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欧州ですすむ日本人差別

2020年11月08日(日)

日本国内では感染者への差別・偏見が続く。

一方、欧州、パリやロンドンでは日本人が

迫害されている現実を知っておくべきだ。

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以上は、4月、5月の第一波の時の話。

現在、パリでは命の恐怖を感じるレベルにエスカレート。


日本国外務省の公式ホームページにはフランスにおいて

アジア人に対する「差別的行為を呼びかける」SNSが拡散しているために、

「身の安全に注意をしてほしい」という注意喚起が出ている。→こちら


欧州からみたら、コロナはアジアの病気に見えるので

日本人を見ると、「どうしてくれるんだ」という感じ。


日本人は、中国をそこまで恨んでいないが

欧州人は、日本人を異様に恨んでいるようだ。


パリ在住の辻仁成さんは命の危険を感じると。→こちら

分断よりももっと酷い差別は「迫害」と言っていい。


人間は、災害を何かのせいにしたい動物。

誰かのせいにして、自分を納得させたい。


転化というが、転嫁でもいいか。

誰かのせいにした方が楽である。


米国の大統領選挙を見ていると国民性の差を感じるが

知性がある欧州の大都市でも同様な現象が起きている。


ユダヤ人大虐殺を思い出すのは大げさかな。

冷静になって欲しいが、欧州では大災害だ。


僕は常に仏教的にコロナをとらえている。

俯瞰的に眺めて、謙虚でありたいと思う。


以下、ヨロンさんのメルマガから引用。

こんな話が大好きなので、おすそわけ。


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三耕探究(第8回) 「悲願の勝利」  

大塚耕平(早稲田大学客員教授・藤田医科大学客員教授)


前号からの1週間。国内では大阪都構想の住民投票、国外では米国大統領選挙。いずれも緊迫した展開となりました。 大阪都構想は、前回の住民投票で反対した公明党が賛成に回り、賛成多数は必至と思っていましたが、意外や意外、僅差で反対多数という結末。推進派の「悲願の勝利」とはなりませんでした。


松井大阪市長は責任をとって任期満了後の政界引退を表明するなど、1週間前には想像していなかった展開です。 人間、先のことはわからないものです。 米国大統領選挙は民主党バイデン、共和党トランプ、両候補の大接戦となりました。 約1ヶ月前、トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染した頃は、過去4年間の政権運営の迷走もあって、バイデン候補の勝利は確実との雰囲気でしたが、その後はトランプ大統領が猛追。 それでも、先週末は「そうは言っても、バイデンが勝つだろう」という見方が大勢だったような気がしますが、蓋を開けてみたら激戦。 トランプ陣営が問題視している郵便投票の開票結果が出るまでには時間がかかるうえ、今後は法廷闘争に持ち込まれる可能性が大きいようです。 バイデンの「悲願の勝利」になるか、トランプの逆転となるか、この文章が読者の皆さんの目に触れる段階では、まだ決まっていないことと思います。 選挙後の混乱に備え、銃を購入し、武装する米国民。年末に向けて、悲惨な事件や争いが起きないことを祈っています。 さて、ここまでに2度登場した「悲願の勝利」の「悲願」。実は仏教用語です。 高校球児であれば「甲子園での勝利が悲願」とか、音楽家を目指す子どもであれば「コンクールで優勝するのが悲願」とか、いろいろな「悲願」があります。 「悲願」が達成されれば、当事者は気持ち良いですが、野球であれば負けるチーム、コンクールであれば優勝できない子どもが存在します。


「悲願」の陰では、必ず敗者がいるのです。 このように、私たちが日常使う「悲願」は、自分の願望、欲望を達成したいという「願い」です。「悲壮な覚悟で達成したい願い」が「悲願」です。 ちょっと心外な表現かもしれませんが、言わば「欲」の塊(かたまり)と言ってもよいかもしれません。もちろん、練習や努力の成果ですから、試合やコンクールで勝つことは悪いことではありません。 日常会話の中に浸透している仏教用語は、往々にして本来とは逆の意味で使われています。 「悲願」も同じです。本来の「悲願」は仏や菩薩が「衆生(人々)の苦しみを救うために誓われた願い」のことです。では、人々の苦しみはなぜ生じるのでしょうか。 「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれがしたい」「これがしたい」という「欲」を抱くことは人間の本質。そして、その「欲」が達成されないので苦しみます。 仏や菩薩にとって、そういう人間の「欲」や「苦しみ」を全てわが身に引き受け、「欲」が達成されないことで「悲しみ」「苦しむ」人間の気持ちに「同悲」「同苦」し、人々を救済することが「悲願」なのです。 人間の「悲願」は「欲」の塊(かたまり)のこと。本来の「悲願」はその「欲」から解放されることを願うこと。正反対ですね。 「欲」から解放されて、自己中心的な生き方を正すことを諭す言葉が「悲願」。 そういう意味で使うとなれば、「今年こそはこうなりたい」「こうしたい」などという「悲願」は忘れなさいということが「悲願」です。 そのような境地になると、かえって目標に手が届き、「悲願」は達成されるものです。

・野球で言えば、勝負どころのバッターが「勝ちたい」「打ちたい」という気持ちが強くなり、「力(りき)んでしまって打ち損じた」などという敗戦の弁を聞くことがありますね。 ピッチャーも同じ。九回裏二死満塁、同点のカウント、ツースリー(ツーストライク、スリーボール)で「打ち取りたい」と思ってかえって力(りき)み、結局、フォアボールを出して押し出しサヨナラ負けというシーンが浮かびます。 「悲願」などと思って力(リキ)むことなく、「悲願」という「欲」を捨ててこそ「悲願」が達成されるという不思議な話です。 大リーグではロサンゼルス・ドジャースが32年振りの優勝。ワールドシリーズ最終戦はBSで観ました。ドジャーズ7投手の継投で、最後はウリアス(ピッチャーの名前です)が「悲願の勝利」をもぎとりました。 「悲願の勝利」の「悲願」が仏教用語であることは上述のとおりですが、実は「勝利」も仏教用語です。 日常会話では「勝ち」を表す言葉ですが、仏教用語的には仏からの「勝(すぐ)れた利益(りやく)」という意味です。


「勝利」すれば、その一方では必ず「敗北」があります。誰かが勝つことは、誰かが負けること。 甲子園での「悲願の優勝」。嬉しいはずの優勝が「悲しい願い」というのは何だか変ですよね。 誰かの「勝利」や「悲願」の一方で、必ず誰かの「敗北」があります。他人の悲しみを感じられる心、負ける人がいてこそ自分の勝ちもあることを理解する心、自分を取り巻く全てのことに感謝できる心。その大切さを説いているのが仏教です。 上で述べたとおり、仏教用語としての本来の「勝利」は「勝(すぐ)れた」「利益(りやく)」つまり「仏からの慈悲や加護をいただくこと」です。「勝れた」は「優れた」という意味でもあります。 いろいろな出来事の中で「ああ、目に見えない何かに救われている、守られている」という気持ちが湧いてくることがあると思います。それ仏の慈悲や加護をいただいていると感じる「覚(悟)り」の境地です。 「勝利」とは「覚り」のこと。仏教では「覚り」を得ることが「勝利」なのです。自分が得をしたとか、勝負ごとに勝ったことが「勝利」ではありません。


「悲願」は「阿弥陀仏の本願」とも言います。 人間が「覚り」を得て救われることを阿弥陀仏は願っていますが、人間が人間である限り「欲」や「業(ごう)」から解放されて「覚り」を得ることは難しく、叶(かな)わぬ願いだから「悲しい願い」なのです。 自分の夢や目標が達成される時、試験に合格したり、試合に勝ったりする時には、誰かが不合格になったり、負けたりしているのです。 人の痛みに思いが至るようになるとともに、自分が何かの目標を達成できることは、多くの人に支えられ、目には見えない何かに守られ、それが達成されていることを理解すること、それを「覚る」ことが、仏教における「勝利」です。 日常用語化した「悲願」や「勝利」についても、仏教的な深い意味が込められています。 感謝と謙虚の気持ちで身の回りの全ての出来事を受け止めること。それが本当の意味での「勝利」です。 さて、バイデンもトランプも、そういう気持ちを持って勝利の弁、敗戦の弁を述べれば、米国民を団結させられるかもしれません。期待薄の気がしますが、1週間後はどうなっているでしょうか。 では、また来週。


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PS)

コロナチャンネル #203


コロナ禍は、読書の秋で心のケアを →こちら


こんな季節こそ、読書だね。


今日は9時の飛行機で上京していくつかの仕事をして

15時の飛行機で帰阪してから、数件の訪問がある。

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この記事へのコメント

欧州差別など実感なく、日本中がGoTo〜で浮かれ始めた今、現実に粛々と向き合っている先生のブログは私にとって貴重な存在です。読者の秋ですよね。私が最近読んだヨシタケシンスケさんのズバリ「欲が出ました」、軽く読めてゲラゲラ笑えて面白かったです〜

Posted by 匿名 at 2020年11月08日 06:37 | 返信

勿論、コロナ肺炎ウイルスは中国の武漢で発症したと思われます。
でもイギリスの人々の中には、戦争中の日本の行動に反感を持っている人もまだ多くいると思います。
日露戦争の時は、良質の石炭を大量に寄付してくれたので、日本も勝利できた。それなのに、日英同盟はなぜか消滅してアジアのイギリスの植民地を日本が侵略したことで、裏切られたと思っている人がいる。
東京の新宿の中村屋はカレーライスで有名ですが、インドのチャンドラ.ブース大佐とか多くのインド人が日本に救いを求めて来日していました。ビルマのアウンサンスーチーさんのお父さんも来日していました。植民地政策をとっていたイギリスが正しいのか、日本軍もアジアを自分の植民地にしようとしていたのが正しいのか歴史を冷静に詳細に研究して客観的に歴史観を持ちたいと思いますが、できるかどうか自信はありません。

Posted by にゃんにゃん at 2020年11月09日 01:35 | 返信

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