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7時間の夢
2020年08月02日(日)
10年間に及ぶ在宅医療、がある。
たった1週間で終わりそれもある。
たった7時間の夢のような在宅も。
たった1週間で終わりそれもある。
たった7時間の夢のような在宅も。
小説・7時間の夢 長尾和宏
その日の夜診が終わったのは20時前になった。長い長い梅雨がやっと明けたのはいいが、待ってました、と言わんばかりにたくさんの患者さんが押し寄せためだ。特に受付終了前の10分間に4人もの初診患者が重なり手がかかってしまった。肺炎、腸閉塞、脱水、ギックリ腰とコロナ禍で暇な外来のなかでは、珍しく「大物」ばかりに囲まれた。
「なんでもっと早く来ないんだよ。こんな時間まで我慢してギリギリで来るなんて・・・」
町医者を25年もやっている長野は「終了間際の駆け込み患者の法則」をよく知っているはずなのに、看護師の吉野に思わず愚痴ってしまった。そこに事務員の阿部が駆け込んできた。
「今、東都大学病院から連絡があり、末期の膵臓がんの患者さんを診て欲しいそうです」
「ええ、今から?在宅?」
「そうです。状態が悪いかもしれない、とのことですが」
「わかった。じゃあ今からすぐ往診するわ」
在宅医療も手掛ける長野は腰が軽いことにかけては自信があった。幼少時代から新聞配達や郵便配達、医学生になってからは無医地区での訪問診療活動など人の家に行くことだけには慣れているので、町医者になってからも緊急往診には抵抗が無かった。むしろ一日中椅子に座って外来診療を続ける開業医スタイルにとうの昔に飽きていた。外来診療の合間に細々と始めた在宅医療も25年を超えると、気が付けば在宅のほうがメインになっていた。ましてコロナ禍以降、施設や病院から自宅に逃げ帰る人が増えて、在宅医療は忙しくなるばかりだ。
珍しくハードな夜診を終えると、間髪を入れずに車に乗り込んだ。目指すは東都大学病院から車で15分ほどの隣町のある団地である。大学病院からFAXされたばかりの診療情報提供書に書かれた住所をナビに入力したら、大きな川沿いの建物のようだった。
かなり古い巨大な団地群の中に目指すお宅がある、はずである。しかし東京ドームが何個も入りそうな広大な団地群には似たような建物がたくさんありすぎて、どれが何号棟なのか夜の帳の中では分かりにくい。人はたくさんいるはずなのに夜になると全く人気がない。
「いつもそうなんだ。夜はどの建物が何号棟かくらい、ちゃんとわかるようにしてくれよ。真っ暗なのでどれが何号棟かサッパリ分からん。おまけに巨大な団地群なのに外から車が入ることはできないのでどこに駐車するんだよ。まったく、東京都は何を考えてるんだ。」
昭和40年代に一大プロジェクトとして建てられたのであろう巨大な団地群は、車社会を想定しなかったようだ。さらに超高齢社会も想定されていない。その結果、今や異様な空間は少し言い過ぎだろうが老人の街に化している。公園など合間のスペースは余裕があるものの、高齢者、障碍者、生活保護など支援が必要な人が多く住んでいるのに医療や福祉車両が駐車するスペースは考慮されていない。
遥か遠くに見つけた駐車場に車を置いた後、まるで富士の樹海に迷い込んだ旅人のように15分ほど徘徊してようやく目指すべき23号棟を「発見」した。しかし次は入り口が分からず、また右往左往。実はこの団地群は在宅医療関係者の間では「在宅泣かせ」として有名である。
長野は迷いに迷いながらも、やっとの思いで目指す919号室に辿りついた。クリニックを出て1時間近くかかったので、まさに「辿りついた」という表現がピッタリであろう。
「こんばんは。長野クリニックの長野です。お待たせいたしました」
「お待ちしました。大学病院から電話があって2時間も経ってるんでもう来ないかと思いましたよ・・」
これは皮肉か。70過ぎの男性が無表情で出迎えてくれた。もちろん初対面であるが歓迎されているのか、されていないのか全く分からない。ただ困り果てていることだけは確かなようだった。よくあることだが、在宅医療をピザ屋や蕎麦屋の出前と間違っている人が時々いる。呼べばすぐに来てくれる救急車と誤解している市民も少なくない。1日の診療終に必死で徘徊しながら辿り着いた割には「冷たいおもてなし」に疲れを自覚した。しかしそんなことはどうでもいい。どこに目指す患者さんはいるんだ?生活臭が満載の2人暮らしの団地の部屋の奥へと進んだ。
その部屋に入った瞬間、ある臭いがした。嘔吐臭というか便臭というか。これを嗅いだだけで「ああ、末期がんの人がそこにいるな」と分かるこの臭い。
介護用ベッドの上にはスキンヘッドの女性が横たわっていた。
「こんばんは」
「・・・」
食事台の上に置かれたi-Padから、ある映像が音声とともに流れていた。可愛い少女が大きなお皿に盛られた美味しそうなサラダをムシャムシャ食べながらこちらに向かって笑顔で何か話しかけている。
「お孫さんですか?可愛いですね。今、流行りのオンライン面会かな?」
「・・・」
「You Tubeですよ」と横から夫が説明してくれた。
「なんで?」
「食欲を出すために、常に食べる動画を流しているのですが・・・」
彼女は眼を開かない。というか半分、いや半分以上、眠っているようだ。食事テーブルの上には、立て掛けたiPadに並んで一口かじったままのおにぎりが2つ並んでいた。夫はコンビニで買ってきた、という。ひとつは昼のおにぎりでひとつは夜のおにぎり、だと。食べた、というより少しかじったと言った方が近い。2つともかじり口は乾燥し、米粒が少しこぼれ落ちてカピカピになっていた。いずれにせよ、本人も夫も食べることにはかなりの執念を燃やしていることだけは確かなように感じた。
傾眠状態にある彼女に丁重に断りをしてからおもむろに診察をした。蝋人形のようにまったくの無表情である。髪の毛はほぼ無い。年齢はまだ60歳代だというのに何歳かまったく想像がつかない。全身の皮膚は抗がん剤治療のため真っ黒になり極度に乾燥している。お腹には大きな傷跡と小さな処置の跡があり、中等量の腹水が貯まっている。オムツをしている。介護に慣れない夫があてたらしく、かなりズレている。お腹を打診すると腸閉塞を起こしかけていた。心臓に聴診器を当てると、さらに驚いた。見た目はこんなに静かなのに、心臓だけがバンバンバン!と凄い勢いで「悲鳴」をあげていたからだ。
「ヤバイ・・」
長野は心の中で呟いた。
両手の皮膚は乾燥し、皮下脂肪は乏しくこれ以上はないというくらい細い。しかし両足はパンパンに張れていた。末期がんに伴う低栄養、低アルブミン血症であることは消化器専門医であれば誰でも一瞬で分かる。それに余命がいくばくもない、ことも。
「しんどい状態ですね」と、できるだけ穏やかな口調で彼女に同意を求めた。
しかし彼女は沈黙のままだ。夫が代わって口を出した。
「ええ?そんなに悪いのですか?」
「・・・?」
どこから話せばいいのか分からなかった。大学病院の若い医師からFAXで届いたばかりの紹介状によると2年前に膵臓がんで膵頭十二指腸切除手術をしたが直後に肺転移が判明し2年間、抗癌剤治療を続けているが最近あまり調子が良くない、という情報しかない。ステージ2での手術後にステージ4は、膵臓がんではよくあることだ。しかし実際、家に来てみてビックリ、である。
「抗がん剤?この状態で?」
「そうです。この2年間、毎週、タクシーで病院に連れていっています」
「それで、膵臓がんは良くなっているの?」
「いや、分かりません。何も説明はありません」
「そうか、マニュアルどおりに機械的にやっているだけか。それで最近の体調は?」
「10日前から急激に体調が悪くなり、1日中、イタイイタイと叫び、少し食べては吐いています。もう部屋から出すことができないので、昨日は私だけが薬を取りに行きました」
「薬?」
「モルヒネの頓服を沢山もらってきました。でも先生が間違えて胃腸薬と痛み止めと睡眠薬も大量に入っていました」
「頓服?それを1日に何回飲むの?」
「しょっちゅうイタイイタイと泣くので、1日にそうですね10回くらいは飲ませています」
「それだけ?」
「はい、痛み止めはその頓服とカロナールだけです」
「・・・」
夫は、2週前にもらったという薬の大袋を取り出した。10種類以上あり、まだ大半が残っている。薬の説明書一覧を読むと、痛み止めはモルヒネの頓服薬の最少量しかないようだ。
「昨日は私だけが病院に行って痛み止めだけでいい、と言ったんです。でも先生に伝わらなかったのかまた2週間前と同じ10種類が大量に処方されました」
スーパーで買い物した時にもらう大きな袋に大きな薬袋が数個入ったものが2つあった。
片方は入り口にセロテープで封がしてありまだ開封されていない。まさにベッドの周りも2年間にもらった薬だらけだ。あとはケアマネが先週、設置してくれたというポータブルトイレも。ただ、まだ一度も使っていないという。
「こんなにたくさんのお薬、この状態でホントに飲めるの?」
「いや、飲めません。この1週間、ほとんど食べられずに吐いていますからね。でも先生からは抗がん剤の点滴だけは必ず通うように言われています」
これまで数えきれないくらい聞いてきた言葉だ。長野クリニックの外来通院から在宅医療に自然に移行したケースではそんな人はいない。しかし大病院やがんセンターから紹介されてくる患者さんはほぼ例外なく3点セットである。3点とは、1)死ぬまで抗がん剤、2)死ぬまで10種類以上のあれやこれやのお薬、3)そしてこれが一番困るのだが、その中に痛みを和らげる薬(医療用麻薬)がほとんど無いことだ。
還暦をとっくに過ぎた長野にもう怒る気力は残ってない。若い頃に頑張りすぎたためかもはや諦めしかない。惰性で町医者を細々と続けているだけだ。この患者のような緩和ケア不在の末期がん患者さんを、これまで何百人も病院から紹介されてきた。10年前まではその矛盾や怒りをメデイアやSNSにそのままぶつけてきた。しかし大病院やがんセンターは10年経っても何も変わらない。いや、酷くなる一方だ。「抗がん剤のやめどき」という言葉も知らない医者が部長や教授に昇進し、「平穏死」を知らない医者が今も続々と量産されている。
しかし医療界は大学病院やがんセンターを頂点とするヒエラルギーそのものだ。その最底辺に位置づけられる一介の町医者にそれを止める力などあるわけがない
ふと、末期がんに苦しむ患者さんのスピリチュアルペインに寄り添うためには「いのちの対話が大切だ」というNHKスぺの一場面を思い出した。しかし今の相手はもはや会話ができない最悪の状態にある。だから医者らしい対話さえも無理だ。情けないが黙って手足をさすり、手を握ることしかできない。30分ほどの診察後、夫を外の廊下に連れ出した。町医者の初回の診察診立てを低い声でゆっくり話しはじめた。
「たいへん残念ですが、状態が悪すぎます」
「ええ!?」夫は絶句した。
「余命がいくらもありません。1週間、いや早ければそれ以内でしょう」
本当は、「2、3日以内」、いや「1日かも」と告げたかった。しかし1週間という数字に対する夫の狼狽ぶりを見た瞬間、そんな残酷な宣告ができなくなった。まずは「一週間以内」が精いっぱいだった。
夫は小刻みに震えながら呟いた。
「でも主治医は昨日、あと1ケ月は大丈夫と言いましたけど」
「1ケ月?なんで?」
「分かりません。でも薬を出す時にそう言われました」
「昨日は本人を診ていないんでしょう?貴方の話だけでそう言ったの?」
「実は、1ケ月前から本人を診てもらっていません」
「なんで?」
「もう連れていけないからです」
「じゃあ、患者を診ないで医療用麻薬を出してるの?」
「そうですね」
「そりゃあかん。僕のような町医者の世界では考えられん。微調整もできないし」
「微調整?」
「そうですよ。患者の痛みに応じて様々な種類の麻薬を使います。持続性の麻薬や頓服の麻薬などですが、痛みにあわせて量を日々調節します」
「はじめて知りました。妻はモルヒネ液かカロナールで充分だと」
「診てもないのに?こんなに苦しがっているのに?」
「私が行くだけで沢山の薬を出してくれます」
「不思議やね。本人が生きているか死んでいるかも分からないのに。ええんかいな」
「抗がん剤が優先です。死ぬまで続けるようにいつも言われています」
がんセンターに緩和ケアなし。これまで何度も経験したので、もう慣れている。またこれか、と思うだけである。しかしもはや緩和ケアというよりもお看取りの話をしておかないといけない段階だ。
「今晩は大丈夫だと思いますが、明日の晩は分かりません。子供さんは居るのですか?」
「埼玉に長男、名古屋に長女がいます。孫はそれぞれに2人ずつ」
「じゃあ、今夜、僕が初めて訪問して、もう長くないから今週末に必ず顔を見にくるように電話しておいてください」
夫は慌ててその場で子供たちに電話をしようとしたが、止めた。
「妻にもそう言っていいですか?」
「いや。今寝ているし、おそらく聞いても理解できない。意味が無いからやめておいて」
「私達は愛しあっているので、なんでも隠し事はしないのが約束ごとなのです・・・」
「いや。それでもいきなりは・・・ それより亡くなった時のことをお話ししておかないと」
「死ぬ!?」夫はまた男泣きをし始めた。
長野は、今はわざと泣かしていることを自覚していた。敢えてバッドニュースを伝えて心構えを促す。近く必ず起きるリアルな場面を想像してもらい、涙を流すことで看取る覚悟が生まれてくる。専門用語では「予期的悲嘆」と呼ばれるそうだが、それくらいは経験で知っていた。
「縁起が悪い話で恐縮ですが、お父さんが夜中にふと目覚めたら奥さんの息が止まっていたとしましょうか」
「・・・」
「絶対に救急車を呼ばないでくださいね。もしも本当に亡くなっていたら自動的に警察に電話がいきます。するとお父さんが殺したのではないかと警察の事情聴取と現場検証が始まります。要は警察沙汰になりますよ」
「・・・」
「今後は私の携帯電話に電話してください。夜中の3時でも必ず出ますから」
この話をするたびに自分の命が1ケ月は短縮していることを長野は自覚していた。これまで約1000人の在宅看取りの中で、午前2時、3時の看取り往診が50回くらいはあっただろう。夜更かしの長野は寝入りばなに起こされることが何より苦手である。しかし職業柄、起きて再び服を着て看取りに行かなくてはならない。
それでも若い頃はなんとかこなしていたが、還暦を超えたころから一層辛くなった。そこで長く在宅で診ていて信頼関係ができているケースや、身寄りが居ない施設入所者では、深夜に一旦電話を受けて死亡時間を確定してから実際の往診は朝一番にするケースが増えている。しかし目の前に居る患者さんはたった今、初めて出会ったばかりの患者さんだ。しかも大病院の主治医に「一ケ月は大丈夫」と言われている。
今夜は大丈夫かなあ?
でも万一の可能性があるしな。
とりあえず酒は我慢しとこかな。
その帰り道。気が付けば車を回転寿司の駐車場に入れていた自分に、長野自身が驚いた。腹が無性に空いていたのだ。回転寿司は1年ぶりかな。閉店間際の店内は意外なくらい空いていた。本能のままにタッチパネルを叩き注文して皿の枚数も数えず食べまくった。メタボ解消のためにしばらく米を減らしていたが今夜だけは解禁だ。会計ボタンを押すと、26皿で支払いは3000円を超えた。最初から分かっていたが、予想どおりの自己嫌悪に浸りながら、自宅で溜りにたまった書類やメールの整理や明日の準備を終えたら、午後2時を回っていた。
「ああ、ダメだ。俺は意思が弱い人間やなあ。こんな自堕落な生活、いつまで続けるのかなあ」
朦朧状態で布団にもぐり込み、泥のように眠り込んだ。はず、だった。
遠くで何かが、鳴っている。
携帯電話の音だ、と気が付くまで数秒はかかる。就寝中は驚いて飛び起きるタチなので小さな音に設定している。しかし小さすぎて呼び出し音に反応できず大失態を演じた恥ずかしい過去がある。それ以来、最小から一段上の音量に設定してから眠りに就くことに決めている。今、そいつが鳴っているのだ。
「先生・・・」
受話器の向こうで男が静かに泣いている。
「どうしました?」
「今、気がついたら死んでいます・・・」
「ええ!?」
悪い予感があたってしまった。
「先生が帰られた後、私は2時間、妻をマッサージしました。その時はいろんな話ができました。でも0時半くらいに私も寝てしまい今、気が付いたら妻は息をしていません。もう冷たくなっています。・・・・(泣)」
「今、何時ですかね?」
「午前4時20分です。でもたぶん、私が寝たすぐ後、1時か2時くらいに死んだんじゃないかな」
「仕方ないですよ。穏やかに逝かれたわけですから。寝ている間に死ぬのが最高なんです」
「いや、ダメです」
「なんで?」
「お別れの言葉を交わせなかったからです・・・・最期にありがとう、と言ってから見送ろうと決めていたのです・・・(泣)」
そんな会話を交わしているうちに、長野は迷っていた。朝イチの出勤途上で寄るのか今すぐに行くのか。話すうちに、これは今すぐ行かないといけないという気持ちに傾いた。
「もう一度確認するけど、今、息をしていますか?」
「してないです・・・」
長野は家族の言葉をそのまま鵜呑みにせず、必ず少し時間をおいて再度確認するのが習慣だ。以前、慌てて伺ったらまだ息をしていたということが2回あったからだ。「息をしていない」「亡くなっている」と言う家族の口調でその真偽を判定している。「亡くなっているかも?」と言って電話してくる時は行って確認するまで断定をしない。しかし夫は断定というか諦めの口調なので亡くなっているのは間違いなさそうだ。それに「冷たくなっている」という言葉もそれを支持するし。
「じゃあ、今の午前4時30分を奥さんが亡くなった時間にしましょう。今から30分後に着きます。それまで奥さんの身体に触ったり着替えさせてもいいですよ。とにかく慌てずに私を待っていてください」
家を出るとちょうど朝焼けだった。信じられないくらい見事な夜明けの風景を独り占めしている。そう思って自分を慰めるしかない。
というのも長野はズボンを履くときに強いめまいを感じ、転倒したからだ。珍しく少し吐いた。
「ヤバイな。俺が病気かな?」
医者なので常に自己診断するしかないが、まさか看取り医者が自分の不調で早朝に救急車を呼ぶわけにもいかない。かといって看取りに行きます、と言いながら行かないわけにもいかないし。
恐る恐る車を走らせるうちに分単位で周囲は急速に明るくなりすっかり朝模様に変容した。覚醒しなくてもいい脳ミソが強制的に覚醒させられる。まだ2時間しか寝ていないのに。というのも朝一番から、全国400人へのZOOM講演会もしなければいけない。こんなことをしていて喋れるのだろうか。でもどうやら病気ではなさそうだ。
到着すると巨大な団地群もまだ目覚めていなかった。しかし廊下から朝の海が見えた。美しい、美しすぎる。ほんのちょっとのご褒美か。ドアは開いていた。昨夜以来、この静かな人生ドラマを知っているのはこの世で夫と私の2人だけである。
ベッドの上には、吐物にまみれた女性が横たわっていた。30分前に長野は夫に「触って奇麗にしてもいい」と言ったが、全く手つかずであった。
「私がマッサージの後に食べさせたのでそれを吐いて窒息したのです。私が殺しました」
まるで自分が犯人のようにうなだれている夫が、そこにいた。
「いや、そうじゃない。亡くなる時に吐くことはよくあること。気にしないで。最後まで食べたこと、そしてマッサージをしたことが素晴らしい」
そう労ったが、夫はまだうなだれている。
「子供達には?」
「今から電話します。すごく驚くでしょう」
「どうして?」
「まだ亡くなるとは思っていないから」
「こんなに悪いのに?」
「病院の先生からは一切そんな話無いし・・」
・・・・・・・
「ところで、どうして昨夜急に、僕に在宅医療を頼んできたの?」
「私たちは以前から最期は長野先生にお願いすることを決めていました。ステージ4と分かった2年前もそう決心しました。だから入院は拒否してきました」
「ええ?」
「でも病院の主治医に長野先生に在宅医療をお願いしたいと何度もお願いしました。しかし何度も断られました」
「なんで?」
「町医者には無理、の一点張り。せめてホスピス行かな、と相手にしてくれません」
「・・・」
「そこで昨日、私だけが受診した時に強く抗議したのです。なんで紹介状を書いてくれないのかと。そしたら渋々書いてくれたのです」
「そんな・・」
「1ケ月は大丈夫と太鼓判を押していたのに、違っていた・・・」
「診てもないのにね。結局、たった半日やったね」
「いや、半日もない。たった7時間ですよ、先生」
「時々、ある話ですよ。それが大病院のがん医療」
そんな話を交わしながら、長野はトイレットペーパーを丸めながら肌と寝巻にこびりついた吐物を剥がしていった。普段なら訪問看護師にお願いするのだが、今回はお願いする暇もなかった。なにせ在宅時間はわずか7時間である。昨夜の往診の後、緊急指示を出して朝イチの訪問看護をお願いしたがそこまでもたなかった。一度も訪問したこともない看護師にエンジェルケアだけをお願いすることはあり得ない。それは葬儀屋さんの仕事である。
「でも、良かったです」
「何が?」
「警察沙汰にならなくて。長尾先生が昨夜、救急車を呼ぶと警察沙汰になるよと教えてくれたので助かりました」
「そうだね。危ないところだったよ。その1点だけでも僕がここに来た意味があった。
それにしても病院の先生は死ぬことを考えないのかな?」
「昨日もいくら訴えても何かあったらいつでも救急車を呼べばいい。主治医はその一点張りでした」
「警察沙汰になるのにね。そもそもその先生は在宅を知らないから仕方がないね」
長野は死亡診断書を書きながら部屋に飾られている写真を見渡した。夫婦の写真、子供や孫の写真などが10点以上飾ってあった。なかでも旅行先で撮られたツーショットに目を奪われた。セピア色になりかけだ。フサフサの髪にふくよかな体形でお洒落をして夫とポーズを取っている女性。まだ7時間しか関わっていない長野には、ベッドに横たわる女性とその写真の女性が同一人物だとは、にわかに信じられない。
「ラブラブやね」
「いや、そうでもないよ」
「最期のマッサージもね」
「いや、マッサージは膵臓がんが分かってから今日まで毎日、一日も欠かさず2時間やってきましたからね」
「・・・」
長野は、この男性の今後の落胆のほうが気になりはじめた。
また美男美女に映っている長男と長女夫婦や4人の孫たちのことも気になりはじめた。
「葬儀屋はどうするの?」
「近くの会館なら60万円からやってくれるらしい。どうせ3人しか来ないので」
「ええ?」
「なんか分からんけど家族の折り合いが悪いのかな。たぶん息子と娘と私の3人だけの家族葬になると思う」
「これだけ素敵な写真がたくさんあるのに、たった3人?それやったら、家族葬を10万円以下でできるところを探そうか?」
長野はタウンページをめくりながら、手ごろな家族葬を探し始めた。
「先生は親切やね」
「いや、医者として何もしなかったからね。まあ、できなかった。僕のせいじゃないと思うけどね。せめて身体を奇麗にして安い葬儀屋を探すくらいしないとね」
「いえいえ、先生にはもうひとつ感謝することがあります」
「なに?」
「平穏死です。最期まで自宅にいて入院をしなかった。点滴もしなかった。だから腹水を抜くことも心不全で苦しむこともなかった。そして何よりも膵臓がんでがん性腹膜炎になっても最期まで口から食べることができました」
「わかってるね」
「先生の本、妻と一緒にたくさん読みましたからね」
見渡すと書棚に「平穏死」とか「痛くない死に方」など、長野が書いた本が数冊並んでいた。
「そうだったのか、まあ、不思議な御縁というか・・・」
「もう少し早く会いたかったです」
「僕も」
「・・・」
「では、これで失礼します。息子さんが着いたらまず葬儀屋さんに電話して下さい」
扉を開けると外は真昼の光に感じた。真夏の朝日は強烈だ。エレベーターに乗り込むと、早起き鳥たちが何事もなかったように出勤しようとしている。
長野はわずか7時間の夢を振り返りながら、1時間でも朝寝を取るべくいったん帰宅することにした。(了)
----------------------
PS)
コロナチャンネル#105
コロナで殉死した先輩・横野浩一医師を偲ぶ
https://youtu.be/AIJUG5drVeE
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この記事へのコメント
亡くなられた奥様のご主人の気持ちになって、つい涙を流しました。
長尾先生の日ごろのご苦労のごく一部なんでしょうけれど、「大変な仕事なんだなあ」と感じました。
お元気で、末永くご活躍下さい。
蔭ながら、お手伝いできればと思っています。
Posted by 匿名 at 2020年08月02日 05:09 | 返信
先生、これはどの位実話なのでしょうか。涙なしには読めませんでした。私の母の最期の時も思い出してしまいました。でも主人公のお二人は長野先生をずっと人知れず慕い、最期に逢えて本当に良かった。このブログの読者のみなさんともこの世では逢えなかったとしてもいつかあの世でみんなで語り合いたいと思ってしまいました。先生、大好きです!!!
Posted by 匿名 at 2020年08月02日 10:30 | 返信
読み終えてジワッと涙が出て来ました。ギリギリセーフで長尾先生に繋がり平穏死出来て良かったと言う気持ちと、先生がこんな目にばかりあってるのかと辛くなり、大病院に対する怒り…。紹介状なんて無視して早く長尾先生に相談すれば良かったのに…
介護施設入居中の方が誤嚥性肺炎で入院されました。病院では反応がなく経口摂取は難しく施設に帰る事は難しいと説明されたそうです。ご家族は平穏死の本を熟読しており、ならば病院ではなく施設に帰って看取りたいと希望されたそうですが大病院の医師は点滴が出来ないから無理と言われたそうです。点滴は不要、平穏死させたいと希望したが平穏死を知らないんですよ!と施設に相談に来られました。病院勤務の医師にそんな事言ったんだとちょっと感動しました。往診医もいますし、勿論帰って来ていただく事になりました。
大病院は治療する所ですから、平穏死なんて知らないと言う現実を一般人は理解出来ない。治療のやめどき、平穏死への移行が当たり前になるのは10年後?
先生、ローテーション組んで夜中の往診の負担を減らして身体を休めてください。平穏死する前に過労死してしまいますよ!涙
Posted by 匿名ナース at 2020年08月02日 12:45 | 返信
どうもありがとうございます。長野先生とは長尾先生のことなのでしょう。こんな毎日を送っていらっしゃるのですね。
ハードな毎日な上ブログ、コロナチャンネル、執筆活動などなど正にスーパードクターの様子を文章から共有させていただきました。このような長野先生が地域にたくさんいてくだされば在宅での療養は安心と思いました。
ただ先生が倒れてしまってはどうにもなりません。ありきたりですが、くれぐれもどうぞご自愛下さい。
Posted by たこぼん at 2020年08月02日 05:06 | 返信
先生、お疲れ様です。
毎日の激務&コロナチャンネルとこのブログと小説〜
『長尾寝ろ!』と、ツィートしますよ〜(笑、笑)
事実は小説より奇なり〜これほぼ、事実?
私、実は訪問介護の経験もあります!老々介護のおじいちゃん、こんな感じでしたね!
涙出てくる〜
Posted by rico at 2020年08月02日 05:26 | 返信
丁度、小説『安楽死特区』を半分まで読み進んだ所でした。
先生のブログに出会わず読み始めた場合と、先生のブログを何年か拝読してからこの小説と出会った場合とでは、感想は真逆になったかもしれません。
私は、先生のブログに出会ってから読み進められて良かったかもしれない。
フィクションであってフィクションでないのかも。と、思わずにはいられない。
ずーと、ドキドキしながら読んでいます。
少しだけ…いやーだいぶリアルすぎて、思考が混乱してしまっています。
本日の小説も胸が苦しくなりました。
まるでノンフィクションのようで…。
ちょっと今の私には辛いかなぁ。
『安楽死特区』後半へと読み進めます。
そして、先生今日もありがとうごさいました。
Posted by 轟 瞳 at 2020年08月03日 12:30 | 返信
初めまして。訪問看護にたずさわる者です。最近、訪問診療をされる開業医さんが私の県でも増えてきていますが、なかなか先生のような心意気を持った方には巡り合えない日々に悶々としています。
そんな自分も、言い訳ばかりで結局は逃げた介入しか出来ていないのですが。小説を読み、良い意味で気持ちに刺さりました。ありがとうございます
Posted by soul at 2020年08月05日 11:03 | 返信
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