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「看取り承諾書」が無いからと死体搬送する施設と救急隊
2021年02月12日(金)
絶対に看取りをしない老人ホームがある。
なぜか?表向きは「看取り承諾書がない」。
でも本音はその部屋の価値が下がる、から。
「うちの老人ホームでは、必ず大病院の医師に
死亡診断書を書いてもらうことになっています。
だから、主治医がいても必ず救急搬送します」
それが自慢、のようだ。
なんでも「病院」、だ。
早朝6時、老人ホームのスタッフから電話が鳴った。
「○○さんが意識がありません。救急隊に変わりますね」
「ええ?僕に電話する前に救急車を呼んだの?」
「(救急隊員に替わり)あ、長尾先生ですか?もう亡くなっていますよ」
「じゃあ、今から僕がお看取りに伺います!」
「いや、もう○○病院に連絡をしてOKなのので病院に運びますわ」
「ええ?死体を乗せて搬送しているのは全国でも尼崎だけですよ。
病院の救急医たちも忙しいのでやめてくださいよ。老衰なのに」
「いや、病院も来ていい、と言ってくれているので運びますわ」
救急隊やホームスタッフにいくら「その必要は無い」と主張しても、聞き入れない。
仕方無いので「警察に連絡がいって、検視になりますよ」と言っても止められない。
救急隊員は「では確認して再度、長尾先生に電話をしますね」と。
しかし待てど暮らせど、救急隊員から電話はかかってこなかった。
しかし11時に、今度は、警察から電話があった。
病院の医師は、「初めて診る患者なので死体検案書でしか書けない。
死因は「不慮の事故」で書いた。警察が検視をした」などの説明が。
警察としては老衰なのに不慮の事故と書かれるのは家族に申し訳ないので
もし家族が「リセット」を希望されるなら、今から警察車両でホームまで
遺体を運びベッドに寝かせるので、長尾先生がお看取りをしてくれますか?
はあ?? 「老衰「」なのに「不慮の事故?」
と思ったけども。
「いいですよ。午前6時に話を戻して頂いたら僕が書きます」と答えた。
でも、それきり電話はかかってこなかったので、死体検案書のままのよう。
老人ホーム長に「だから言ったでしょう。僕が行って看取ればいいだけなのに」と
言うと、ホーム長は逆切れして「看取りは救急車でしょう。何が悪いんですか!」
「それにうちは看取り承諾書をとってないんですよ」
「はあ?なんですかそれは?そんなもの必要ですか?」
「ひ つ よ う なんです!」
「いや、看取りは僕たちがやるのですよ。僕らとの関係性です」
その老人ホームは、絶対に看取らない。
看取りをしない在宅医と組んでいるので、僕のように看取る医者は不都合なようだ。
このご時勢に無用な看取り搬送と検察検視を要しても、「当たり前」だと思っている。
病院も病院で「看取り搬送」など断ればいいのに、法律を知らないので受けてしまう。
数年前までは、その病院は在宅医に「霊安室往診を強要する」習慣があった。
しかし病院長に2日かけて「その必要は無いこと」を説明して、改善された。
しかし病院長が交代したので、今のスタッフは全員、医師法20条を誤解している。
看取りの法律は99%の医師が誤解しているので理解を得るまで長い時間が要る。
尼崎発 長尾和宏の町医者で行こう!! (81)
『なぜ医師は医師法20条を理解できないのか』
日本医事新報 2018年1月20日 p20~21 →こちら
それにしても、「自分たちの利益のためにホームでは看取りをしない」とか
「看取り搬送や検視は当然」と考える企業のトップにどう説明すればいいのか。
営利企業が介護保険事業に参入するとは、こういうことである。
介護保険も二十歳になったので、そろそろ見直したほうがいい。
これは国の仕事。
政治家の仕事だ。
可哀そうなのは、患者さん自身とご家族。
大往生どころか、ホーム→救急車→病院→警察→ホーム、と一周しないと旅立てない。
それを「おかしい!」と思わない、救急隊と警察と救急医も疑問をもって欲しい。
こんなことが常態化している施設をなんとかしたいけど、「逆ギレ」には負ける。
だから、「119番と平穏死」という本を書いたり
「痛くない死に方」という映画に関わっているが、営利企業には全く届かない。
「看取り」よりも「わが社の利益が優先」と考える根底には
「死は穢れ」なので「資産価値が下がる」という思考がある。
しかし死は決して穢れではない。
老衰は自然なもので仕方が無い。
「老衰」も「看取り」も知りたくない経営者が老人ホーム事業
に励んでいるけども、日本はそんな現状でもいいのだろうか?
おかしい、よね。
だから変えたい。
だから映画「痛くない死に方」を観て欲しい。
そして、「けったいな町医者」も観て欲しい。
この映画は「不要不急」ではない。
「必要・至急」、だと感じている。
コロナと関係なく、観て欲しい。(東京は今週から)
いや、コロナ禍だからこそ、観て欲しい。
多くの人が観れば、営利企業も病院も絶対変わるはず。
そう信じて、皆様に2本の映画の宣伝をお願いしたい。
チラシやポスターは、koho@nagaoclinic.or.jp まで請求して欲しい。
上映館のある街角に、至急ポスターを貼って欲しい。選挙前のように。
高橋伴明監督や俳優さんにせっかく造って頂いた作品たちが
コロナの影響を受けて一瞬でお蔵入りになれば、本当に辛い。
PS)
コロナチャンネル #299
コロナ変異株は、どうして恐ろしいのか? →こちら
管だらけで帰ってきた人は24時間後には別人のように元気になった。
酸素を外し(全く必要ないので)、高カロリー点滴をやめただけだ。
この国の終末期医療は狂っている、と思う。
患者さんの尊厳のために、僕は闘うだけだ。
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この記事へのコメント
「見取り承諾」て???
長尾先生、多分、私は幸せなのかもしれません
今回のブログが別世界に感じます
私の目の前で人が死んでいくのを4回見ました
3回は病院です
でも、管はありません
そのせいか、最後のお別れは生前とほどんど変わらず、中には、お写真より綺麗な姿のご遺体も拝見させて頂いてます
また、知り合いのお婆様が亡くなった時は家でしたが、主治医の先生が遠くにいた出かけて為、検視は入ったみたいですが、病院には運ばれていないと思いますし、検視された方も「とても穏やかなお顔ですね」と、の事
遺族に取っては最高の誉め言葉だったと思いますし、お孫さん(私の会社の同僚)も「自分も祖母ちゃんと同じ様に死んで行きたいし、息子にも余分な事をするなと言い聞かせてある」と、話してくれました
多分、私の周りは「痛くない死」で、旅立たれているのかもしれない
少なくとも、ご遺体を救急車を乗せる乗せ事が出来るのが不思議ですし、「霊安室往診」て、別世界です
医師なら誰でも、死亡診断書を書いていいと思うますけど???違う世界が存在するのかな
長尾先生、私にとって先生の映画は勉強になるというよか、こんな世界もあるというきっかけになるように思えます
だからよけに、「R18」の意味がよくわからない
少なくとも、「私の周りは延命治療は絶対に嫌だ、自分自身、穏やかに旅立って行きたいし、家族にもそうでありたい」と、思っています
余談ですが、透析をされていた方で医師の判断で片腕を切断した方が良いと言われた方が、手術が決まり自宅待機の為、家に帰る予定の日に病院で他界された方があります(このことを知ったのは49日終わったころです)
旦那さんは奥さんの闘病生活を泣きながら私に話してくれました
「これで良かったと思う
ナオミちゃん、これで良かった思う
片腕での日常生活が大変だと思うのでこれで良いと思う」
愛する人が目の前から寂しいけど、最後をどのような迎えるかも大切だと思います
Posted by ナオミ at 2021年02月12日 06:16 | 返信
先生、お疲れ様です。先生が担当されている方がそんな施設へ入所されてしまったのですか?
先生はお優しいので、そんな施設を利用者さんのために変えようとされている。多分変わりません。
また、そんな施設でも良いと思っている本人子供さん達もいます。必要悪なんだな、って思わないと傷つき疲れ果てて
しまいます。私は諦めました。施設への訪問看護はお断りしています。物理的距離をとることで、自分の精神を守っています。
Posted by ルナース at 2021年02月12日 11:12 | 返信
本来でしたらいろいろ各HPなどで映画の方を率先して紹介させていただきたいところなのですが、特に緊急事態宣言が出ている地域にてなんとも動きづらく、申し訳ありません。私個人は自己責任で伺わせていただきます。
ドキュメンタリーの方も、そして高橋伴明監督の作品も、二作品とも楽しみにしております。
Posted by ききょう at 2021年02月12日 07:41 | 返信
祝!コロナチャンネル300回!!
これからも応援しています。
先生大変ですね。あまりご無理されませんように。
救急車で遺体を搬送、尼崎だけ…と思います。たぶん。
Posted by ターニャ at 2021年02月12日 09:56 | 返信
社会福祉の世界と医療科学の世界は、今のところちょっと境界があるのかもしれません。
研修会で隣に座ったある施設ケアマネは「私は施設長様がケアマネジャーになっても良いと仰って下さったからケアマネジャーのなったのです、医療関係者というだけでケアマネジャーになるべきではありません」と、イヤリングやネックレスを付けた美しい顔でシレっと言っていました。お互いに学びあえばよいのにと思います。
施設でお亡くなりになってご遺体が救急車で行ったり来たりって、なんだかビートたけしが顔をくちゃくちゃにして笑う悲喜劇映画みたいですね。家族から訴えられる訴訟を恐れているのかなあ。
私の母も主治医が学会に行っている時に死んだので主治医の命令で救急車で救急病院に行って、もう少しで遺体解剖をしてもらうところでした。幸い救急病院の医師がCTスキャンで「大動脈解離」と死亡診断してくださいましたけど。母が「6時までに夕ご飯を食べたい」とか「弁当やお寿司は嫌だ」とかいうので、つい買い物で出てしまったので、歩けもしないのにトイレに行こうとして発作を起こしたのだなあと思うと「夕ご飯なんてお弁当でも巻き寿司でも良かったのに」とつくづく思います。ああすれば良かった、こうすればよかったと思う日々です。
Posted by にゃんにゃん at 2021年02月12日 10:48 | 返信
先生がけったいなのではなく、日本で行われている医療がけったいなのではないでしょうか?
しかしそのけったいな日本の医療がマジョリティになって定着しているから始末が悪いですね。
末期がんの濃厚医療、看取り患者の死体病院搬送、コロナ患者の放置死、
慢性期のムダ医療患者が医療利権として世界一のベッド数のほとんどを埋め尽くし、肝心の急性期にはごくわずかのベッドしかなく、毎年冬になると、救急車たらい回しが風物詩で、今年は医療崩壊?
ターミナル医療利権システムを根本から変えないと、ムダな医療費が湯水のごとく使われるでしょう。
あと救急車は有料化。心肺停止20分後以後の死体を運んではいけないというルールを作るべきです。
Posted by マッドネス at 2021年02月12日 11:03 | 返信
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