このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com

ALS嘱託殺人事件に関する2本目の記事

2020年11月04日(水)

京都のALS嘱託殺人事件に関する自論が

朝日新聞に続いて毎日新聞に掲載された。→こちら

皆さまのご批判をお待ちしている。

2つの応援
クリックお願いします!
   →   人気ブログランキングへ    →   にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ
 
 


前回紹介した朝日新聞「論座」 →こちら


今日、御紹介する毎日新聞の記事

「タブー視せず「死」考えよう」 →こちら


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

朝日新聞 論座 「京都嘱託殺人事件」インタビュー① 長尾クリニック院長 長尾和宏医師<上>

#長尾医師プロフィール 長尾クリニック院長 長尾和宏医師 医学博士。1984年東京医科大学卒業、大阪大学第2内科に入局。1995年兵庫県尼崎市で開業し、複数医師による年中無休の外来診療と在宅医療に従事。公益財団法人・日本尊厳死協会・副理事長、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事、日本在宅医学会専門医。関西国際大学客員教授。著書『小説・安楽死特区』『平穏死・10の条件』『長尾和宏の死の授業』ほか多数。

#前文 ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらう女性(当時51)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が、女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警は2020年7月24日、2人を嘱託殺人の疑いで逮捕した(8月13日、京都地検は2人を起訴した)。

医師が難病の女性を死にいたらしめたこの事件を、多くの終末期医療に関わってきた医師はどう見ているのか。長尾クリニック院長の長尾和宏さんに話を聞いた。


#本文(3500)

――長尾さんは、これまで多くの患者さんの終末期にかかわってきました。

3000人以上になるでしょうか。そのうちALSの患者さんは20人ほどいました。いまも胃ろうと人工呼吸器を付けたALSの人、付ける前のALSの人を数人、診ています。ここ(取材)に来る直前にも、家族から相談があったばかりです。5年前から胃ろうと人工呼吸器を付けて在宅療養生活を続けているALSの人ですが、「最近、意識レベルが低下しているが、どうしたらいいか」という内容でした。

――今回の事件を、長尾さんどう見ていますか?

各メディアの報道内容はほぼ似たもので、「殺人をおかした医師はけしからん」、「死ぬことではなく、生きることを考えよう」という論調ばかりでした。たしかにそうなのですが、それがこの事件の本質でしょうか。僕は2つの土台がきちんと報じられていないことに違和感を覚えました。

――二つの土台ですか?

そう、一つはALSという病気の基礎知識、もう一つは安楽死と尊厳死の混同です。 ALSは、運動神経系の神経が障害されることで、徐々に筋力が衰えていく病気です。進行すると手足の筋力だけでなく、嚥下機能や呼吸機能も低下するので、徐々に食べられなくなり息苦しさを覚えます。最終的に胃ろうや人工呼吸器を付けるか付けないのかの選択に迫られます。

――付けて何年か生きるか、付けないまま最期を迎えるか。

あまり知られていませんが、日本では実際に「付けること」を選ぶALSの人は3割ほどで、残り7割は「付けないこと」を選び、自然死を遂げています。付けない人の方が多いのです。この傾向は海外ではさらに顕著で、人工呼吸器を付ける人はごく少数だと聞いています。

――その違いはどこにあると思いますか。

それは社会保障制度の違いで、日本はALSに限らず、胃ろうと人工呼吸器を付けた患者さんに対する医療や福祉が充実しているからです。例えば、そういう人の在宅療養では、痰の吸引ができる資格を有するヘルパーが、24時間365日、患者さんの家で寝泊まりして、みてくれます。医師や看護師も定期的に訪問してくれます。こうした在宅療養への公的支援が手厚いからこそ、ALSの人の在宅療養が可能なのです。

――それでも、胃ろうや人工呼吸器を付けないことを選ぶ患者さんのほうが多い。

残念ながら、そうなのです。少なくとも僕が関わってきたALS患者さんに限れば、付けようと決めていた人は一人もいません。皆さん、最初は強く拒否されていました。

――付けない理由というものがあるのでしょう。

みなさん、最初はこう言いますね。「一度付けたら、死ぬまで外せないんでしょう」と。そのとき僕は「いいえ。場合によっては外せるかもしれませんよ」と答えます。とりあえずやってみて「でも、やっぱりやめたい」と思ったときの答えが、いまの日本の医療には用意されていないと思います。

――いずれにしても、ALSの患者さんは自分の〝生き死に〟を自分で決断しなければならない。

ですから、元気なうちから「リビングウィル(living will)」を書いているALSの人も少なくありません。リビングウィルとは自分がどんな最期を迎えたいのかを示すもので、〝命の遺言状〟とも呼ばれています。

――このような話はあまり報道に出ていないような気がします。

それは、メディアで意見を述べているALS当事者は、すでに胃ろうや人工呼吸器を付けている患者さんばかりだからです。ご家族や患者会、支援者もそう。〝付ける選択をした人の意見〟だけでなく、〝付けない選択をした人の意見〟にももっと耳を傾ける必要があると思うのです。 僕は、こういう人たちの「死は考えないでほしい」「生きててほしかった」という意見を聞くたびに、「では、付けないで天国に行ったALSの患者さんが、この事件を知ったらどう思うのだろう」と考えてしまいます。生きることが大切なのは当然です。しかし何より、考え抜いたあげく死を望んだ彼女の心象風景にも想像力を働かせるべきではないのでしょうか。

――一方、女性を安楽死させた2人の医師についてはどう考えますか?

2人の行為は嘱託殺人であり、決して許されない犯罪です。ただ、今回の事件を論じるときに彼らの独断的な考えや、金銭の授受はいったん切り離して議論すべきだと考えます。なぜなら、ことの発端は彼女がSNSに発信したことだからです。 ――事件の核心はどこにあると思いますか? 「死にたい」という女性の心の声に寄り添う人が一人もいなかったことが、最大の問題だと思います。家族も30人にも及ぶ在宅医療チームが誰一人、彼女の悩みと重大な決断に気が付かなかった。

――では、長尾さんが女性の主治医で、「安楽死」について相談されたら?

僕なら、まず彼女の声にじっくり耳を傾けます。実際、これまでも何度かそんなことがありましたが、2人だけで1時間、家族を交えて1時間、傾聴します。疲れますが、とても放っておけない心の声なので、惜しみなく時間をかけることが第一です。 そして彼女の心象風景を想像し、何ができるのか自分に問いかけます。そのうえで医療、介護スタッフ全員に声をかけます。みんなで彼女の想いを共有し、意見を求めます。また、彼女が信頼する2~3人にもさらに深く話を聞いてもらい、対話をします。

――対話とは?

お互いにフラットな関係でじっくりと話し合うことです。彼女は僕に言った内容とまったく違うことを話すかもしれませんが、そういうことはよくあります。そして、その内容を家族とスタッフ間で共有します。この日は傾聴と対話だけに徹して、結論は出しません。そんなことを1~2週間の間に2~3回繰り返すでしょう。

――それでも気持ちが変わらなければ?

彼女に「なんでもいいから、いまやりたいこと」を聞きます。「遊園地に行きたい」と言われれば、なんとかして連れて行くかもしれません。生き甲斐というか、生きている実感を共有しようとします。 それでも死を求める気持ちが変わらないのであれば、胃ろうから注入する人工栄養のカロリーを徐々に減らすことを提案するかもしれません。栄養状態が少し悪くなるかもしれませんが、それだけではすぐに生命に影響しません。 ――なぜそんなことをするのですか? その間に彼女の考えが変わるかもしれないからです。それでもだめなら主治医を別の医師に交代することを提案します。それは逃げるという意味ではなく、主治医が変わることで患者の気持ちが変わることがあるからです。 しかし、そのまま担当するのであれば、注入するカロリーを緩やかに減らしながら、彼女の心境の変化を確認する作業を続けるでしょう。それでも気持ちがまったくゆらがず、家族やスタッフも彼女の意思を尊重するという意見で一致したら、さらにカロリーを減らして水分だけにするかもしれません。

――そうすれば、彼女はやがて最期を迎えます。

いいえ、カロリーがゼロになっても水分が1日500mlでも入ればすぐには死にません。ただし、水分もゼロになれば7~10日後に最期を迎えます。でもこれは安楽死ではなく、尊厳死です。人工栄養を差し控えた結果の死は尊厳死です。 ――尊厳死は安楽死とは違う、と? その通りです。メディアも、専門家と称される人も、多くが安楽死と尊厳死を混同しています。「そんなむずかしい用語なんてどうでもいい」という意見もありますが、尊厳死と安楽死をしっかり区別しないことには、終末期の在り方の議論は成立しません。

――2つの死はどこが違うのでしょうか。

尊厳死は延命処置の不開始、つまり「最初から人工呼吸器、あるいは胃ろうを付けない先にある自然な死」です。その前提として、患者さんの死期が近いこと、本人がそれを文書(リビングウィル)などで表明し、家族も同意していることなどが条件になります。

――では、安楽死とは?

安楽死とは「医師が薬物を使い人為的に患者さんの生命を縮めること」で、大きく2つあります。一つは医師が患者さんに命を縮める薬を処方し、それを患者さん自身が使用して自らの命を絶つケース。医師が自殺ほう助をするのでPAS(Physician Assisted Suicide)と呼ばれ、スイスやアメリカの一部の州では法律で認められています。もう一つは医師が自らの手で致死薬を注射して死に至らしめる行為で、オランダはこちらです。どちらも日本では自殺幇助ないし殺人罪で刑事罰に問われます。

――この2つにあたらないのが、延命措置の中止です。

人工呼吸器を外す行為は、その場で死に直結するので議論が必要かもしれませんが、胃ろうからの注入の減量や中止に関しては事実上、認められています。 人工栄養を徐々に減らしていって、最終的に自然な最期を迎えることができるのであれば、それは胃ろうを最初から付けなという選択をしたのと同じで、尊厳死と考えらます。もちろんこれは、あくまで終末期における話ですが。 僕は、これまで20人くらいの老衰の高齢者や認知症の患者さんの胃ろうの注入量を減らした経験があります。こうした行為を「消極的安楽死」と呼ぶ人もいますが、ただでさえ正しく理解されていない安楽死の前に積極的とか消極的といった形容詞を付けるのは疑問です。少なくとも僕は使いません。

――長尾さんの考える尊厳死とは?

3点あります。第1点は本人の意思(リビングウィル)と家族の同意。2点目は終末期であることです。「死期が近い」ことが大前提。胃ろうや点滴による人工栄養や人工透析をやめるのは原則、終末期に限られます。3点目は十分な緩和ケアが提供されること。これはもっと強調されないといけません。

――そういう選択肢があれば、胃ろうや人工呼吸器を付ける・付けないという二者択一にはならない。

その通りです。僕が診ているALSの人は、付けたあとに「中止」という選択肢もあることを知っているからこそ、現在も継続しているのだと理解しています。付けてから中止を願い出た人はまだ経験していませんが。 ――そういうことを多くのALS患者さんは知らないのでしょうか。

わかりません。実態に関しては、ALS協会に聞いてみてください。僕はまだ声を上げていないALSの人の心の声、本音を知りたい。7割が胃ろうと人工呼吸器を付けることを選ばない理由の一つに、「一度付けたら外せない」と理解しているからだとしたら、それは残念なことです。 京都の女性は胃ろうを付けていた。だから安楽死以外に方法はないと思って、今回の決断をしたとしたら、それは知識次第で気持ちが変わったかもしれず、残念に思います。


-----------------------------------

論座 「京都安楽死事件」インタビュー① 長尾クリニック院長 長尾和宏医師<下>

#前文 7月に発覚した京都嘱託殺人事件。以来、多くの声がメディアで報じられているが、これまで多くの終末期医療に立ち合ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏さんは、「報道は事件の本質を避けている」と感じている(インタビュー<上>に掲載)。では、どんな議論が必要なのか。長尾さんのインタビュー<下>をお届けする。

#本文(3500)

――今回の事件で、女性はスイスでの日本人女性の安楽死を扱ったNHKのドキュメンタリー番組を観たことも報道されました。

NHKの報道の影響を受けたことは間違いないでしょう。スイスに渡り致死薬の点滴で最期を迎える、あのような死に方に憧れたのかもしれません。 でも、僕はあの番組に対して大きな疑問を抱きました。京都のALSの女性はあの番組の二次被害者とさえ思いました。現在BPO(放送倫理・番組向上機構)にかかっているそうですが、当然です。厳密な検証を望みます。スイスで亡くなった多系統萎縮症の女性は自殺であり、それをテレビが報じたのです。

――もし女性があの番組を観ていなかったら、あのような最期を迎えることはなかったと思いますか?

それはわかりません。しかし、もし僕が彼女の主治医だったら、時間をかけてあの番組の倫理違反を説明していたでしょう。実際、あれ以来、安楽死を希望する患者さんが後を絶たず困っています。「私もスイスに行きたい」という人たちです。多くの視聴者が共感したようですが、テレビが自殺や殺人で視聴率を稼ぐ行為には大きな疑問があります。

――いずれにしても、彼女の場合は話し合いが足りなかった。

そうです。そこが本質です。でも、そこに至らなかった。今回の事件の報道を見聞きしていてたいへん不思議に思うのは、どのメデイアにも「人生会議」という言葉が出てこないことです。あれほど国を挙げて宣伝していたのに、こういう肝心なときに関係者もメデイアも、もっとも大切なキーワードを見事に忘れている。 僕は重要な意思決定の場では、必ず人生会議を繰り返します。その物語の方向性を全員で共有します。彼女のような状態であればなおのことです。

――確かに、人生会議という言葉は一度も出ていないように思います。

果たして、30人の医療・介護スタッフはどんな人生会議をしたのでしょうか。彼女の本音に気が付いた人はいなかったのでしょうか。あらゆるアプローチをしても彼女の気持ちがまったく揺らがなかったら、最悪、という言葉は使いたくはありませんが、それでも彼女の意思を尊重するならば、人工栄養を徐々に減らして最期を迎える「尊厳死」という道もあったかもしれない。嘱託殺人を避けられた可能性がなかったか、しっかり振り返って考えるべきです。

――人生会議といえば、芸人のインパクトのある啓発ポスターが炎上した記憶があります。

そう、それです(苦笑)。

――改めてどういうものか教えてください。 比較的元気なときから、もしものときにどんな医療を受けたいかについて家族を含めて医療、介護スタッフで何度も話し合うことを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」といいます。国は2018年に、これを「人生会議」と呼ぶことに決めたんですよね。 人生会議の核は、最期はどうして欲しいのかという本人の意思です。それを「リビングウィル(living will)」という文書に残しておいてくれると、医師はたいへん助かります。

――それがあると医師がその意思を尊重した医療を提供できる。

先進国ではリビングウィルは法的担保されています。台湾は2000年に、韓国は2018年に法的担保を終えています。日本はそもそも議論がなされていないので、トラック競技でいったら世界標準より10周遅れです。それどころか、国は2019年11月まで本人が意思表示することすら否定していましたから、20周遅れかな。

――2019年11月といえば、つい最近の話です。

僕は公益財団法人・日本尊厳死協会の副理事を拝命しています。リビングウィルを啓発することを目的とする日本尊厳死協会は、1976年に設立された市民団体ですが、公益法人申請が認められませんでした。 その唯一の理由は、なんと「患者がリビングウィルを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」でした。わかりやすく言うと「患者さんが自分の意見を述べることはよくない」と。「えっ!?」て思うでしょう?

――それは、むしろ逆ではないでしょうか。

そう。でも、国の考えは真逆で、「終末期医療は医師が医学会のガイドラインで決める」というものでした。これに納得いかなかった我々協会は、この見解の是非を問う行政訴訟を起こしました。一審の東京地裁は勝訴でしたが、国は控訴期限の夜に控訴した。結局、2019年11月に東京高裁も勝訴し、国は控訴を諦め公益認定されました。

――リビングウィルでは自分の最期をどう迎えるかを意思表示するわけですが、「死ぬ権利」についてはどうお考えですか?

結論からいえば「自分の死に関して希望を述べる権利」はある、と思います。それを「死ぬ権利」と呼ぶかどうかはよくわかりませんが、生きることに意見を述べる権利と表裏一体だと思います。当事者が自身の希望を表明することは当然の行為です。もちろんどこまで認めるのかに関する議論、つまり人生会議を通すことが必要です。 ところが、この国ではそんな基本的な議論すらまったくなされてきませんでした。それどころか、死に関する議論はタブーでした。「死なんて考えちゃだめ」と声高に叫ぶ人たちが、大切な議論を封殺してきたのです。

――あえて聞きます。人生の最終段階、いわゆる終末期はいつを指すのでしょう。

とてもむずかしい質問です。「終末期は医学的な数字で定義できない。人生会議で決めるもの」というのが、僕の持論です。医学の発達に伴って、さまざまな医療が可能となり、終末期が見えにくくなってきます。しかし、95%の人はがんであれ、認知症であれ、神経難病であれ、必ず終末期を経て、死に至ります。残り5%の人は事故死や突然死で、終末期はありません。 ALSの場合で言うと、患者さんが胃ろうや人工呼吸器を付けないという選択をした場合、口から食べられなくなり、呼吸がしづらい時期が終末期だと考えます。一方、付けることを選んだ人は5年、10年単位で生きますが、ある時点から少しずつ衰弱して、最終的に複数の臓器の働きが低下する多臓器不全におちいります。そこが終末期だと思います。人によって、あるいは選ぶ医療によって終末期は異なる、と考えます。

――では、胃ろうや人工呼吸器を付けている患者さんが、まだ生きられるにもかかわらず「もう止めたい」という意思表示をされた場合はどうでしょう。

そこで必要なものが人生会議です。前述したように「どうしてそんな気持ちになるのか」を傾聴して、家族と医療・介護スタッフで何度も話し合うしか方法はないと思います。

――話し合いで終末期を決めるんですか。

要所ごとに人生会議をしてあらゆる可能性を示しながら、本人の意思を尊重してみんなで何度も話し合って、結論を出すしかない。その結果、いまが終末期となれば、それが終末期なんです。彼女の場合は、人工呼吸器を付けない選択をして息がしにくくなれば、終末期か終末期に近いのです。こうした日本独自の意思決定法があってもいいと思います。

――そういうことを多くの医師は知っているのでしょうか。

知らないでしょうが、仕方がないですね。これは僕の個人的見解で、誰もそんなことを言っていませんから。現状では多くの医師が「胃ろうを止める=安楽死」で犯罪だと思っています。でもそれは尊厳死なんですけどね。

――そうなると、尊厳死の法制化は必要ではありませんか?

よく「尊厳死の法制化は必要ですか」と聞かれますが、そもそも「尊厳死の法制化」という日本語はこの世に存在せず、「人生の最終段階の医療における本人意思の尊重に関する法的担保」というべきです。マスコミにはまずここから勉強してほしい。 これはつまり、「リビングウィルの法的担保」なのですが、それが必要か不要というよりも、リビングウィルを入り口にして人生会議を重ねて、本人の思いをみんなが受けとめるほうがこうした意思決定の支援を広く啓発するほうが重要だと考えています。

――科学的な根拠(エビデンス)に基づく医療をしてきた医師にしてみたら、大きな意識改革が必要です。 受け入れるのが大変でしょう。みなさんが大好きな〝エビデンス〟では語れない領域ですから。しかし人生の最終章ではエビデンスより「物語」を大切にする医療が求められます。 残念ながら、多くの医師は終末期医療に関する医学教育をほとんど受けていませんが、在宅医療の現場で経験豊富なスタッフと議論を重ねることができれば、必ず向上します。幸い、在宅医療や終末期医療に興味を持つ医学生や研修医が増えているという感触を得ているので、若い世代に期待しています。

――報道によると、日本医師会の中川俊男会長は「これを議論の契機にすべきではない。慎重にしたい」と述べています。

僕はそうは思いません。嘱託殺人は犯罪ですが、終末期医療の在り方についての議論を広げる契機にすべきです。少なくとも安楽死に関しては、医師と一般の人たちの考え方の乖離があまりにも大きい。どんなに偉い医師が「嘱託殺人だから論外」といったところで、多くの国民の納得は得られません。我々医師は、医療の受け手である市民が納得するまで安楽死に関する議論を重ねるべきです。

――最期に、安楽死について長尾さんの意見をお聞かせください。

僕は安楽死には反対です。法的担保はありませんが、事実上、尊厳死が容認されつつある日本において、安楽死は不要です。これが37年間の僕の臨床経験からの結論で、その想いは『小説・安楽死特区』(ブックマン社)に書きました。 多くの人たちが、「安楽死を認めてもいいのでは」と考えるのはよくわかります。僕も弱い人間なので正直にいえば、そういう状況になったら自信がありません。しかしその前に尊厳死という選択肢がある。今回の事件を契機に、一人でも多くの人たちに尊厳死という選択肢があることを知ってほしいのです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本尊厳死協会の岩尾理事長の日経新聞の記事も紹介したい。


・2020.10.31日経新聞「複眼」   日本尊厳死協会理事長 岩尾総一郎氏  


日本尊厳死協会では「尊厳死」を「リビングウイル(生前の意思表示)に基づいて延命治療を差し控え、

十分な緩和ケアを施されて自然に迎える死」と定義している。

これに対し「安楽死」は「積極的に生を絶つ行為の結果の死」で異なる。

はっきりと区別して議論してほしい。

 日本では安楽死は一般的に認められておらず、自殺を手助けする行為(自殺ほう助)は犯罪となる。

今回の事件を報道で知る限り、主治医でない医師がした行為は社会的規範を逸脱しており、医師の倫理規定違反は明白で、到底容認できない。

 日本では1991年に医師が末期がんの入院患者に薬物を投与して死亡させ、殺人事件として医師による安楽死の正当性が初めて問われた。

 1995年の横浜地裁判決(有罪確定)では、医師による積極的安楽死が認められる4要件を示した。

4要件は①耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる②死を避けられず、死期が迫っている

③肉体的苦痛を除去・緩和する方法を尽くし、代替手段がない④生命の短縮を承諾する本人の意思が明示されている――だ。  

判決では患者の肉体的苦痛にしか言及していない。当時は肉体的苦痛以外の痛みについて議論が成熟していなかったからだ。

 「死にたい」という言葉の裏には満たされていない痛みがある。家族への負担を強いることや

社会参加の機会が奪われることなどによる「社会的苦痛」、生きる意味や価値を見失う「スピリチュアル・ペイン」もある。

今回の事件でも女性には同じような苦痛があったのだろう。  生きる意味を求めて模索する患者の苦痛を共有するケアマネジメントが望まれるが、

いまだ日本社会は患者や生活弱者への支援体制が不十分だ。その結果、親や配偶者などによる不幸な事件を多く招いている。  

日本尊厳死協会では、憲法で保障している個人の尊重や、生命、自由および幸福を追求する権利の中に「死の権利」もあると考える。

リビングウイルは終末期医療に関する自己決定だ。 自殺を認めるということではない。

死へと向かっている人が「最後は安らかに死なせてください」と求める権利であり、

最後まで自分らしく生き抜く権利だ。生きている人の命を奪うものではない。

 終末期について医師の余命宣告ほど当てにならないものはない。人がいつ死ぬかは分からない。

また死の直前で考えが揺れる人は少なくない。死の権利を簡単に認めていいという訳ではない。

曖昧な議論で死の権利を認めると思わぬ影響が出ることもある。  

日本尊厳死協会は約30カ国からなる「死の権利・世界連合」に参画している。海外の「死の権利」は

医師が介助する安楽死を認めることで、世界中で悩んでいる。

安楽死を認めた国は具体的な事例から議論を積み重ねている。  日本でも超党派で法制化の動きがあったが、

厚生労働省のガイドラインにとどまっている。死をタブー視せず議論し、

納得できる終末期医療に変わることを期待している。

略歴)   いわお・そういちろう 慶応大学医学部卒業。1985年に旧厚生省入省、2005年に医政局長で退官し

世界保健機関(WHO)神戸センター所長など歴任。12年から現職。73歳

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

PS)

コロナチャンネル #199


PCR検査、お金がかかる人とかからない人の差って?  →こちら


2つのランキングに参加しています。両方クリックお願い致します。皆様の応援が日々ブログを書く原動力になっています。

お一人、一日一票有効です。

人気ブログランキングへ ← 応援クリックお願い致します!

(ブログランキング)

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ ← こちらもぜひ応援クリックお願い致します!

(日本ブログ村)

※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

若いときに、4人の父母と「死別」したが、所詮「他者の死」である。
「死生観」「生死観」はよくわからない。「養生観」「往生観」はある。
だから、「終末期」とか「人生会議」という行政用語にはなじめない。
「死期」「断末期」とか「涅槃期」「昇天期」なら、受け入れやすい。
「はよ死ね」とか「はたに迷惑をかけるな」は、受け入れがたい。

2年前のある日。4時の夕食後、突然の脳梗塞で崩れてしまったときは狼狽えた。救急車の中で発語できないことに気づき、「意識明晰」なことに安堵した。
消防隊員に、「保険証」のありかはコンタクトしたが、なぜかセットの「尊厳死協会会員証」は伏せた。途端に、「2週間後に迫った頼まれ仕事の期限」が気になった。脳裏をかすめた「死ぬかも」が「2週間内に退院できるか?」に変わった。

今回の京都の女性の「安楽死念慮」と、男性医師2人の嘱託殺人の「網」。後者に「類縁」のSNS犯罪が流行の兆し、いや新型刑法犯罪として浮上、定着するか。
今のところ、心身とも深刻に追い詰められるに至っていないので、考えがなかなかまとまらない。「往生行儀」ならぬ「涅槃作法」の演習は手掛けている。
脳梗塞の発症半時間前、棒を使った太極拳の歩法・身法を「キメ」たはずがなぜと悔やんだが、お陰で「立位のバランス」が復活し2週間で歩いて退院できたではないか、と慰めている。

Posted by 鍵山いさお at 2020年11月05日 09:48 | 返信

「ALS委託殺人事件」で毎日新聞に、また、先生の足跡を残せれて良かったですね
私は医療に対して何の知識もないので、先生に対して「批判」は無理ですが、以前と違った思いはあります
亡くなった女性に対してです
「安楽死」=「自殺」では亡くなって欲しくなかったということです
少しは先生のブログ等で、勉強したおかげかもしれません
先生の「「自死」は恥ずべきことではありません」は本当に胸に染みます
自死を根性論だけで語られると、本当に気分が悪くなります
この亡くなった女性は少なくとも、とてもしっかりとした方のようにも思えます
一生懸命に生きていれば、どういう状態でも「死にたいほど辛い」と、感じることの方が多いと思います
でも、「辛い」気持のまま、他界をしてほしくなかったです
せめて、「ぬくもり」を感じながら他界して欲しかった
「レモン哀歌」の智恵子の様に「ぬくもり」に包まれながら他界して欲しかったです

「尊厳死」「安楽死」
この二つが早く、区別さると良いですけど、まだまだ、時間がかかるみたいです

12月4日の「生ライブ」の500円は郵便局で支払いました
お金の振込先の事ですが、「記号」「番号」では振込用紙は使えず私の郵便局の口座から振り込みました
当然、メルアドを書くことも出来ません
メルアド等は
「講演予定」→「年忘れ ひとり紅白歌合戦」→「「申込フォーム」⇒こちら」
で、送ったつもりです

ZOOMは私は使ったことがありません
使った事のないアプリ等は簡単なものでも、必ず、知り合いに相談します
特に「無料」となると、かなりのトラウマがあります
ちなみに、私の知り合いの企業さんではZOOMで会議をして、ライブ配信も会員限定でしたみたいですが、エラーもでたみたいで、ZOOMとYouTubeを関連付けたみたいです
要は数の問題でなく、端末の環境やアプリの馴染み具合です
端末がパソコンなら、余り、問題は発生しにくいみたいですが、それでも「URL」を送っても「入れない」等等
特にスマホだと、OSの問題もかなりあるみたいです
ZOOMにも便利機能があり「録画・録音」も出来るみたいですが、端末次第ではかなり色々あります
馴染みのないアプリを使う時は、どんなに簡単なアプリだろうが、自分自身が慣れるまではエラー覚悟が私の自論
まあ、バカな私がやるのだから仕方がない
「500円」は「つどい場さくらちゃん」に最初から寄付のつもりです

Posted by ナオミ at 2020年11月05日 11:06 | 返信

アメリカで20年以上在宅ホスピスナースをしていて、ALSの患者さんの慈悲的抜管(本人の意思、希望によって呼吸器を外し、呼吸苦などの症状をコントロールしながら自然死を迎える)したケースもあります。
安楽死に積極的、消極的と言った形容詞を付けることに疑問を持つ、とのこと、同感です。そのことについて少し古いですが記事を書いています。ご参考まで。http://ameilog.com/nobukolapreziosa/

Posted by ラプレツィオーサ伸子 at 2020年11月06日 04:03 | 返信

長尾先生、
朝日新聞の連載している時から共感するところが多く感じている一読者です。

今回の事件で亡くなられた女性のブログとTwitter、是非目をお通しください。
https://twitter.com/tangoleo2018
https://ameblo.jp/tango522/

「死にたい」という女性の心の声に寄り添う人が一人もいなかったことが、最大の問題だと思います。家族も30人にも及ぶ在宅医療チームが誰一人、彼女の悩みと重大な決断に気が付かなかった。
京都の女性は胃ろうを付けていた。だから安楽死以外に方法はないと思って、今回の決断をしたとしたら、それは知識次第で気持ちが変わったかもしれず、残念に思います。

と先生はお書きですが、実際女性は充分な知識があり、難病相談員に尊厳死のやり方まで相談しています。主治医とのやり取りもご覧ください。
私見ですが、女性はナルコーシスで死ねるのを待っていたのに、8月のCO2検査結果で正常と出て、ナルコーシスが無理だと分かったことに絶望し、その後主治医に尊厳死を願い出たものの、受け入れられなかったことが事件に繋がっているのではないかと感じています。
さらに、身体的には365日24時間介護を受ける事は可能ですが、介護者による虐待とも言える言動、それも当事者でなければ分からない精神的苦痛もあったのではないでしょうか。

一つ先生に質問ですが、尊厳死の要件としてなぜ家族の同意が必要なのでしょうか?本人の希望と家族の意向が異なった場合、本人の希望は尊重されないのでしょうか?もしそうであれば何のための尊厳死なのかと感じるのは私だけでしょうか。

周りはなかなか変わりませんが、それでも先生のご意見を聞きたいと思う読者は必ずいます!どうぞこれからもどんどん発信していただきたく。くれぐれもお身体を大切にお過ごしください。海の向こうより応援しております。

Posted by Geomama at 2020年11月06日 09:01 | 返信

人が死ぬときは物語だ、と私は常々言ってますが、医師にも同意者がいて嬉しいです。
認知症でもう飯が食えない年寄りや、神経難病で生きることを自分の意思で止めたいが身体が動かない、その他お別れの時期が近づいたら、必要なのはエビデンスではなくストーリー。これまでの生き方、死生観、人間関係、その他諸々の全てを含めて問われる総決算。エビデンス(笑)ですよ。

Posted by 匿名 at 2020年11月06日 01:13 | 返信

コメントする

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com


過去の日記一覧

ひとりも、死なせへん

安楽死特区

糖尿病と膵臓がん

病気の9割は歩くだけで治るPART2

男の孤独死

痛い在宅医

歩き方で人生が変わる

薬のやめどき

痛くない死に方

医者通いせずに90歳まで元気で生きる人の7つの習慣

認知症は歩くだけで良くなる

がんは人生を二度生きられる

親の老いを受け入れる

認知症の薬をやめると認知症がよくなる人がいるって本当ですか?

病気の9割は歩くだけで治る!

その医者のかかり方は損です

長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか

家族よ、ボケと闘うな!

ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!

抗がん剤 10の「やめどき」

「平穏死」10の条件

胃ろうという選択、しない選択

  • にほんブログ村 病気ブログ 医療・医者へ