ありきの思考が仇になるのかも。

Posted by マッドネス at 2020年03月14日 11:28 | 返信

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