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京都ALS嘱託殺人事件に想う ー終末期医療の議論を広げる契機に

2020年09月09日(水)

京都ALS嘱託殺人事件への僕の想いを

日本医事新報9月号に書かせて頂いた。

Web版→こちら。掲載は9月19日号。

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[長尾和宏の町医者で行こう!!(113)]  

京都ALS嘱託殺人事件に想う―終末期医療の議論を広げる契機に  長尾和宏

もしも僕が彼女だったら

筋萎縮性側索硬化症(ALS)をわずらう女性(当時51歳)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が、女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警は7月23日、2人を嘱託殺人の疑いで逮捕した。8月13日、京都地検は2人を起訴した。今回、この事件に接して想うところを書いてみたい。

町医者になり25年間、これまで3000人以上の患者さんの終末期に関わってきた。そのなかにはALSの患者さんは20人ほどいた。現在も胃ろうと人工呼吸器を付けたALSの人とまだ付けていないALSの人を数人、診ている。今回の事件に関する各メディアの報道内容は見事にほぼ似たものだった。「医師はけしからん」「死ぬことではなく、生きることを考えよう」ばかりであった。確かにそうだが、それがこの事件の本質なのだろうか。 ALSは徐々に食べられなくなり息苦しさを覚え、最終的に胃ろうや人工呼吸器を付けるか付けないのかの選択に迫られる。日本では「付けること」を選ぶALSの人は3割ほどで、残り7割は「付けないこと」を選び、尊厳死・自然死を遂げている。つまり付けない人の方が多い。この傾向は海外ではさらに顕著で、胃ろうや人工呼吸器を付ける人は圧倒的に少ない。

その理由のひとつは国民皆保険制度をはじめとした社会保障制度の違いにある。日本はALSに限らず胃ろうや人工呼吸器を付けた患者さんに対する医療や福祉が充実している。24時間365日、患者さんの家にヘルパーが寝泊まりし、医師や看護師も定期的に訪問する。こうした公的支援が手厚いからこそ在宅療養が可能なのである。 それにも関わらず、胃ろうや人工呼吸器を付けないことを選ぶ患者さんのほうが多い。僕が関わってきたALS患者さんも皆さん、最初は強く拒否された。皆「一度付けたら、死ぬまで外せないんでしょう?」と聞いてくる。そのとき僕は「いや、場合によっては外せるかもしれませんよ」と答えてきた。とりあえずやってみて「でも、やっぱり止めたい」と思ったときの明確な答えが、今の日本の医療には用意されていないのだが。 メディアで生きる大切さを説くALS当事者は、既に胃ろうや人工呼吸器を付けている人ばかりだ。ご家族や患者会、支援者も同じで〝付ける選択をした人の意見〟しか報道されていない。

僕は〝付けない選択をした人の意見〟にも耳を傾けるべきだと思う。「死を考えるな」という意見があふれる中、知人による「彼女の選択を責めないで欲しい」というコメントが心に残った。生きることが大切なのは当然だ。しかし考え抜いたあげく死を望んだ彼女の心象風景に想像力を働かせるべきではないか。自分自身もそんな選択をする可能性がある。

もしも僕が主治医だったら

もしも僕が彼女の在宅主治医だったらどうしただろう。まずは彼女の決心をキャッチできただろうか。それを知れば彼女の声にじっくり耳を傾ける。2人だけで1時間、家族を交えて1時間、傾聴する。医療、介護スタッフ全員で彼女の想いを共有する。また、彼女が信頼する2~3人にもさらに深く話を聞いてもらい、対話の内容を家族とスタッフ間で共有する。傾聴と対話に徹して安易に結論を出さない。そんなことを1~2週間の間に2~3回繰り返す。 もしそれでも彼女の気持ちが変わらなければ、人工栄養のカロリーを徐々に減らすことを提案するかもしれない。すぐには生命に影響しないし、その間に彼女の考えが変わるかもしれない。注入するカロリーを緩やかに減らしながら、彼女の心境の変化を確認する作業を続ける。

それでも気持ちが揺るがず、家族やスタッフも彼女の意思を尊重するという意見で一致したなら、さらにカロリーを減らして水分だけにするかもしれない。 カロリーがゼロになっても、水分が1日500mLでも入れば人は死なず月単位で生きる。ただし、水分もゼロになれば7~10日後に最期を迎える。全身倦怠感と呼吸苦が強くなるのでモルヒネ等による緩和ケアや場合によっては持続的鎮静も考慮する。でもこれは安楽死ではなく尊厳死。人工栄養を差し控えた結果の死は尊厳死と呼ばれている。

尊厳死と安楽死を区別する

今回の報道に限らず多くのメディアや有識者は安楽死と尊厳死を混同している。しかし尊厳死と安楽死を区別して使わないと終末期の在り方の議論は成立しない。 尊厳死はまずは延命処置の不開始、つまり「最初から人工呼吸器、あるいは胃ろうを付けない先にある自然な死」である。その前提として患者さんの死期が近いこと、本人がそれを文書(リビングウイル)などで表明し、家族も同意していることと充分な緩和ケアなどが要件になる。

一方、安楽死とは「医師が薬物を使い人為的に患者さんの生命を縮めること」で、大きく2つある。一つは医師が患者さんに命を縮める薬を処方し、それを患者さん自身が使用して自らの命を絶つケース。主治医が自殺幇助をする行為はPAS(physician assisted suicide)と呼ばれ、スイスやアメリカの一部の州では法律で認められている。もう一つは主治医が自らの手で致死薬を注射して死に至らしめる行為で、オランダはこちらだ。どちらも日本では自殺幇助ないし殺人罪で刑事罰に問われる。 では、人工呼吸器外しはどうだろう。その場で死に直結するので, 議論が必要である。胃ろうからの注入の減量や中止(差し控えと表現される)は、一定の条件下で認められている。人工栄養を徐々に減らしていって、最終的に自然な最期を迎えるのであれば、それは最初から胃ろうを付けない選択をしたのと同じと解釈され、尊厳死である。あくまで終末期であることが前提となる。

人生会議が抜けている

今回の事件の報道で不思議に思うのは、どのメディアにも「人生会議」という言葉が出てこないことだ。あれほど国を挙げて宣伝していたのに、関係者もメディアも大切なキーワードを忘れている。 「死ぬ権利」が一部で話題になっている。彼女の選択を「死ぬ権利」と呼ぶかどうかはわからないが、「自分の死に関して希望を述べる権利」はある、と思う。生きることに意見を述べる権利と表裏一体だ。当事者が自身の希望を表明することは当然の行為だが、人生会議を経ることが大切である。そこで問われる命題は「今が終末期なのか」なのである。 僕の持論は「終末期は医学的な数字で定義できない。人生会議で決めるもの」である。医学の発達に伴い、さまざまな医療が可能となり、終末期が見えにくくなってくる。しかし、95%の人は癌であれ、認知症であれ、神経難病であれ、必ず終末期を経て死に至る。残り5%の人は事故死や突然死なので、終末期はない。

ALSの場合、胃ろうや人工呼吸器を付けない選択をした人では、口から食べられなくなり、呼吸がしにくい時期がその人の終末期と考える。一方、付けることを選んだ人は5年、10年単位で生きるが、ある時点から少しずつ衰弱して最終的に多臓器不全に陥り、そこが終末期と考える。つまり人によって、あるいは選ぶ医療によって終末期は異なる。

日本医師会の中川俊男会長は記者会見で、嘱託殺人を尊厳死や安楽死の議論の契機にすべきではない、と述べたと報じられているが、僕はそうは思わない。今回の事件は嘱託殺人の域を越えることはないが、終末期医療の在り方の議論を広げる契機にすべきではないのか。我々医師は、医療の受け手である市民が納得するまで安楽死に関する議論を重ねるべきだ。医師は美談に逃げるだけではいけない。 ただし僕は安楽死には反対だ。それに法的担保はないものの、事実上、尊厳死が容認されつつある日本において安楽死は不要であるという意味である。そんな想いは『小説「安楽死特区」』(ブックマン社)に書いた。諸先輩のご意見を聞かせて頂ければ幸いです。

@@@@@@@@@@@@@@@

昨夜は9月の国立認知症大学の講義だった。

沢山の熱心な学生さんに感謝申し上げます。

数名の医師にも参加頂いた。

とても嬉しかった、です。

PS)

コロナチャンネル #143

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この記事へのコメント

ケアマネしています。もし、この方の思いを汲み取る立場だったら…どう進めていただろうか?答えが出ないのですが、自分がもしそうだったら。のことで書いています。寝たきりになったら…私の祖父は10年以上入院し、祖母が病院に付き添いをしていた状況。鼻腔で流動物の栄養を取り、四肢の拘縮がひどく、仙骨部の褥瘡をポケット状で数年持ったうえで亡くなりました。そのイメージがあるからか?。自分であったら寝たきりになったら、過度な医療(お世話)は受けたくないと思っています。いつ意思表示ができなくなる事も考えて、今から夫、子供たちに伝えています。40代ですが人生会議はとても大切です。意思表示をきちんとする事から始まると思います。医療を否定する事でもないので、ケアマネとしては、日々の中では家族、信頼できる人とこれからどうして生活を送りたいか?どうしたいか?を考えてもらうように伝えています。自分がこういう考えだからといって相手に押しつける事はしないですが、自分の人生の過ごし方は実はどの世代でも話す事だと思っています。話すことに慣れていない…。と思う本人、家族を支援する側がまずは自分はどうしたいか?を知る事が必要だと思います。今年の初めに「iACPのもしバナゲーム」を研修で知りました。ゲーム感覚で自分の思っている気持ちを確認できるので、それをきっかけにして話をする事もありだなと思いました。

Posted by みっつ at 2020年09月09日 12:05 | 返信

いま先生の生地を読みals患者ってどんなことなのか画像を検索しました。。患者様のコメントがたくさん拝読出来ました
殺人を委託したことやるせないです。

Posted by その他 at 2020年09月09日 03:26 | 返信

#144 「偽陰性感染者爆弾」が怖いよ~
これを見ていて、私の知らない所で、思っている以上に大変なことになっていると改めて知りました
この疑心暗鬼を生み出したのは、特にTVの報道の在り方なのかもしれない
週刊誌などではまた、「ゴシップ作って売上伸ばそうとしているは」で済みますものね
疑心暗鬼→何でもないことまで疑いの気持ちがあるため恐ろしいと感じること
先生がコロナを医師として観察していて、インフルエンザが5類に関わらず、どうして感染症第2類なのか?
その為に、人災にまでなっているのに
本当に辛い思いをされていたことが良くわかりした
疑心暗鬼の反対語に「虚心坦懐」があります
物事に対して素直なわだかまりが全くない心でのぞむ
武漢の時に「コロナ」というパンドラの箱を人の手で(あえてこの表記にします)開けってしまった
でも、最後に残るのは「希望」の光
人災なら、人が何とかして行くしかない
コロナチャンネル、皆に紹介したいです
本当、文字で見ながら音で聞ける
助かっています

Posted by ナオミ at 2020年09月10日 05:50 | 返信

先日、健康や生活スタイルをテーマに取り上げる某TV番組を見て、記憶に新しいのですが、
ある地域住民の記録を、公的機関が何十年にも渡って収集し記録しているのを知りました。もちろん
自治体と住民個人の同意・協力が担保されてのことだと思いますが、健康診断データと運動や生活スタイルも含めたもの。研究の一助になるのでしょう。
ALSという病について、一朝一夕に語れるものでない難解さがあり、デリケートな尊厳を守るという部分についても、専門性を携えて接すべき分野だと思います。安楽死というテーマを取り上げる時に引き合いに出される病ですが、生活スタイルや境遇、及び病の進行の度合いによって、加えて当人の性格によって
考え方、向き合い方が異なることを理解しなければならないと思います。
周囲の人や世論もそうですが、当事者の方であっても、気持ちや考え方は絶えず変化するものではなかろうか?と思いを馳せます。これらはALSに限られたものでは、ありませんが、セカンドオピニオンを受ける
ことが困難な境遇を思う時に、定期的なカウンセラー対応を継続していくことによって、活路を見出すことができないでしょうか。人生会議、会議という部分に違和感を覚えます。
高齢者の終末期に対応する人生会議は、認知症や判断力低下を招く時期に備え、また地域包括的な考え方
(どこで最期を迎えるか)を選択するために有益だとは思いますが。

Posted by もも at 2020年09月10日 11:18 | 返信

昨日のテレビで、40歳代のお父さんが、パチンコやだとか病院の消毒をする会社に勤めていて、最近要望が多くて、我が家にも帰らず、会社で仮眠を取って猛烈に仕事をしていた。
すると、コロナ肺炎陽性となって、あれよあれよと言う間に、ECUOも使っても、亡くなられたと言う映像がありました。
お母さんは、始めお父さんが亡くなるとは夢にも思っていなくて、二人の子供にも「学校でお父さんがコロナ肺炎だとは言わないように」と言っていましたが、コロナ肺炎はこんなに危険だという事を知って貰いたくて、テレビ出演をなさったそうです。
消毒会社のほかの方はコロナには罹患もしていないし、亡くなって居ません。
お父さんは「俺がこの仕事(消毒の仕事)をしなければ、だれがやる!」と物凄い情熱で仕事をしていらっしゃったそうです。
40代の若い方も、夏バテで弱っている所へ睡眠不足で仕事をしている所な肺炎に罹る可能性があります。

Posted by にゃんにゃん at 2020年09月10日 12:00 | 返信

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