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病院での餓死裁判 皆さまのご意見をお寄せください

2020年08月09日(日)

「93歳の父親が病院で餓死させられた」と
67歳の息子さんが千葉県の病院を提訴した。
皆さまのご意見を、書き込んでみてください。

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「病院で父親が餓死したのは栄養補給を行わなかったため」として病院を提訴。

長谷川記者が「現代ビジネス」に書かれた記事だ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74581


餓死?


正直、驚いた。
何から話そう。

まずは、「人生会議」はあったのか。
あるならその記録はどうだったのか。


本人は何を希望したのか。
話し合いはどうだったか。


1~2週間程度で急速に進行する老衰はある。
超高齢者に沢山の点滴をしても身につかない。

病院を提訴した息子さんと、これを記事にした記者さん。
係争中のようであるが、皆さまのご意見を伺ってみたい。


10人程度、ご意見を書き込んでください。
これらの「世論」が答えになるのではないか。



今日は、ある新聞社の単独インタビューを受けた。
先日のALS女性の嘱託殺人事件の本質に関してだ。

製薬マネー問題のイベントにも参加した。
実に、多種多様の人とお出会いした午後。


もちろん、コロナ対策は常にしている。
忙しい1日があっと言う間に終わった。

熱中症に気をつけてください!



PS)
コロナチャンネル#112

悲観論者と自粛警察のなんちゃって”正義”
https://youtu.be/bROmSp9OdWc

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

私の父は、8年前の2月に、ステージ4の肺癌のわかり、
10月に家で猫に看取られながら、この世を去りました。
(夜中だったので、家族である私たちは寝てしまってて、
父の最期を看取れなかったことをずいぶん悔みましたが、
愛猫が、父の脇のところにじっと寝てて、それでもよかったかなと)
72歳でした。
在宅医は、長尾医師もよくご存知の医師です(神戸市内の)
最後の方は、ガリガリで、先生が、
高カロリーゼリーを持ってきてくださったのですが、
父は一口、口にしたら、
「どうせ死んでしまうのに、こんなまずいもん、食いたくない!」
と言って、先生も、父の意思をくんでくださって、食べなくていいと。
アイスクリームや好きなお味噌汁など、一口でも口にしたいものがあったら、
口にさせてあげてねと、無理から父を食べさせないでいいと
先生がおっしゃってくださって、ホッとしました。
本当に、父は、食べることすら、最後の方は辛そうでしたから。
点滴もしんどいだったみたく、最後の方は、ちょっとだけでやめてました。
父は、超高齢者ではなかったですが、
末期癌で、亡くなる1ヶ月前からは、本当に、食事が辛そうで、
私たちも無理から父に食べなせなかったですが、
もし、父を放置したとか、人に言われたら、本当にショック受けます。

Posted by Yo_T at 2020年08月09日 03:04 | 返信

上下二巻で説明されているので、はっきりしたことは分かりませんけれど、病院ってこんなものですね。
巨大な建物だけあるけれど、看護してくれるはずの看護師さんも、治療してくれるはずのお医者さんもいない。
尊厳死や平穏死をはき違えて「病院を姥捨て山にしているの」でしょう。
近くに亀田総合病院があるとのことですが、結果論ですけれど、亀田総合病院に行った方が良かったのではないかと思います。

Posted by にゃんにゃん at 2020年08月09日 05:59 | 返信

おはようございます。

ウ〜ン、私ならまずベッドから落ちた時、骨折を疑って救急車を呼びます。
痛がるのを見てるのが辛いし、介護者が運べなかったんですよね。
最悪を想定して最善の行動をします。

病院側の説明がないのは変ですが。。。。私なら主治医に聞きまくるけどなぁ

Posted by rico at 2020年08月09日 06:05 | 返信

入院時に見通しと計画の説明が全く足りていなかったこと、その割に栄養管理の数値的根拠が不明なこと、息子さんの老衰への理解が全く足りなかったこと、あとは腕の打撲って治らないのか(左足の骨折はともかく)、ほぼこの4点ですね。あと確かにご本人の希望とか全然見えてきません。認知症はなかったのでしょうか。

私のやり方ですと「93歳と高齢ですので小さい異常が生命の危険につながる可能性は十分あります。急に亡くなられることもあります。当面は栄養状態を維持して(1000kcalくらい?)食べられるものを食べていただき、以前のように入れ歯を自力で装着し以前のものを食べられるかどうか、それとも入れ歯は断念して食べられるものを工夫していくか、どちらかを目指します。」とこれくらい入院時に話をします。

経口摂取状況が思わしくないとか、徐々に全身状態が悪化傾向の場合は家族にもう一度話をします。延命処置の是非についてはもうちょっと説明します(1回の説明では完結しないものと考えます)。

息子さん側の意見しかわからないので、病院のしたことの是非は判断しにくいですね。家族に説明はそこそこあったかもしれません。しかし文書としてある程度残っていないと説明していないものとされてしまいます。

Posted by 広島の赤牛 at 2020年08月09日 08:33 | 返信

病院側も流れ作業的になってしまっていて、説明が足りなかった、ということはありそうです。家族としてはまだまた生きるしきちんと治療したら元気になるはずだ、くらいに思っていても不思議はありません。
93歳の老衰患者を見慣れていた病院と家族との間の認識の齟齬が起こしたことでしょうね。

Posted by 匿名 at 2020年08月09日 09:34 | 返信

管理栄養士です。ざっと記事を拝見しただけですが、まず病院としてすべきことをきちんとやっていたのか?というと疑問に思います。特に管理栄養士。低栄養の危険を感じつつ、主治医に提案するという言葉だけで実際にどうしていたのかはっきりした言葉が無いように思います。医師は細かくカロリー計算や摂取量まで確認しないので、管理栄養士がいるのならそこは管理栄養士が頑張るところです。看護師やSTがいるなら一緒に相談して摂食嚥下状態をみながら食形態を変更したり、不足分のカロリー補給をしながら治療、リハビリを進めるのが今、病院としてやるべきことではないかと思います。患者さんは転倒するまでは食欲もあり、それなりに過ごされていたようです。転倒を機に入歯を入れられなくなっただけで摂食嚥下や内臓に問題があったとは思えないです。入歯も病院で直したりすることも出来るのではないのかな…(当院は訪問歯科もやっています)その前に主治医が最初から延命治療はしないと明言したことに疑問を感じます。まずは治療をし、その後の経過によりそういう選択肢もあるとは思いますが、なぜ最初からそのような事を言ったのか?高齢だからなのか?当院でも(当院は整形外科メインのリハビリ病院です)90代でもしっかり食べられる方は普通食も食べていただき、不足分はエンシュアや栄養補助ジュース、ゼリーなど付加。それでもダメな時はご家族からの持ち込み。それでもダメなら点滴、経鼻栄養…という流れです。(経鼻までの人はほぼいないです。)病院側はやるべき事はやったと言えるのであれば、まずは家族にも納得のいく説明をするべきだったと思いますし、経過もきちんとお伝えしつつ相談しながら進めればこんなことにはならなかったのではないでしょうか。医師や病院側の一方的な説明だけで進んできたような気もします。家族もその時は突然の事で色々言われて冷静な判断や質問ができないこともあったのではないかと思います。

Posted by J at 2020年08月09日 11:27 | 返信

記事5ページめには、経口摂取と点滴併用が書かれている。病院が後に説明しているように
食事を完食した時に、捕食として必要な点滴カロリーとある。又、「延命処置はしない」と
家族側に伝えている時期があるから、「過度な高カロリー輸液を使用しない」という意味だと
思う。長尾先生が説いておられる「溺れる」状態は避けるという処置ではないか?
経口摂取できていたのだから、発語があったと思うが、以前までは食欲旺盛な方であり、食べる事が
好きであったなら、実際に食べる事が可能か否かは別として、「あれが食べたいなぁ」等、食に
纏わる会話が本来なら、あっていいように思う。看病中、家族は「何が食べたい?」と聞く位しか
できない時期がある。
最初にアクシデントが起きてしまった頃の記述に、「プリン等の高カロリーな物をあげれば..」と
誰かに指摘された時に「慣れていないから」と弁解的な発言があるのも気に掛かる。デイに通って
いたならケアマネが居ただろうし、記事にも主治医が居たとある。全身打撲ではなかった訳だから
後に寝たきりになるのを避けるのは、そのタイミングだったと思う。入れ歯に関しても、訪問歯科が
ある。
2018年福生病院・透析患者死亡に関する報道時に感じたことと似ているのだけれど、病院は業務
だから、「結び」「結果」「結論」があって当然。けれど、遺族は患者(家族)の死から始まる
「思い」がある。それは時に、喪失感から生じる「もっと何かできたのではないか?」という願望と
後悔が交錯する。時に、それが他者に強く向けられてしまうという、遺族心理があると思う。

Posted by もも at 2020年08月09日 11:49 | 返信

認識の違いで裁判にまでなるなんて、はっきり言って恐ろしく大変驚きました。平均寿命を過ぎていれば、一般的には、よくぞここまで生きてくれてありがとう、出来れば記録更新して長生きしてね、と思うのが当然のことです。しかし、いつ何かあってもおかしくない年齢であるということも、わかっていて当然のことだと思うのですが、そこに大きな認識の違いがあったのだと思います。年をとれば、何かをきっかけで、食べられなくなること、どっと衰弱が進むことがあると、広島の赤牛先生のように、説明がなされないと解らないご家族は山のようにいらっしゃいます。家族が延命措置を望まないので施設で自然のお看取り希望しますと言いながら、嚥下障害がひどい状況にも関わらずカロリーや水分摂取量にこだわり、施設に来る度、無理に口から与えてその度本人が苦しがる吸引をくりかえしていたケースがあり、家族への度重なる説明も理解されずだったため、とうとうこちらから病院での高カロリー輸液をお勧めして入院となったケースもありました。高齢者の低アルブミンの多くは、食事しても、腸から吸収されなかったり、吸収されても肝臓で代謝されず、栄養にならなくなる、所謂老衰を意味します。ですから、食べても栄養にならない状況においては、本人が嫌がらない程度の栄養補助食品と本人の好きな食べ物だけでいい段階となります。その方が長生きされます。しかし、いつかは、旅立ちの時がやってきます。しかし、元気だった親がいくら高齢だからといっても死んでしまうとは思いもよらなかった家族が、受け止めきれないまま、感情にまかせて今回のような裁判にでたのでしょう。餓死とは、本人が食べられる状況なのに十分な食べ物を与えないままに死んだ時のことを言います。高齢者や癌の方が食べられなくなっったり、食べても栄養にならずにやせ細っていって亡くなるのは、餓死ではありません。それなのに、餓死という言葉が出てくるとは、かなりショックな捉え方です。以上、拙い個人的見解を書かせていただきました。

Posted by 遠い声 at 2020年08月09日 02:43 | 返信

少なくとも「この先生ならどういう結果になろうと本望だ」と思えるような信頼関係があれば訴訟を起こそうという気持ちは起こりにくいのでは。話し合いがもっと綿密にされ、たとえ小さな疑問でもすぐに話し合える関係であったなら最善な選択ができたのでは。私の大切な母の場合は急変しても亡くなっても顔を見にも来ないような主治医のもとで亡くなり、私としては一生納得できていないです。看護師の姉二人には何を言っても聞き入れてもらえなかったので。

Posted by 匿名 at 2020年08月09日 02:59 | 返信

93歳、経口摂取量の低下と言うだけで老衰だと決めつけたのでしょうか。骨折、打撲の痛みが強い事が原因と考えなかったのだろうか?
息子さんは、適正な点滴、食事を与えられていると信じていたのでしょう。なぜ医師は点滴や食事量を絞ったのでしょうか?その説明と同意を得ていない事が問題だと思います。
医師の説明不足、説明義務を果たしていない。そう思います。

Posted by 匿名ナース at 2020年08月09日 03:31 | 返信

入院から亡くなるまで1か月半もあり、息子さんと主治医の信頼関係も築けてない状態で、在宅や転院のアドバイスを
する人が側にいなかったのかな?裁判を起こすほどお父様を愛していたのなら、納得できるまで主治医と話し信頼できる人に治療をお願いして欲しかったです。そもそも人生の主人公である、当事者の思いを誰も代弁していない。側にいた看護師はどんなふうにアセスメントして、どんな看護をしたのか?もし認知症を患っておられても、その人の思いをくみ取るのが看護です。
主治医とご家族との橋渡しをするのも看護です。ただ忙しく業務をこなし、看護師ではなく業務師にならないと心身のバランスを保てない病院のあり方も憂いています。天国で美味しい物をお腹いっぱい召し上がってくださることを祈ります。

Posted by ルナース at 2020年08月09日 05:42 | 返信

私はまず、93歳の父親の治療(?)を病院に求めたことに驚きました。
高齢になって食欲が落ちるのは仕方がないことで、「寿命」と考えて対処したがよい思います。自然に逆らわないことが一番で、93歳なら自然死や平穏死を視野に備えるべきではないでしょうか。
医療は万能だと勘違いしている人が多いようですが、いくら医療が発達しても死ぬべき人の命は助けられません。最終的に出来るのは、「胃ろうにつながれた」患者や要介護者をつくることだけで、不自然な長生きになり、家族の見舞いの足も自然と遠のくでしょう。

Posted by 丘の上の変人 at 2020年08月09日 07:54 | 返信

私は 本人の意思に反して チューブ漬けして 延命治療費を請求する病院と比べれば 良心的に思えます
。  少なくとも親子で死生観の話をしていなかった、のは 記事から感じますが。

私の母、90代後半は今 この話の逆をされています。 母の意志を一筆書いた書類作成もしているのに、中心静脈カテーテルを止めてもらえず、母の意志を理解してくださる老人ホームに入居可能になっても、突然 危篤にされ、紹介状を書いてくれなく 移動できなくする、 医者は会ってくれず、 ソーシャルワーカーさんに ハッキリ (僕はこの病院を守るために何でもする)とささやかれました。
コロナで何も行動できず 一年以上中心静脈カテーテルされたままです。

Posted by 匿名希望A at 2020年08月09日 08:41 | 返信

最近3週間入院させてもらいました。その階の病棟は全部お年寄りばかりでした。食事が自力でできず食べさせてもらったり
ポータブルトイレ使われの汚物の処理等初めて見ました。ベッドサイドの機会は食事介護どき使われました。詳しくは控えますが
生の介護現場を初めて見ました、以後その方の食事レベルは柔らかさが下げられました。。調理師さんも時々患者さんの顔をみて話せる人には食事内容をを聞かれてました。。老いるって残酷な部分もあるんだなと思いました

Posted by 匿名 at 2020年08月09日 08:45 | 返信

一番気になるのは、メディアが「餓死」という言葉を使って報道していることです。
最初から病院が悪いというイメージを読者に与えるのは、何か意図があるのかしらと勘ぐってしまいます。
昨日まで元気だった93歳の父親が、どんどん弱っていくのを見るのが辛いのはとてもよくわかります。
骨折して以降もそれまでも、介護を一人でになっていたのだとすると、介護者である息子さんが孤立している印象を受けます。
孤立して93歳の父親の介護をしているならば、老衰を想像できず、息子さん自身が疲弊しパニックになるのは無理からぬことだろうと思います。
病院側がもっと患者家族に寄り添い、丁寧な説明を心がけてもらえたらとは思います。
そういう病院の姿勢を生み出しているのも今の社会の問題で…。
高齢者、家族が少なく孤立する介護者、SOSを大声を上げても届かない今の社会に、何か問題はないのでしょうか。
これは介護者、病院のどちらが悪いという問題ではないように感じます。
少子高齢社会になるのは50年前からわかっていたというのに、
今も若者、子育て世代への支援は乏しいままです。
そんな状況で、高齢者の介護(老衰・死をみとることも介護のはず)だけが十分にいきわたるはずもなく‥‥と、悲しくなります。

私の父親は、もともと食が細く、老人保健施設に入所してからも食べる量は、徐々に少なくなり、
92歳の時老衰で、夜眠ったままあの世に行きました。
認知症でしたが、自分の状況を理解する力も残ってはいました。
無理に食べさせた方がよかったのかとなんて、考えたこともありませんでした。
家族も周りの介護スタッフからも、誰一人、父親の死に疑問を持つ人はいませんでした。
私は、父親が眠っている間に天国に行けてよかったと思いました。
父親自身も苦しまず、周りも父親に食べろと無理強いすることもなく、平穏な死であったと思っています。
亡くなる2ヶ月ほど前に父親は私に自分の状況を「仕方がないよ…。」と呟きました。
それが父親の意思であり、気持ちであったんだと思います。

この記事の息子さんもお父様も、そういう気持ちの余裕を持てるような支援を受けていなかったんだなあと
そのことが、やり場のない怒りを裁判に向けてしまうのではないかと思います。

Posted by sue at 2020年08月09日 11:05 | 返信

こっ、これで裁判起こしちゃう⁉ 

もはやコロナでの医療崩壊は免れつつありますが、こんなご家族が増えたら本当に医療崩壊ですね…。

息子さんは本当にお父様が大好きで、献身的に介護をされていたのでしょう。
いい息子さん、いい家族です。素晴らしき家族愛。

だけど、60代の息子が、90代の父親が死ぬことを一度も想定していなかったなんて……絶句。
おめでたすぎないか? この国の60代男子。

90代になったらたとえ持病がなくとも、どんな急変だって起こりえるし、
いつ死んだっておかしくない。死んだら大往生だ。だけど。

栄養や水分を絞って、枯れて死ぬこと ⇒ 平穏死 ⇒ 穏やかに逝きました! 先生、看護師さん、ありがとう!!!

栄養や水分を絞って、餓死させられた? ⇒ 殺人だ! ⇒ オヤジを返せ! 先生、訴えてやる!!!

これって、表裏一体ですね。紙一重。
幸福のコインが表になるか裏となるかは、家族の死生観? 医師の説明力? ジェンダーギャップ?・・・それとも、年金??


 

Posted by 愛のささくれナース at 2020年08月09日 11:34 | 返信

長らく施設看護師をしています。数多くの通院介助や家族との関わりから、何の根拠もありませんが、大体は、医療者の説明を10とするとそのうち2しか覚えておらず、その2も大体そこかーというところであると、経験上思っています。なので、理解してもらうには短いスパンでの繰り返しの関わりと説明が必要であると思って仕事をしています。グループホームに勤務している時、自然な形の看取りを経験し、病院時代のフルコースの末の死と比べて、こんなにも穏やかなんだと実感しました。数人の方の看取りまでの関わりの中で、ご家族の揺れる気持ちに寄り添う時にも、10分の2の法則が役立ったと思っています。一時認知症病棟で勤務した際、その病院の常識でしか物事を考ることができないスタッフが多いんだなーと感じました。家族は病院での生活なんて想像できないだろうに、わからない人にわかるようには説明できてはいないなと感じました。一方でそれをするには膨大な時間も必要であり、そこだけに時間を使えない事もわかります。また、しっかりしている家族であっても説明しても理解には時間がかかるという想像力に欠けるスタッフも多いわけで、家族ケアって一般業務との併用は難しいよなって思っています。また、本も書いてらっしゃるような認知症専門医でしたが、最初に家族に説明したら状態が変わるまでしないをモットーにされていました。キリがないからって事らしいのですが、何度かぶつかりました。それぞれの考えもわからなくはないのですが、ちょっとした理解の違いが日を追うごとに大きな溝になり、不信感につながります。家族が持つ医療者に対するネガティブな感情は患者さんにとってはマイナスにしかならないので、今の状況わかってるかな?と確認していくことには時間をかけた方が良いと思っています。全く理解しようともせず自分達の要求のみ伝え続ける方も一定数いるでしょうが。
このケースのここに至るまでの家族関係や病院内の状況を見ていたわけではないので誰がどう悪いとも言えませんが、関わった人全てが良いと思ってしていたとしたら、間を繋ぐ人がいたら違ったんだろうなって思ってしまいます。

Posted by 家族ケアがしたいナース at 2020年08月10日 08:31 | 返信

私はわかりやすい言葉で説明することはできているとは思うのですが、それでも非常に理解力が悪いというか、全然話が通じないご家族は結構いらっしゃいます。93歳の父親がまさか亡くなるとは、というのはまだいい方です。なので文書を渡して証拠を残しておくのは必須です。

急性期治療を終えてうちに転院してくる方のご家族には、前の病院では今後の展望とか栄養とかの説明はろくにされていないような(もしくは理解できなかっただけ?)印象があります。それなのに鼻からチューブが入って栄養補給された状態で転院されると、止めるに止められません。重度の認知症があるのに鼻のチューブと中心静脈カテーテル両方入って来られた方もいらっしゃいます。抜かれないようにと一苦労。

そういうことを考えると今回の「餓死訴訟」は病院の説明が恐ろしく足りていなかったのか、ご家族の理解力の問題か、よくわかりません。面談内容の文書を渡してさえいれば訴訟にすらならないはずで、病院側の脇の甘さはありそうに思えます。

Posted by 広島の赤牛 at 2020年08月10日 08:44 | 返信

やはりコミュニケーション不足かと。ターニングポイントはたくさんあった。ご家族や支援者は、治療方針をもっと確認するべきであった。支援者は、ご家族にもっと意向や疑問点を確認して病院側に伝えるべきであった。病院側は家族が納得出来るように説明の機会をもっともつべきであった。潤滑油であるべき専門職は何をしていたのか、と思ってしまいました。

Posted by 小林ヒロ at 2020年08月10日 09:33 | 返信

なかなか背景が見えてこない中での発言になりますが…

訴えを起こしたご家族が納得できないような関わりを医療側が行ったことが失敗だったような印象です
在宅療養の現場では ギリギリの選択をされます
病院ではありえないケアを行うこともあります
最後にお風呂に入りたいというご本人の希望をご家族も受け止め、その願いをケアチームが叶えることもあります 実際に訪問入浴後の一時間後にお亡くなりになったケースもありました
でも 訴えられるなんてことはなく ご家族は 最後にお風呂に入れてよかった、気持ち良さそうだった宝よかったね…と言われます
最後まで焼酎を飲みたいというご本人の希望をご家族が受け止め、最後まで焼酎を飲んで、息が止まるその時まで飲んでました ご家族は じいちゃんは最後まで好きな焼酎を飲めてよかったね…と言われます

本当だったらダメなのかもしれない
でもご本人、ご家族が納得できれば お亡くなりになった後も 支えとなって穏やかに過ごすことができます

人生会議…大事です

Posted by 宮ちゃん at 2020年08月10日 04:27 | 返信

〉匿名ナース at 2020年08月09日 03:31

さんの投稿と同じ気持ちです。
こんなナースさんが居てホッとします。


93歳だからすぐにも亡くなって当然、
が医療従事者の常識だと主張されても、そうは考えていない家族がいるのは奇妙とは言えない。


それまでお元気で 多数の医療を受けていないとしたら、
医師やナースには全幅の信頼を置いて、父親が良くなる治療をしてくださっているのだと思い込んでいたのではないか。


少し逸れますが、
私の親が骨折で入院中、ひと月を超えた頃に

婦長「歩くリハビリをして数週間ですが、捗らない。認知症が始まっているからです。もう歩けないと報告を受けている。」

私「手術以降、一度もリハビリして頂いた事はありませんが…。いつから始まるのかずっと待っていました。」

私が毎日朝から晩まで、親の病室にいるのをご存知なかったようです。

医療者側から、リハビリにベストなタイミングを選んでくれているんだから、黙って待っているべき、と思い込んでいました。全て良くなるように診てくださっている、そしてご多忙なんだから、色んな説明は医療者側からして下さるのを待つべき、と。(その後、リハビリ始まり歩けるように。)

今回、主治医の紹介での入院ならは、息子さんの意図が栄養補給入院であると伝わっていたと考えていたのだろうし。

延命処置はしない、の言質をとるにしても、その処置がどこまでを意味するのか(胃ろうはしないが、点滴は希望など)共通の認識がなかったのでは。

一般人からすると、医療者側が「93歳だから」に捉われ過ぎているように思う。捉われるなら
一般人に「93歳だから例外無く いくら最近まで元気だった、食事が完食だったとしても、あなたの父親にも急変の可能性が大いにある」

の説明があれば、ここまでトラブルにはならなかったように思う。10の説明の2しか理解していないの対処としては、それこそ定番とする書面を用意するなど。

Posted by よーこ at 2020年08月10日 09:41 | 返信

石飛幸三先生が「平穏死」を唱え始めてから10年ほど経ったでしょうか?
このケースで「病院に餓死させられた」と訴えられてしまうのであれば、私は何度訴えられることになるのか分かりません。それくらい、この10年ほどで、超高齢者の食べられなくなった時の自然な形でのお看取りを病院で働く看護師として経験してきました。


93歳と超高齢、結腸Caの疑いあり精査治療せず経過観察、内服によるコントロール中のDMあり。自宅での在宅療養中にベッドから転落直後から食欲が急激に落ちています。恐らくは、のちに検査して分かったという骨折の痛みによる体動困難や食欲不振が原因と考えます。転落してから入院までのタイムラグが3日間あって、その間に手術適応できないほど骨がずれてしまった可能性はありますが、整形外科的なことについては記事では触れられていません。整形Drの判断がどうだったのかという疑問はあります。ただ、年齢も含めて全身状態から治療対象ではなく保存的治療とされたのであれば、そこでも説明と同意があったでしょう。それをご家族がどう受け止めているのかも全く分かりません。


消化器系のがんは、入院や施設入所等の環境変化によるストレスでも急速に状態が悪くなることがあるというのは実感としてあります。また、内服でコントロールできていた糖尿病が、食事困難となったことによりコントロール不良となった可能性は否定できないと思います。それまでどうにか保ってきたカラダのバランスが、ふとしたことをきっかけにしてガタガタと崩れていくのが超高齢者の特徴とも言えますが、それをご家族の方はきちんと認識されていないように感じます。壊れた車や機械を修理するのとは訳が違って、部品を取り換えれば必ず直るというものでもなく、替えが利かないからこそ儚くもかけがえのない命なのだと思うのですが…それを多くの方に理解して頂くには相当な時間と労力を費やす必要があります。そこにどれだけ注力できていたのかということが重要ではないかと思うのですが、このケースにおいては、残念ながら医療者側からの説明が十分ではなかったというのがご家族の方の言い分のようです。


病名がつく病気であれば、入院して治療すれば必ず良くなるものだと思いこんでいる方は非常に多いです。本人90~100歳代、ご家族60~70代の方で『うちの父(母)に限って、死ぬなんてことはありえない』と普通に思っている方が多すぎます。そんなご家族の方にはいつも、長尾先生の著書『「平穏死」という親孝行』を引き合いに出しながら、長い長い命の選択のお話をさせて頂いています。そういったお話を看護師サイドからさせて頂いているこの10年ですが、ご家族の方とトラブルになったり、クレームにつながったり、はたまた訴えられたりといったことは一度としてございません。


いかに時間を費やして、言葉を尽くすかということが大事だと思っています。

Posted by A-K at 2020年08月12日 03:27 | 返信

訴えを起こされた息子さんは、67歳というご年齢と記事にありましたが、入院前も入院後も実父の介護に自ら携わっておられなかった印象を受けます。義歯の装着すら出来なかったり、医師に質問するコミュニケーション能力にも、落ち度があるのではないかと想像します。義歯の装着は、プロの介護福祉士に依頼されれば、お父上が嫌がる事にもならなかった事でしょう。お父上が既に介護保険サービスを利用されていると記事にある事から、インフォームドコンセントのための病院への付き添い等をケアマネジャーに依頼されれば、トラブルの発端となったコミュニケーション不足も解消出来ていたかもしれません。この息子さんは、お父上が利用されていた介護サービスの事業所や地域包括支援センターに相談する術も考え及ばなかったのでしょうか。67歳の息子さんは、ご自身の稚拙さや後悔を、怒りにまかせて他者を攻撃する外罰型の高齢者の典型と言えます。お父上が自宅で転倒時にも救急車を呼ばず、介護タクシーを要請したとの事ですが、対応が遅れれば生命にかかわる程のご高齢であるという認識さえ無かったのではないでしょうか。67歳の息子さんの認知機能がどのような状態であるかも、記事には書かれていません。49日間の入院中、お父上は息子さんに ご自身の意思は何も語られなかったのでしょうか。栄養摂取に対して心配があるなら、なぜ その時々に入院先の看護師には相談されなかったのでしょうか?私が家族なら、分からない事や疑念に思う事があれば、医師や看護師に詰め寄りますね。いくら多忙であっても、複数回詰め寄れば、看護師や医師は きちんと応えてくれるのではないでしょうか。入院中の処置や治療な対して不信感があるなら、転院も視野に入れた話し合いを、なぜ主治医となさらなかったのでしょう。この記事は、肝心な事がごっそり抜けており、67歳の息子さんの感情や訴えのままに入院先の主治医に対して明らかに悪意があり、世間の興味を引くように面白おかしく綴られていますが、肝心の患者自身の思いが何も書かれておらず、あくまで一方的で客観的な公正さを欠く記事だと思います。インフォームドコンセントは患者や家族の権利であり、医師が患者に意向も尋ねず『延命治療はしない。』と独断で話されたと記事にありましたが、にわかに信じがたいです。医師の話をこの息子さんがきちんと理解し応答できていたか、疑問です。昨今の行き過ぎた延命治療に警鐘を鳴らす論文が多い中、奇をてらった記事にしたかった事情が露呈している記事でした。後期高齢者人口が急増していく中で、病院や施設は今後はもっと、リビングウィルを活用された方が良いかと思います。

Posted by スタジオGREEN'S at 2020年08月12日 05:03 | 返信

これは私の率直な意見なのですが、通常アルブミン1では、『勝負あった、死期はものすごく近い、リハビリなど出来ない』と考えます。私は、アルブミン2でしたが、昏睡中で人工呼吸器でIABP(大動脈内バルーンポンピング)を行い、栄養はBさん同様、カテーテルで行われていました。私の意見に反論したい方は、アルブミン1でもその後回復して今では元気に暮らしているというな医療記事を見せてもらいたいものです。
たぶんに勝負あった体で入院したと思われますが、死期を早めてのは「低栄養」にあると思います。ですが、丘の上の変人さんと同意見です。70歳以下の現役世代なら話は別ですが、93歳で現役世代でもないのですから、いくら医療が発達しても死ぬべき人の命は助けられません。医療費の無駄遣いです。

Posted by なき at 2020年08月12日 10:22 | 返信

老々介護の現実を突きつけられました。
私と家族も約十年後には、この親子さんと同じ年齢関係になります。
その時、私が元気に何一つ判断を間違えずに家族の世話を出来ているかというと、全く自信はありません。今でさえ、的確な判断を連続して行うことは、とても大変だと感じるからです。全てを判断しなくてはならないからです。もちろん、家族の気持ちを大切に進みますが、最終判断は私がしなくてはなりません。仕事をしていなくても、人ひとりの命の世話は孤独で本当に大変です。

詳しい人間関係がこの記事からは見えてきませんが、明らかにご子息の判断能力は低下しており、老々介護のお疲れからの思考の混乱とは思えませんでした。やはり認知機能も衰え始めていたのではないかと推測いたします。
そんな方が、裁判を起こせるかと。
起こしてしまったのです。きっと何も深くは考えずに。
この時点では、まだ気力と体力と知識と裁判費用を持ち合わせておられたのでしょう。
親や家族の介護から解き放たれた瞬間に何を思うかは、人それぞれ。
もし、認知症を発症しても全ての能力が一気になくなるわけではなく、ご子息はお父上の死➡餓死した➡裁判で訴えるという思考になってしまい、後先のご自身の残された人生をどう生きるかまでは、この時点では思考が追い付かずに、ただただ単純に裁判を起こしてしまったのではないでしょうか。
周りのどなたかが、裁判は辞めるように促した方がいらしたかは?ですが、きっと周りのどなたもこの、ご子息の小さな変化には気が付かなかったのでしょう。
お父上の主治医でさえ、ご子息の判断能力の変化には気が付いていない。
外でのご子息は、きっとどこから見ても普通に受け答えが出来ていた方で、家でのご子息はどうだったのでしょうか?
ご子息ご自身も、ご自身の小さな体調の変化に気が付かないまま、必死にお父上のお世話を頑張られていたのではないでしょうか。
もう少しだけ、この親子さんにかかわっていた方の中に、ご子息の変化に気が付いてくださる方がいらしたら、残されたご子息の生活を裁判の時間に費やしてしまう事は無かったかもしれません。

人間関係、医療、介護、相手の目を見て行うことを忘れずにいたと思いました。

今回、私は私の見方で勝手な感想と推測をここに書かせて頂きました。
ご子息の穏やかな生活と、お父上のご冥福をお祈りいたします。

Posted by 轟 瞳 at 2020年08月13日 03:34 | 返信

入院の目的が栄養補給だったとしても、
検査の結果3日前の転落で骨折をしていたことがわかれば、まず痛みを取ってもらうことが優先になるのではないでしょうか
骨折していたのに3日間もほっておいてごめんねと
そこのところを考えなかったとしたら不思議すぎます。

糖尿のコントロールができていた
がんがあっても食欲があったというのは骨折をする前のこと。
なんの証明にもならない。
転倒してから3日間水分のようなものだけでも体重は減っていなかったと(むくんでいただけだと思いますが)
だったらなぜ栄養不良で入院させたのか

病院や施設で骨折しなくて良かったですね

Posted by ノバ at 2020年08月15日 12:38 | 返信

You-tube #117で長尾先生が述べておられるのを聴くと、この裁判の結果次第で、今後の医療・介護界に影響する事態を危惧しておられるのが解る。これまでの高齢者医療に纏わる裁判で、病院・介護施設側が敗訴しているという事実も意外だった。栄養不足・餓死 が裁判所に認められたなら、再び、管だらけ状態の高齢者を量産する時代に逆戻りする、という現象が起こるのだろうか。時代を逆行、元の木阿弥。
溺れて死ぬという不自然な現象に警鐘を鳴らし、枯れて死ぬ平穏死という人間本来の姿を説いてこられた
長尾先生の歩みを阻害する結果となる。
長谷川記者のプロフィール欄を開いたが、ポリシーとなる肩書や活動が見えて来ず、この裁判について
書かれた記事、文章と同じく、実態が分からない。私は自分の憶測から起承転結できる作家ではない。
ただ、記者が敢えて核心に触れないように書いた文章であっても、苦し紛れな文章の中に、訴えた息子さんの介護における無責任さが垣間見える。父上との関係性の希薄さと、裁判という力量のギャップがある。例えばの話だが、世の中には、親が生きていさえすれば、又は同居さえしていれば、自分が得をする立場にある人が一定数は居る。得というかニート的感覚という意味。それは大抵が、年金や相続、つまりは金銭が絡む。この記事の方が、そうなのか、どうなのか、をここで論じるのは不毛なこと。
医療や介護従事者は、様々な人間模様を見て仕事に従事しているが、多くが個人的事情には介入できない。けれど、嗅覚は働く。(この事例を云々するものではない。)
長年に渡り、長尾先生が平穏死を説いてこられた甲斐あって、今の時代は入院時に延命治療についてを
言及するのは、一般的な話だし、自治体によっては病床数の限界ゆえ、高齢者の入院そのものが限定されている。それには市民も理解している。骨折では入院お断りが受け入れられている。

Posted by もも at 2020年08月16日 06:44 | 返信

これまでの皆さんの書き込みと重なるところもあるかと思います・・・
記事ではお父様の介護度が書かれていないのですが、自分の両手で入れ歯をはめ食欲旺盛、外出時は車椅子を利用ということなら、自宅では自力で移動し、介護度もそれほどには重くなかったのだろうと想像します。息子さんは父親の最期の過ごし方など考えたことがなく、入院時も「終末期」という意識は全くなかったでしょう。
ベッドから転落後の3日間、恐らくはさほど手伝うことのなかった食事や更衣・排泄等の介助が急に必要になり、息子さんは慣れない手つきで介助した結果、身体の状態が悪化したとも考えられます。せめてケアマネさんに相談すればよかったのでしょうが、息子さんが一人で抱え込んでしまったようですね。デイで褒められる位「しっかり食べられる」ことが親子共に日々の励みであったでしょうし、だからこそ「食べられない」ことへの焦りや不安がさらに冷静さや余裕を無くしたのかなとも思います。
一方、病院の担当医は、お父様を元気にして家に帰すつもりがあったのかどうか。入院翌日からは食べられるようになったにもかかわらず、低栄養状態のまま留め置いたのはなぜか?お父様は本当に「食べられなくなった老衰患者」で回復の見込みがない状態だったのでしょうか。私は一般人で医療のことも人体のしくみも専門的な知識がないのでわかりませんが、記事の続編を読むと、息子さんが納得いかないことは分かる気がします。
今回のケースは、「餓死」ではないけれど、担当医の対応によって、お父様がそれまで自分なりに生きる努力をしてこられたこと自体が否定され、勝手に人生を強制終了されたように感じます。93歳と長生きしたからいいじゃないか、とは思えないのです。

Posted by taco at 2020年08月20日 05:08 | 返信

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