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コロナの「三密」と空海の「三密」 そしてアドラーの「勇気」

2020年03月28日(土)

政府は、「三密」を言っている。
空海は、「三密」を説いていた。
そしてアドラーは勇気を説いた。
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政府広報の「三密」とは

・「密閉」空間に
・人が「密集」して
・人が「密接」に交わる。

この3つが揃った時にコロナに感染しやすい、という警告だ。

まさにその通り、だと思う。
「三密」はいいネーミング。

三密は人間活動そのもので
人間とは、人と人との間だ。

この3つが揃わなければいい。

1つでも、2つでも、減らすことで、リスクヘッジができる。
3つとも実行すると「孤独」になるので耐えられる人が少ない。


一方、私が最も尊敬する空海さんも、「三密」を説いている。
私は空海さんが生まれた善通寺に生まれたというご縁もある。

以下、金乘院のサイト(→こちら)からの引用。

真言密教の修行を「三密」の行といい、修行が目指すものを「加持」といいます。 この「三密」についてですが、仏教では、生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています。顕教では、人間のこれら三つのはたらきは、煩悩に覆われ汚れているということで三業(ごう)と呼んでいます。ところが、法身である大日如来を宇宙の根源的な生命力とみなし、森羅万象を大日如来の現れと説く密教では、人間の三つのはたらきも大日如来の現れであるから、本質的には人間も大日如来と同じであるとしています。ただ、大日如来のはたらきは通常の人間の思考では計り知れないということから、密なるものという意味で「三密」と呼んでいます。

また、「加持」については『即身成仏義』の中で、次のように記されています。「加持とは如来の大悲と衆生の信心とをあらわす。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく。」つまり、「加持」とは、人々の苦を憐れみ救おうとする大日如来の慈悲と、人々の信心とを表しており、あたかも太陽の光のような仏の力が、人々の心の水に映じ現れるのを「加」といい、 修行者の心の水が、その仏の日を感じ取ることを「持」といっています。

このことから「三密加持」とは、自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることであり、具体的には、手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、仏様と一体になる努力をしていくことをいいます。 弘法大師は、 この修行によって授かる功徳の力と、大日如来の加護の力(加持力)が同時にはたらいて互いに応じ合う時、即身成仏が可能になると説いています。
 

■あるがままに自らの心を知る--------如実知自心

 
弘法大師は、悟りとは何かという点についても説き明かしています。経典である「大日経」の中には「云何(いかん)が菩提とならば、いわく、実の如く自心を知るなり」と記されており、「悟りとは何であるかというならば、あるがままに自分の心を知ることである(語訳)」と説いています。 私たちは、悟りといえば、 ごく限られた者だけが到達することのできる遠い彼方を想像しがちですが、弘法大師は、自らの心をあるがままに知ることであると教えているのです。
人は、ともすると弱者を思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、耐え忍ぶことを知らず、怠惰に過ごし、その結果として悩み、迷っています。弘法大師は、自らの心に目を向け、汚れた心を知り、省みることが大切であるといっているのです。 これが、真言密教の「如実知自心」という教えです。因みに「如」という字は大日如来の「如」と同じ意味であり、「如来」とは、「あるがままに、あるが如く、 世の中を見る仏の世界から来る」仏様という意味です。
 

☆ ☆ ☆

 
弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています。 また私たちが眼にしている現実の世界は、法身である大日如来の現れであるから、現実はそのまま絶対であるとも説いています。つまり、仏も人間も根源的なものは同じであり分かちがたいものであるから、大日如来の慈悲を固く信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知ることができると教えています。


----------------------

この教えは実に含蓄が深い。

「身」とは 自ら健康でいる自己管理。
「口」とは、まさに「会話エチケット」
「意」とは 、正しい教え、であろう。
 
これが密教における「三密」である。

ちなみに、大日如来から見れば、ウイルスも森羅万象のひとつ。
すなわち「ウイルスとの共存」を示唆している、と私は考える。

そして「如来」(あるがまま)という思想は、ずっと後、
欧州で生まれた「アドラー心理学」に見事に通じている。

アドラーは、
「人間の悩みはすべて対人関係」という極論を打ち出した。

それは密教の「三密」そのものだが、
孤独に耐える(喜ぶ?)勇気が要る。

「嫌われる勇気」は「幸せになる勇気」と表裏一体。
「ウイルスと共存する勇気」で幸せになるのだ。

その「勇気」を持てる人は、コロナで死なない。
死んでもそのようには思わない。

アドラーは、個人のこ幸福と社会の幸福は両立すると説いた。
アドラーの説いた宇宙の全てにウイルスも含み、空海と同じ。

だから本来は、闘いではなく、付き合い。
撲滅ではなく、「共存」ないし「共生」。


コロナとの闘いは1年は続く可能性のある長いマラソン。
山中伸弥教授の新型コロナウイルスのホームページだ。
https://www.covid19-yamanaka.com

新型コロナウイルスとの闘いを「短距離走ではなく、1年は続く可能性のある長いマラソン」。
「疲れたり油断して止まってしまうと、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じます。
一人一人が、それぞれの家庭や仕事の状況に応じたペースで走り続ける必要があります」と。


私のブログは、科学や文芸や宗教などのジャンルを気にせずに書いている。
山中教授はノーベル賞受賞者だが、私は一介の町医者なので自由に書ける。

コロナ騒動から学ぶことは、すでに山ほどある、と思う。

・人との距離感
・人との関係性
・メデイアの罪
・仕事の意味
・テレワーク
・人生の意味
・ストレスとは・・・

ストレスと受け取るのか、楽しみと受け取るのかは
アドラーが言う、「すべては自分の意味づけ次第」。

学校休校や首都閉鎖やPCR検査や強制入院などの議論は、
まさに「課題の分離」ができていないと、噛み合わない。

1年では収まらないだろう。
年単位、と覚悟すべきだ。

だから慌てずに足元を見つめる、いい機会だ。

長い人生、いろなことがある。当たり前だ。
コロナ騒動の中、新たな出会いもあるはず。

私もオッサンとしては暫くの間、大人しくするが、
町医者の役割は空海さんの教えを守り全うしたい。


PS)
空海さま、アドラーさま、
ありがとうございます!

読者の皆様、
ありがとうございます!















 

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

「三密」といえば空海。長尾先生の「言」ある、を心待ちにしていました!
瀬戸内部落の大師堂育ちの子どもとして、
耳で覚えた「オン アボキャ」から始まり「ハラバリタヤ ウン」に終わるマントラの意味が分かりませんでした。
中年に韓国の「僧舞」に接しても分からず、晩年にカトマンズの「僧舞」に接して初めて「身口意」の意味が感じられました。

空海がなぜ「ヨーガマントラ(瑜伽真言)宗」と名乗ったのか。
『ヨーガ・スートラ』冒頭の第一行も、なに?なに?なに?
空海も、「三密」が今キーワードになるなんて、奥の院でびっくりでしょう。

インドヨーガや中国気功から「三調」が羽ばたいてきましたが、「三密」そのものは、カトマンズの「僧舞」のなかに埋もれているように見えました。でも数年前の巨大山岳地震で、寺院ごと「僧舞」が埋もれてしまったかもしれません(消息がないのです)。

気功太極拳には、「僧舞」的要素が受け継がれているようにも見えます。
仮想敵の重心を崩しその攻撃を「無化する」護身的要素もあります。
ヨーガが「静的三密(静禅)」なら、気功太極拳は「動的三密(動禅)」とも言えないでしょうか。

今日の総理会見で、「ワクチン大開発」だの「経済の大V字回復」だの、「ウイルスに打ち勝った証としてのオリ」だの大法螺を吹いていましたが、小学生には何の説得力もありません。「三密」の自粛を求めるのはいいが、「ウイルスとの共存共生への途」の展望は見えません。
「医療崩壊した中国」「医療崩壊するアメリカ」。
「医療崩壊しない日本」。小学生諸君に教えを乞おう!

Posted by 鍵山いさお at 2020年03月28日 08:39 | 返信

「感染源」「感染拡大」「感染爆発」を阻むため、専門家会議が提唱した「三密」。
分かりやすいが、「ジム」駄目「ライブハウス」駄目「イベント」駄目に始まり、「飲食店」駄目「野外の宴」駄目まで、「自粛」と言う名の「妖怪」がまかりとおっている。
おのれが敵なのかあなたが敵なのか分からない。
「三密」を徹底しようとすれば、「通院」「通所」はもちろん「二人以上の集まり」を禁止しなければならない。

「短期決戦」はあり得ないし、ことごとく失敗してきた。
「長期戦」と言うことは、「年」を重ねていくということである。
「東京2021」は、ありえない!

「ここ1,2週間が瀬戸際」とか「土日外出するな」とか、「青年よ出歩くな」。
はたまた「5月連休まで休校だ」「夏休みまで」「年末まで」と、果てしない。

時間給、日給生活者、「自由業」者は、「息継ぎ」ができない。
そこのけそこのけ! 「・・・破れて三密あり」という事態にならないことを!
小学新1年生は、春夏秋冬登校なくとも来年4月には2年生に飛び級できる。

手印を結び真言を唱え「即身成仏」を念じる、空海の「三密」。
空海なら「パンデミックの地球」をいかに透ししたであろうか。

Posted by 鍵山いさお at 2020年04月01日 10:53 | 返信

 素晴らしき見識 シェアさせて頂きます

Posted by 匿名 at 2020年04月14日 08:27 | 返信

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