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コロナ病棟清掃員のコロナ死

2020年09月13日(日)

40代のコロナ病棟清掃員がコロナ感染で

亡くなられた、というニュースを偶然観た。

これってどういうこと?と、考え込んだ。

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コロナ病棟の清掃は誰もやりたくない仕事だろう。

しかし彼は、「俺がやらなゃきゃ誰がやる!」と。


まさに「殉職」であるが、どこで感染したか不明

なので、労働災害は認められないような感じだった。


奥さんは消沈していた。

なんて理不尽な物語か。


医師や看護師や医療事務は最初から殉職覚悟だ。

それがイヤなら、職場から逃げ出すしかないし。


火事を消火しようとして飛び込み亡くなった消防隊員や、

溺れている人を助けようと飛び込み自分が亡くなった人。


お釈迦様はこんな理不尽をなんて言うのだろう。

きっと何も言わないのか、「空」だけなのか。


僕は、こんなニュースに触れるたびに、

自分が生きていることが奇跡に感じる。


コロナは、容赦なく、運を試してくる。

「運」としか言えないような気がする。


感染予防しても、感染する人は感染する。

全く予防しなくても感染しない人もいる。


不公平だ、と言っても容赦ない。

だから余計に人々は恐れをなす。


「穢れ」という言葉は、感染症が付くことが語源らしい。

いつしかそれが「死」を暗示するように変わっていった。


コロナは「穢れ」なのか。

今私たちは問われている。


穢れというなら、感染症法2類。

もう穢れじゃないのなら5類だ。


来週発足する新政権よ、どっちなんや?

そろそろ明確にしたほうがいいじゃないか。


僕は、クルーズ船で沢山の無症状感染者がいることが

分かった時点から「穢れじゃない」と言い続けてきた。


しかし「穢れじゃ!」と声高に叫ぶ人が多い中、

かき消されてきて、もはや叫ぶ気力も失せた。


じゃあ、殉職した清掃員は穢れなのか?

貴方は穢れていないのか?と問いたい。


亡くなられた40代の清掃員は過重労働だった。

職場のソファーで仮眠を取る生活が続いていた。


そりゃ、自然免疫が落ちて感染症に弱くなるだろう。

いくら40代でも、今の時節の過重労働は良くない。


患者さんの中にも清掃業に従事している人が何十人もいる。

診察のたびに、ご苦労様です、と感謝の意を表している。


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昨日の徳島でも、コロナになると大騒ぎか村八分。

田舎に行けばいくほど「穢れ」になると実感した。


救急隊や介護事の迎者や警察など、みんながが

「当たり前」と思っている人たちも同じ人間だ。


コロナはm素直にさせる。

謙虚でいないといけない。


無理をせず、感謝して、

そして、歩こう!


今日は、東京医大の同窓会の理事会。

今から帰阪して、往診を回りますよ。



PS)

コロナチャンネル #147


がんになった緩和ケア医・関本剛さん登場! →こちら


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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

148.関本剛先生の、淡々とした「語り口」を聴く。
知人からの「遠くで祈ってます」が、心地よく響かれたとのこと。

個人的には、ご縁のあった方からいただいたり、はがきで「祈っています」とおたよりします。せっぱつまって「祈り」という言葉を結びに、なんとなく逃げていました。
毎日、街角や駅前広場でデモンストレーションを兼ねて気功八段錦や棒ストレッチをやっていますが、最後に目を閉じ「ディアーナ・ムドラー」(定印)の印相で結びます。「祈っているような、いないような」。

この1週間は、「7枚の黒マスク」大坂ナオミに向かって祈ってました。
7枚は成就したので、対戦相手のアザレンカが勝利してもよかったのです。
日本の往年のテニスプレーヤーたちが言っていましたが、大坂の「体幹」が凄かった。(澁野は筋トレやり過ぎか、「体幹」に難ありとか。)
そういう技術面はともかく、大坂の「信念」が半端ではない。

長尾先生の「ノーワクチン」、往年の日野原先生の「ノーマスク」。
ドクター独特の「信念」というべきか。
「死ぬ気がしない」という百歳越えの女性作家もいた。
「祈り」や「信念」、「差手」や「印相」にも、自然免疫ならぬ、なにかがある。

Posted by 鍵山いさお at 2020年09月13日 04:31 | 返信

たけしのテレビタックルでも「コロナに感染した人を差別するのはおかしい」と言っていました。
感染した人は犠牲者なのに、犯罪者扱いする人がいるのはけしからんとたけしも言っていました。

Posted by にゃんにゃん at 2020年09月13日 10:11 | 返信

今の時代は「自分の身は自分で守る」しかなく、医療現場などの過重労働の職場を去るのも仕方ないでしょうし、それを引き止めてはいけない。家族の介護で疲れが溜まっている人が、介護から逃げることを考えても、それを責めてはいけない。世の中のため家族のためと頑張っていても、コロナに感染して死んだら自分の人生が失われます。
疲れが溜まり自然免疫が落ちて、感染症に弱い身体になったら死ぬのです。

Posted by 丘の上の変人 at 2020年09月14日 10:02 | 返信

医療機関、特に大勢の患者が来る大病院は「コロナ感染者がたくさん集まる場所」と認識されています
クラスターが起こるたびに「○○病院でクラスター発生」とネットやTVニュースになります。
市中に蔓延しているにもかかわらず、いつまでもクラスター!と叫び続けるのはどうしたものか?
医療従事者と入院患者・外来患者全員に定期PCR検査やらない現状ではクラスターは防ぎようがない。
保健所はクラスターの感染源=犯人を捜査します。最初の感染者=感染を拡大させた犯罪者という認識になりますので、感染者=犯罪者扱いになるのは避けられない構図です。発症2日前からうつしますので。

Posted by マッドネス at 2020年09月14日 10:19 | 返信

田舎では完全に「穢れ」ですね
私の住んでいる近隣地域での初めての感染者は、2名います
1名は感染完治後に、地元で差別を受け、自殺されています
もう1名は、感染確認後に職場へ石を投げられるなどされ、完治後に一家で他都道府県へ逃げるようにいなくなりました
感染症というのはいつの時代でも「穢れ」なのでしょうね
こんなにインターネットが普及し、テレビでの嘘や誇張・印象操作までも信じ込み、ワイドショーの煽りに乗せられる
ファクトチェックなんて誰もしないのでしょう
私は持病があるわけでもないですが、仕事以外はほとんどノーマスクです
買い物へ行くと、殺されそうになる視線を感じます
同調圧力は時に凶器になり、ただの風邪に罹った人の命までも奪っていきます

「目には目を、歯には歯を」と言いますが、ただの風邪で命を奪うような言動をした輩には、もし感染したら、命を奪われたらいいと思います
人の言動を縛るということは、他人からも縛られるということを理解していない人が多いように思います

Posted by 匿名 at 2020年09月14日 11:57 | 返信

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