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ALS嘱託殺人 知人とALS医師の言葉

2020年08月17日(月)

ALS嘱託殺人事件の記事が大量に出ている。
僕が注目した記事を、2つほど紹介したい。
親友の談話とALS医師の談話が心に染みる。

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1)

「彼女がしたこと否定したくない」
嘱託殺人、被害者の知人→こちら



「何事も全部、自分で決めたい人だった」。事件で死亡した林優里さん=当時(51)=について、学生時代から交流を続けてきた友人はこう振り返る。

 病により身体の自由が徐々に奪われ始めても、自律した精神は変わらなかった。管を通して胃に直接栄養を送る胃瘻(いろう)を造設した後も、摂取するヨーグルトや野菜ジュースの種類を細かく指定。自宅で着るパジャマには天然素材を選んだ。

 「体に触れるものや摂取するものへのこだわりは、最後まで強かった。それは『生』へのこだわりだったんじゃないか。『どうせ死ぬんだから』という思いはなく、『生』と『死』の両方への気持ちが常にあった」

 だがその「こだわり」が、人生に自ら幕を下ろすという選択につながったのではないかと友人はみている。「病気に侵される身体をどうしても受け入れられず、自分の尊厳を守りたい気持ちが大きかった」。「安楽死」を望んだ女性に対する「弱い人だ」といった見方に対しても、「それは違う」と断言する。

 「彼女は強すぎたから、自分の意志を貫き通してしまった。普通の人なら『死にたい』と思っても殺害を依頼したりしないだろうが、死に方も自分で決めたかったんだろう」

 女性と最後に会ったのは亡くなる12日前。別れ際に頬と手をさするのがいつもの習慣で、「またね」と声をかけて帰った。いつもと変わらない様子だったが、「『これで友達に会えるのも最後なのか』とか、『大金を払って本当に死ねるのか』とか、いろいろと不安だったろう」と振り返る。当時、女性が殺害を依頼していたとは知らず、「どんな気持ちだったのか、と考えてしまう」。

 「死にたい」とは何度も聞いていたというが、「まさか本当に実行してしまうとは思わなかった」。その選択については、「よかったのかどうか、結論は出ないけれど、ただ彼女がしたことを否定したくないという気持ちだけ」と静かに話す。

 先月31日は女性の52回目の誕生日。毎年数人が集まり、プレゼントを贈って「ハッピーバースデー」を歌ったが、恒例となっていたその集まりはもう開かれることはない。8月上旬、自身が誕生日を迎えたとき、「彼女が年を重ねることはもうないんだ」と改めて思うと、涙があふれたという。

 「最期まで彼女らしかった」女性に対し、今は心の中でこう語りかけている。「あんた、こんな大変なことになってるよ…」


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2)
ALSの当事者でもある竹田主子医師は
8月14日の読売新聞で以下のように述べている。


「もし安楽死がご合法だったら、私も書類にサインしていたかもしれない」

「医師は知識で病気のことを考えるが、患者の心の揺れや生き方はわからない。
 医師の判断で死なせることがあってはならない」

「人間は強い時も弱い時もある。弱い方にブレないようにするのが医療の務めだ」



さすが、竹田先生だ。

実は、昨年、竹田先生にお会いしたし、講演もは拝聴。
今春開催予定だった僕が大会長の学会にもお誘いした。

このサイトでその時の講演を知れる。→こちら

ちなみに今年の在宅救急医学会は9月5日。
僕は座長をすることになっている。→こちら


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事件以来。沢山の報道がされているが、
上の2つが本質に迫っていると感じた。

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以下、先週の「まぐまぐの有料メルマガのQ&A」から抜粋。
「長尾和宏の痛くない死に方」→こちら



Q)
ALS嘱託殺人事件。
人間に「死ぬ権利」はないのでしょうか?
 
大学生です。死生学の勉強しています。
 
長尾先生がこのメルマガでも書かれていた、
京都ALS殺人事件の報道が、思ったより議論が高まらないのは、
立命館大学生存学研究所の以下の「声明」による影響も大きいかと思います。
私は、今回の事件を「相模原やまゆり園事件」とまったく同じかと言われると、
何かが決定的に違うように思います。
私の親戚にALSの人がいますが、この先、自発呼吸ができなくなったときは、
人工呼吸にしないでほしいとリビングウィルを作っています。
しかし、この「声明」によると、そうした「死ぬ権利」を声に出すことすら、
許されない空気を逆に感じてしまいます。
以下の声明文の、長尾先生の感想が知りたいです。
よろしくお願い申し上げます。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都市ALS患者嘱託殺人事件に対する緊急声明

2020年7月24日リメンバー 7.26 神戸アクション


私たちは、2016年7月26日未明に神奈川県相模原市の県立津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件をきっかけに翌月から活動を開始した、兵庫県内の障害者たちを中心とする市民グループである。私たちはこの事件の風化を許さず、事件後さらに強まる優生思想の洪水に抗議するために、街頭行動、デモ行進、プレスリリース、障害者虐待・暴行事件に際しての行政・裁判所・検察への働きかけ等に取り組んできた。
コロナ禍によって例年の大規模街頭デモの道が閉ざされたやまゆり園事件から4周忌の今月、私たちは7月19日午後、インターネットのライブ配信のかたちで追悼アクション「障害者を殺すな7.19 オンラインアクション ―― やまゆり園事件を忘れない」(注1)を催した。そのなかで、第二次世界大戦時にナチス・ドイツによって行われた障害者抹殺作戦(T4作戦)を振り返ったところ、参加者一同が確認したことは、現在の日本社会、ひいては高度社会福祉国家と呼ばれる北欧諸国社会を含む全世界が、いまやそれに通ずる優生社会となってしまっているという深刻きわまりない現状であった。
その矢先の23日、京都市内で医師ふたりが障害者を自宅において殺害した疑い(嘱託殺人容疑)で逮捕されたとの報道に触れ、私たちは大きな衝撃を受けた。さらに、この事件をめぐる報道と世論が障害者、高齢者、病者の殺害を推し進める優生思想扇動の巨大な波となってしまっていることに対し、私たちは恐怖と怒りを覚えている。
 
私たちはこの事態の深刻さを重く見、緊急の声明を発表する。



1)第二第三の犯行を煽り、また障害者・高齢者・病者を自死へと誘導する報道姿勢を非難する
現在、この事件をめぐる報道は蜂の巣をつついたような情報の洪水を起こしている。そこでは、WHOによる自殺報道についてのガイドライン(注2)、および国内外の障害者団体が求めてきた障害者殺害事件に関する報道のガイドライン(注3)はまったく顧みられていない。
受け手の好奇心を満足させようとするセンセーショナルな報道は、第二第三の犯行を誘発し、医療従事者、家族、一般市民のあいだに同様の行為を企てる者たちを生む。また一方、自死への誘導を受け入れる障害者、高齢者、病者たちを生み出していく。
本件の被疑者たちをどのような存在(許すべからざる悪人、あるいは障害者を苦悩から救おうとした善意の者)として描こうが結果は同じである。動機や犯行の目的に関わらず、扇情的な報道による騒ぎが広がれば広がるほど、優生思想のメッセージは社会に広がり続け、その深刻さの度合いは増していく。

2)常に殺される恐怖のなかに生きてきた障害者のさらなる恐怖を理解しているか
障害者は常に生かすか殺すかを決める権限を健常者社会に握られ、殺されることの恐怖のなかに生きてきた。この事件が障害者たちにどれだけの恐怖を与えているか、報道と広く一般市民は理解しているのか、その認識を問う。

3)この事件を利用する企みとそれに加担する報道をゆるさない
私たちは、この事件を利用して、障害者、高齢者、病者の合法的殺害に向けた議論を展開しようとする人々の企みをゆるさない。また、そのような意見を取り上げ拡散する報道メディアの不見識と不道徳さをも非難する。
安楽死(または、尊厳死、医師幇助自殺、平穏死、自然死)の合法化を推進してきた人々が、この事件を利用し、さらなる推進を図ろうとすることを、私たちは非難し、これに断固反対する。

4)障害者は生きのびる
障害者はこれまでも殺される恐怖のなかを生き抜いてきた。
すべての障害者に呼びかける。時代はますます厳しさを増しているが、私たちは団結し一緒に生きのびよう。
あまりにも多くの障害者たちが殺されてきた。いま生きている障害者たちは、とっくの昔に殺されていたかもしれないところを、支援者や介助者のネットワークを自らつくり生きのびてきたのだ。
障害者たち、なにも恐れる必要はない。ともに生きのびよう。




 
A) 長尾の回答


ご質問、ありがとうございます。おそらく多くの市民が抱いている違和感だと思います。京都の事件とやまゆり園の事件はまったく違うもので、一緒に論じることはできないと思います。またナチスドイツとも関係ないと思います。両者とも本人の意思とは全く関係なく、ただただ一方的に殺害されました。一方、京都の事件は少なくとも本人からの発信から端を発しています。
 
私自身、尊厳死協会の役員をしている関係上、行く先々で同様な野次を投げかけられてきました。優勢思想の持主だ、と。このように尊厳死や平穏死や自然死と京都の事件と一緒にされると、もはや返すべき言葉はありません。好きに批難してください、と。そもそも患者さんは自己主張してはいけない、ということでしょうか。
 
テレビや新聞で大きく取り上げられるALSの患者さんはみんな胃ろうや人工呼吸器をつけています。輝いています。私自身もこれまで20人位のALSの患者さんを診てきました。現在、胃ろうや人工呼吸器をつけたALSなど神経難病の人を3人ほど在宅医療で診ています。だから、今回の報道に接してなんとなく不安を感じていることは充分理解できます。
 
そもそもですが、ALSの人全員が胃ろうや人工呼吸器をつけているわけではありません。一生懸命に説得しても最後まで拒否して旅立たれる人がおられます。本当にもったいない、と思います。「もっと生きられるのに」と大きな敗北感で落ち込みます。日本のALSの人で胃ろうや人工呼吸器をつける人は3割程度です。一方、諸外国は極めて少ないです。つまり胃ろうや人工呼吸器をつけずに旅立たれた7割のALSの人は、今回の事件やこの声明を見てどう思うのか聞いてみたいです。もしも天国からお喋りができるなら今回の事件について会話してみたいです。
 
死の権利があるのかどうか。「権利」とは法律用語なので、「ある」とは言えないと思います。しかし死について考え自分の想いを紙に書く権利は「ある」、と思います。それは憲法で定められている「表現の自由」や「幸福追求権」です。ただそれが今回のような短絡的な事件に至ってしまったことは大変残念で、なぜそうなったのかは、やはり考えるべきではないでしょうか。なぜなら私の知る限り、多くのALSの方が同じことを望んでおられるからです。
 
もちろん、「死にたい」と「生きたい」は表裏一体ですから、「生きたい」気持ちをチーム一丸となって支援するのは当然のことです。それでも頑として胃ろうや人工呼吸器を拒否する人にどう接すればいいのでしょうか。本人の意向を無視して無理やり胃ろうや人工呼吸器をつけたほうがいいのでしょうか。それこそ人権無視、と糾弾されるのではないでしょうか。たとえば、このような議論を全部すっ飛ばして、いきなり「ナチスドイツはけしからん」という記事ばかりです。
 
今回の事件を議論してはいけない、というならなんのために医学や倫理があるのでしょうか。僕は亡くなられた林さんや僕が主治医であった、胃ろうや人工呼吸器を拒否して旅立たれたALSの方々、そして今も悩んでいる方々のためにしっかり議論すべきだと思います。この世界にはいろんな価値観があり、いろんな考えがあり、いろんな選択肢があることをオープンに議論すべきだと思います。それはALSに限らず、あらゆる病気の最終章も同じことだと思います。それさえも封殺する障碍者団体の関係者がおられますが、理解できません。そうした言論封殺が日本における終末期議論をタブーにしてきました。その結果、今回のような痛ましい事件が繰り返されるような気がしてなりません。


--------------



PS)
コロナチャンネル#120

もはやコロナ対策は勝ち負けではない!東洋医学的発想のすすめ
https://youtu.be/MAL3O0Puq_8
 

東洋医学、と言えば、素晴らしい書籍が届いた。

「逍遥遊 -東洋の教えに学んでー」
山下るみ子著   →こちら






















 

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この記事へのコメント

本人の意思が強固なら、医師幇助の自殺を認めても良いと思います。
あくまでも本人の意思が前提で社会的に強制されたものではないということが求められます。「役立たずだから死んだ方が良い」なんてのは論外で、「社会とかそんなものはどうでも良く、死にたいと言ったら死にたいのだ」ということですね。カウンセラーなどとも何度面談しても、どうしてもその意思が翻らないならば、それを尊重するのが人道的でありましょう。
これだと、「貧乏だから生きてて辛い」などは認められません。貧乏なんかは所詮金の有る無しであって社会的問題に過ぎないですから。

Posted by 匿名 at 2020年08月17日 10:48 | 返信

薬による積極的な安楽死の意思表示って難しいですよね

注射針を刺された瞬間に翻ったら?
注射や点滴での薬を1cc入れたところで翻ったら?
錠剤を口に入れて飲み込んでしまったところで翻ったら?

医師「飲んで(注入して)しまったから、もう死ぬしかないよ?」ってなるのでしょうか?

Posted by 匿名 at 2020年08月18日 08:24 | 返信

>医師「飲んで(注入して)しまったから、もう死ぬしかないよ?」ってなるのでしょうか?
そりゃ、そうでしょ。だからって大した問題じゃないです。自分で決めたことじゃないですか。嫌なら最初からしなければ良いだけ。
自分で決めて自分で生きるってのはそういうことですよ。どうあれ、結果は引き受けないといけないです。

匿名から匿名への返信 at 2020年08月21日 06:08 | 返信

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