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お彼岸に誰を想う

2020年09月22日(火)

敬老の日と言っても皆、孫とオンライン面会。

コロナが、新しい敬老の仕方を教えてくれた。

お彼岸も過ぎて少しずつ過ごしやすくなった。

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僕はこの秋はボーっとしている。

講演やイベントは軒並み中止に。


4連休と言っても仕事に埋没。

在宅患者さんに休日などない。


今日という1日は僕にとっても貴重だけど

在宅患者さんにとっては10倍貴重である。


それが分かっているので休めない、休まない。

それは看護師さんも一緒なので、頭が下がる。


行楽地はどこも超満員とのニュースに喜んでいる。

「お盆明け」ではないが「コロナ明け」の4連休。


僕は、コロナの先がはっきり見えている。

コロナチャンネルでチョビチョビ言っていく。


皆さん、お彼岸といえばお墓参りに行きました?

そして「お彼岸」の意味って、知ってましたか?


以下は、ヨロンさんの有料メルマガにあった江田さんの言葉。

どっちも知り合いなので江田さんの文章だけ転載させて頂く。



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心に沁みる掲示板のことば 第13回 


「お彼岸」と掲示板のことば   江田智昭(僧侶)


昨年の9月26日に拙著『お寺の掲示板』(新潮社)が発売され、今週でちょうど1年が経ちます。おかげさまでいまだに話題になっているようで、9月12日・13日と2日連続で『朝日新聞』朝刊の「折々のことば」の中で『お寺の掲示板』が取り上げられました。ちなみに鷲田清一先生のおススメの掲示板は、9月12日「終活することとあなたの成仏とは無関係です」(京都府・玄隆寺)、9月13日「のぞみはありませんが ひかりはあります 新幹線の駅員さん」(千葉県・本妙寺)でした。  先週はこの『朝日新聞』の他に雑誌『anan』や『しんぶん赤旗』でも取り上げていただきました。わたしのこれまでの人生の中で全く無縁な存在であった『anan』と『しんぶん赤旗』。この2つの媒体のあまりのギャップに戸惑いつつも、どんなジャンルの媒体にも適応してしまうところが「お寺の掲示板」の凄いところだなと改めて感じました。  ところで、気が付けば今年も早いもので秋のお彼岸の季節がやってきました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、ここにきてようやく涼しくなってきたような気がします。明日はお彼岸のお中日ということでお寺やお墓にお参りをされる方もいらっしゃるかもしれません。今回のテーマはこの時期に合わせて、「お彼岸」について書かせていただきます。


■「お彼岸」の由来  


みなさんは「お彼岸」の行事の由来をご存知ですか?「彼岸」とは、サンスクリット語の「paramita(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」の略語です。 私たちが生きているこの世界が「此岸(しがん)」であり、それに対して、悟りの境地を意味する彼方の岸を「彼岸(ひがん)」と呼びます。  浄土思想における「彼岸」とは「極楽浄土」を指し、それは西の方角に存在すると言われてきました。お彼岸の時期の春分の日と秋分の日には太陽が真東から昇り、真西に沈みます。その沈む太陽に向かって礼拝し、西方の極楽浄土に思いを馳せたのがそもそもの「お彼岸」の始まりであり、そこに先祖供養の要素が強く加えられて現在の「お彼岸」になったのです。  この「お彼岸」の由来にもなった西方浄土に思いを馳せる行為は、実は仏教の中で修行の一つにも定められていました。『観無量寿経』の中には極楽浄土を思い浮かべる「観想」という修行が説かれており、その中に浄土を想って日が没する様子を見つめる「日想観」というものがあります。お釈迦さまは『観無量寿経』の中で以下のようにおっしゃっています。  「そなたや未来の人々は、ただひたすら西方に思いをかけて、その世界を想い描くがよい。では、どのようにして西方を思い描くのだろうか。(中略)その観を始めるにあたってはまず姿勢を正して西に向かって座り、はっきりと夕日を想い描くがよい。そして心を乱さず、思いを一点に集中して他のことに気をとられずにいられたなら、次に、夕日がまさに沈もうとして、西の空に太鼓が浮かんでいるようになっているのを見るがよい。それを見おわった後、目を閉じても開いても、その夕日のすがたがはっきりと見えるようにするのである。このように想い描くのを日想といい、第一の観と名づける」(『観無量寿経』)  西方に存在する「浄土」は「光の世界」とも呼ばれていますので、「太陽」の光とも重なります。釈徹宗師は『「観無量寿経」をひらく』(NHK出版)の中で、以下のように述べています。  西に沈む夕日というのは、「帰る」世界の象徴です。いつか私もあの大きな命の根源へと帰って行くのだという信仰は、おそらく世界各地に、仏教以外にも以前にもあるでしょう。夕日を想念するというのは、そんな原初的な信仰と仏教とが融合してできた、宗教的実践であるように思います。  釈徹宗師のおっしゃるとおり「夕日」と「還る世界」を重ねる信仰は世界の他の場所にも存在します。ちなみに映画「スターウォーズ」の中で登場する夕日も大きな命の根源(命の還る世界)という意味合いで描かれていますので、意識してご覧になられるとよいかもしれません。


■絶好の「日想観」スポット  


大阪にある聖徳太子ゆかりの四天王寺では、夕日が真西に沈むお彼岸の中日の日没の時間帯に、現在でも「日想観」の法要が行われています。四天王寺は大阪の街のど真ん中にありますが、創建当時はそこから大阪湾に沈む夕日を綺麗に眺めることができました。つまり、真西の方角が海であったため、「日想観」を行う上で非常に素晴らしいスポットだったのです。この四天王寺で最初に「日想観」の修行をしたのは空海(774-835)だったともいわれていますが、真相はよくわかりません。しかし、11世紀頃までには四天王寺の西門が極楽浄土の東門に接しているという信仰が確立していたようです。  四天王寺の「日想観」の法要は大変長い間途絶えていましたが、2001年の秋に復活し、現在では春と秋のお彼岸の際に催されています。夕日が西門(極楽門)の間に沈んでいく時間に合わせて、僧侶らが表白文や発願文を読み上げ、読経を行います。四天王寺のHPを見ると、明日(9月22日)の午後5時20分から「日想観」と書かれていました。一年に二度しかないチャンスですから、大阪の近郊で興味のある方は足を運んでみると良いかもしれません。


■掲示板のことば 


もろともに夕日に向かう飛雁(ひがん)かな  私自身は現在東京の都心部で生活をしていますので、ここ最近沈む夕日をじっくり眺めたという記憶が残念ながらほとんどありません。しかし、ドイツのデュッセルドルフに住んでいた時(2011年~2017年)は高い建物が周囲にあまりなかったため、沈んでいく夕日をいつもぼんやりと眺めていたのを覚えています。映画「ALWAYS三丁目の夕日」が大ヒットしたように、夕日には多くの人に懐かしい思いを起こさせる何かを含んでいます。みなさんも西の彼方に沈む夕日を見つめていると、なぜかノスタルジックな気持ちになりませんか?  以前、宗教学者の山折哲雄先生が韓国人の仏教学者から「"夕焼け小焼け"の歌には日本人の宗教観が詰まっている」と指摘されたというお話をされていました。山折哲雄先生曰く、童謡「夕焼け小焼け」の歌詞の「お手々つないでみな帰ろ」は「帰るべきところに帰れよ」というメッセージであり、「落日(西)の彼方に存在しているお浄土に帰れ」という意味合いが暗に含まれているそうです。また、「からすといっしょ」の部分に、仏教特有の「共生」の思想を見いだすことができ、韓国人の学者の指摘の通り、日本人に深く根付いた宗教観を読み取ることができるとおっしゃっておられました。  どんな人間でも生まれ故郷を懐かしむ気持ちを心のどこかに持ちあわせています。西の彼方に沈んでいく夕日。そこにわたしたちが懐かしさを感じてしまうのは、命が還っていく場所を無意識にどこかで重ね合わせているからなのかもしれません。  明日はお彼岸のお中日です。仏さまに手を合わせながら、ご先祖様を偲びつつ、自分のいのちの還る場所に思いをいたす一日にしたいものです。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


実は僕は平成17年に、四天王寺の奥の部屋で夕暮れ時に

「日想観」を本当にやったことがあるのです。


第2回仏教看護ビハーラ学会が四天王寺さんで開催された時、

実際に誰かが死ぬ人の役になって皆で臨終儀式をやりました。


宇治の平等院から、綱引きの綱のような縄を取り寄せてて頂き

旅立つ人の周囲を人が取り囲み、お経を述べながら、縄を回す。


あの時、まさに「西日」の方にお祈りしたことを思い出しました。

江田さんの文章を読みこの修業をしたのが空海さんと知り驚いた。


僕は聖徳太子さんと空海さんが大好き。

生きている人なら釈徹宗さんも大好き。


僕の親父は「徳治」ということもある。

空海さんは永遠のスーパースターだし。


その空海さんが生まれた善通寺で僕も生まれて

空海さんが修行した四天王寺で僕も瞑想した。


あり得ない貴重な体験をしたことを昨日のように思い出している。

この学会は僧籍を持つ医師や看護師が多いが、誰でも参加できる。


みなさん、お彼岸に誰かを想いながら瞑想してくださいね。



PS)

コロナチャンネル #156


ドクター和の部屋 

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この記事へのコメント

江田智昭のお寺掲示板紹介で「お彼岸」とか「だいじょうぶだあー」とか、とりあげておられるのですね。軽妙で分かりやすい。なんとか臭さがまるでない。

「彼岸」も「大丈夫」も、梵語の意訳(漢訳)なのでなんとか類推できるが、「般若波羅観密多」とか「ギャーテー ギャーテー ハラソーギャーテー」とか、漢字体・漢音読みとなると、意味不明。難解文字で意味不明であるがゆえに「有り難く」なってしまう。「般若」が智慧の意とは思いもつかない。
インド思想が中国言語(漢字思想)に変換されて直輸入。漢音・宋音で日本的節回し・「声明」(ショウミョウ)として再変換された。

長尾先生は、四天王寺で「日想観」をやられたことがあるとのこと。
四天王寺の西向かいにある一心寺の日想殿?で、般若心経のサンスクリット読経に参加したことがあります。遥か昔のことです。

Posted by 鍵山いさお at 2020年09月22日 04:14 | 返信

春分秋分はヒガンではない。

Posted by ガーゴイル at 2020年09月23日 04:01 | 返信

いのちが「帰る」、記事を読み進めるにつれ緊張している身体が解れる思いでした。
こちらの記事を読む前に、報道ステーションで藤井風さんの「帰ろう」という歌を知りました。独自の死生観が表現されているような歌詞が、コロナ禍にあって多くの人に受け入れられているそうです。「帰る」お話が重なったのも何かのお導きかな。
お彼岸は、隣県にある私の実家にはとんぼ返りで「南無大師遍照金剛」を唱えてきました。一昨年昨年と続けて親の葬儀を出し何度も手を合わす機会が重なったことで、やっと「姿勢を正して呼吸を整え手を合わせる」ことの大切さが解ったような気がします。
随分前に、人生の先輩から聞いた話。毎日寝る前にお仏壇に手を合わせるけれど、その時に何も願い事がないのが一番いい状態で、ただ感謝の気もちが持てたら幸せだと。
今はやっぱり、コロナが早く落ち着きますよう、家族皆が無事でいられますよう・・・それから、ウイルスを完全に無くすことは出来なくても、せめて差別や偏見が無くなりますように・・・

Posted by taco at 2020年09月24日 10:32 | 返信

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