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どうして死ぬまで抗がん剤をやるんやろ?
2021年02月16日(火)
なんか、相当数のお看取りと同じ日の新規在宅と
入れ替わりが激しく、名前を覚えた頃にお別れだ。
なんだか切ない。切なすぎて、凹んでいる・・・
いろんな経緯で、いろんな患者さんとお出会いする。
尼崎の病院、大阪の病院、東京の病院など全国各地。
いろんな種類のがんの終末期を診ることになる。
肺がん、膵がん、胃がん、大腸がん、乳がん・・・
100人いたら100とおりの生き方と終末期医療がある。
価値観は多様であることは分かっているのだけども。
紹介される患者さんは、こんなパターンが多い。
もはや寝たきりでほとんど食べられずオムツをしている。
僕よりも歳が若いのに、そんな状態になってからの紹介。
人によっては、高カロリー点滴&腹水穿刺&インスリン&在宅酸素。
これらについては、もう何かコメントするエネルギーは無くなった。
一番、驚くことは、紹介元の病院が抗がん剤点滴に呼び寄せることだ。
ええ、こんな状態で抗がん剤? ホンマ? まさか?、ホントに行く?
それが、結構、行くんですよね。
介護タクシーに寝ながら打ちに。
抗がん剤をやれば余命6ケ月だけど、
やらないと3ケ月だ、が殺し文句だ。
そう言われたら、素人は誰でも「じゃあ打って!」となるだろう。
医師の在宅患者さんだって、死ぬ直前まで抗がん剤をやっている。
いいんですよ。自由だから。
でも、余命は半年どころか1~2ケ月。抗がん剤を打ったらそのままかも?
余命1ケ月程度であっても迷わずにで抗がん剤をやるがん専門医と患者。
町医者はその間に入ってはいけないけど、なにか一言位、言いたくなる。
どうして死ぬまで抗がん剤をやるのだろう? 医者も患者も。
どうせ外出するのなら、もっと気持ち良い&楽しい場所があるのに。
どうして長い待ち時間と長い点滴をするのか、僕には理解できない。
僕がおかしいのかな。
抗がん剤を打つ医者の気持ちは、かつて僕もやっていたので分かる。
しかし今は、全身状態が悪い人には打たないのが大原則、なのにね。
1週間に数人の方が亡くなる。
彼らのカルテが机の上に並ぶ。
僕は、なんとも言えない気持ちになる。
一期一会的な看取りは、本当に、辛い。
信頼関係がまだないので、言いたいことも言えないよ。
モヤモヤしながらも沈黙し、最終到達点を見守るだけ。
みなさんに聞きたい。
「そんなに抗がん剤が好きですか? 好きならばいいのですが」
映画に携わっても、本を書いても、意味が無い。
まさに「ひとりぼっちのエール」状態である。
だんだん、疑問に「不感症」になってきた。
でもこれでいいのだ。ここはボケるが勝ち。
2月も後半。でも暖かい。
こんな2月も、あと10回?
そう思うたびに、「抗がん剤のやめどき」や「痛くない死に方」や
「尊厳死」や「安楽死」に正面から向き合う自分がアホに思えてくる。
気分は 「生きていたんだよな」(byあいみょん) →こちら
PS)
コロナチャンネル #303
東京で抗体保有率0.91% なぜこんなに低いの? →こちら
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この記事へのコメント
先生のお気持ちは良くわかります。
その通りだと思います。
昨日の外来で、息切れがしてしんどいという方に多発性肺結節が認められました。
「毎年人間ドックを受けていたのに・・・」と。
長くはないのは明らかですが、悔いがないようにという意味を込めて、高次医療機関へ受診を勧めました。治療に関しては、どういう最期を迎えたいかで本人の判断が正解ですよ、と一言添えましたが。
先生、人は死を意識して初めて本当に生きだすのだと私は思います。
その期間に何を思い何をするのかが死を超える際には大切なように思います。
私も若いころ死を受け入れるところまで経験したことがあります、何年たっても忘れません。
・迷惑をかけた人へ、お世話になった人へ、感謝を伝えることができなかった。
・それどころか、最期も迷惑をかけてこの世を去る無念。
・20数年生きてきて、何をしてきたのだろ、人の役に立てたのか。
・でも、もう全て終わり、反省しても何をしても、戻ってはこない。
これをはっきり覚えています。
何故今まだ生かされているのか?長年分かりませんでした。
それから様々な患者さん達の死を見送りましたが、最近心にふと浮かんだことがあります。
死を受け入れたのは、自然の大きさに一人の人間がどうあがいても無駄なことを思い知ったからです。
だから、生き延びようとは思いませんでした。これは自然から逃げるようなものです。
ただ、ただ、1秒、1秒、一瞬、一瞬、できることをして自然にお任せしたこと。
自然の懐の中で、瞬間の火花を散らし続けた末、今ここに在ります。
8時間経過していたようです。
医師に死ぬよと言われたら抗がん剤治療を選ぶ人の気持ちは良くわかります。
でも、自分の死から逃げる手段だったら、私は反対したいです。
自分の死に向き合って、それで出した答えはすべて正解だと思います。
それを、平易な表現でお伝えすることはあります。
自分の死から逃げようとするのも、その人の性であり縁だと思い自分で納得しています、させています。
やはり、もったいないのです。
せっかくのチャンスを。
先生は良いお仕事をなさっておられます。
大変良い学びとなりました。
同じように悩み苦しんでおられる医師がおられることに心強くうれしくなり、ついつい書き込んでしまいました。
それでは失礼いたします。
Posted by 兵庫の勤務医 at 2021年02月16日 06:07 | 返信
コロナウイルス肺炎は、はじめの印象では中国の武漢で発症したように思えました。
でもWHOが中国の武漢に入れたのは一年後、果たして武漢の市場から出たのか、武漢ウイルス研究所から出たものか全く不明です。ワクチンも果たして効くものか、害になるのか長いスパンで見ないと分かりません。
医療関係者からワクチンを打つというものおかしいはなしです。
自分で自発的に打ってもらいたい人から打ちましょうというのが正しいと思います。
老人でも若者でも「よしモルモットになるから打ってください」という人たちが多くなって、それで成果が出たら、老人も少しづつ打っていくのがほんとだと思います。私自身るは、未だ決めてません。打ってもらうかも知れないし、うたないかもしれない。ギャンブルみたいです。
でも古代から医療や科学ってギャンブルみたいな試行錯誤で進化発展してきたもので、犠牲者の上に成り立ってきたのだと思います。医療関係者からとか老人からとか強制するのはやめてほしいです。
Posted by にゃんにゃん at 2021年02月16日 08:49 | 返信
海外の情報では、このワクチンは、遺伝子組み換えの生ワクチンで、かなりの人が接種後に副反応をおこし、死亡例も多数だそうです。若い人は、男女ともに不妊になる、まるで人口削減ワクチン。
オリンピックも開催されないというウワサなのに、急いで受けることはないのでは?自分の命のことは、自分で調べて判断しましょう。ネットやユーチューブでいろいろ出てます。日本のマスコミは一切報道しない取り決めらしいけど。みんなテレビを信用しすぎ。
Posted by きゃん at 2021年02月16日 09:13 | 返信
抗癌剤治療を始めたら、やめどきついても同時に考えていかないと治療をやめることは死ぬ事、諦める事、敗北を認める事、医者に見放される事と言う不安と恐怖に襲われて、なかなかやめる選択が出来ないのではないかと思います。なぜやめどきがあるのか、緩和ケアは敗北ではなく最後まで自分らしく生きるためのものなんだよ、人生の最後にどうありたいか、なにが出来るかを考える事が出来るチャンスなんだと言う事。でも誰にでも出来る事ではなく、死生観は人それぞれ。ぼろぼろになるまで治療を受ける事がその方の生き方であることもあるのでしょう。治療が好きな方もいます。
平穏死については、この10年でかなりポジティブに受け入れる社会になって来たと思います。
今度は、抗癌剤含む高度医療を受ける事、やめどきがあることが広がると良いですね。きっとじわじわ広がって行くと思います。
兵庫の勤務医様のコメント、涙溢れながら読ませていただきました。
Posted by 匿名 at 2021年02月16日 02:16 | 返信
いわゆる「クスリ信仰=大病院信仰=安心」というものに囚われている不幸な人たちなのでしょうね。
末期がんに対して抗がん剤が有効なエビデンスはあるのでしょうか?おそらくないでしょう。
「安心」と「安全」は違う。科学者は当然だが「事実」に基つく「安全」しか信用しない。
明らかに正常細胞まで殺して、身体を衰弱させて寿命を短縮させるであろう抗がん薬に死ぬまで主治医と患者がしがみついてるのは「安心」のほう。「安心」を得るために高額な劇薬に手を出してやめられない。誤解を怖れずに言うと禁止薬物(覚せい剤など)をやめられない心理と同じで薬物依存では?
科学者の目からみれば、死ぬまで抗がん剤にしがみつくのは「安全」ではなく「危険」ですらある
抗がん剤にしがみつくように患者に指導する医者は科学者とはとても言えないのではないか?
Posted by 匿名 at 2021年02月16日 08:22 | 返信
長尾先生、抗がん剤で2週間で亡くなった方があります
そのことを知ったのが、その方のお葬式が終り、暫くたってからでした
その方と最後にお会いしたのが喫茶店でした
旦那さんと仲良く、コーヒーを飲まれた姿を今でも覚えています
暫く、奥さんの姿が見えないと思っていた矢先、お葬式の連絡を貰いました
「え・・・」
偶然、亡くなった方の娘さん(私と同年代)とショッピングセンターでお会いして、少しの時間ですが立ち話をさせて頂いた時、
「お母さん癌だったの
お医者さんからお母さんが余命3ヶ月と言われたので、がん治療をお父さんが同意したの
がん治療が始まるとみるみる痩せていって、2週間だった
私達にもう少し、色々な知識があったら良かったかもしれな
かといって、お父さんが同意したので子供の立場ではどうにもならないけど」
長尾先生、悲しいことは無しに
先生の映画や本を読んで色々、勉強している人が沢山います
きっと、何処かで先生の言葉を待っている人がいます
そんな人達の為に頑張って下さい
「ひとりぼっちのエール」の最初の出だしは少し、悲しい
先生が一所懸命に受け止めようとしても、すり抜けていってします何か・・・
でも、新しい朝がそんな先生を支えてくれると思うし、先生の足跡(映画や本)をみながら限りある命を、一所懸命に生きようとしている人達も沢山いるような気がします
だから、「不感症」になりそうな時はおへそを横に向けて下さい
でないと、きっと、ボケてしまわないように
「携帯が鳴りっぱなし」になりますよ(@^^)/~~~
週間文春の2月18日号は先生の映画を見に行く時に買い、先生の記事は読みました
もともと、文春は気が向くと買っていたので先生の記事が載っていると
「長尾先生、こんにちは!」
なんて、思ってしまします
本音、週刊現代を買うことは私にとって余分出費
でも、文春系は半日常です
Posted by ナオミ at 2021年02月16日 09:54 | 返信
初めてコメントさせていただきます。
私は東京で訪問看護師をしています。
癌の終末期で、在宅療養を希望されて退院されて来る方を多く担当せさていただいています。
退院された患者さんの中には、状態はとても悪いのに、なぜか次回の抗がん剤の予約がされている方がいます。その患者さんは、予約の日までに体調を一生懸命整えて抗がん剤を打ちに行かなければ、と躍起になっています。抗がん剤を打ちに行くことが最大の目標になっていて、状態が悪くなっていくことに対して「良くならない、これじゃあ抗がん剤を打ちに行けない...」と、とても嘆いています。貴重な最後の時間なのに頭の中は抗がん剤のことで一杯...。予約の日が近づいても状態は良くならず、病院に連絡すると「良くなったら来てね」と、あっけなく言われ、落第の烙印を押されたように落ち込まれます。そこから、残り少ない時間での終末期の受け入れへの心の切り替えは難しく、嘆きながら亡くなってしまう方もいます。
私は、とっくに効果がなくなった抗がん剤を、馬の鼻先に人参をぶら下げるように、ぶら下げるのは如何なものかといつも憤っています。人生の最後の貴重な時間を、抗がん剤という人参を追いかけるのに費やさせられて終わってしまうことの虚しさを思うと、切なくなります。悔しいです。
抗がん剤が効かなくなった時に、患者さんに率直にそのことを伝えて、最後の時間を有意義に過ごせるような支援ができる所へ繋いでいただけますようにと、病院の先生方に心からお願いしたいと思います。
長尾先生、いつも心の支えに読ませていただいています。心が折れそうになった時、頑張ろうと元気をいただいています。お身体には気をつけてご活躍ください。週末に映画を見に行かせていただきます。
Posted by つぶ at 2021年02月16日 10:50 | 返信
長尾先生
ブログを書き、たくさんの専門誌にも論文を書かれ、コロナチャンネルでも発信し。
それでも政府は動かない。医師会も動かない。社会は変わらないと感じると、
心底挫けそうな気持ちになることは、とてもよく分かります。
とはいえ、皆さんも書かれているように、私も長尾先生のブログに勇気をもらっています。
発信し続けることの大切さを感じます。
心の医療の端っこにいると、社会が追い詰めた人をなぜ社会はさらに差別するのかと
なんとも言えない気持ちになります、ほぼ毎日。
弱った人への抗がん剤ではありませんが、
弱った人が一番安心できる環境を提供するのが、社会の役割なのになあと
日々悶々としながらも、継続は力なりで、ささやかに続けています。
長尾先生、これ以上頑張ってくださいとは言いづらいのですが、
どうぞ気持ちよく発信してください。
読んでいる人、聞いている人はたくさんいます。
愛情もらってます。
Posted by sue at 2021年02月17日 10:22 | 返信
一期一会的なお看取り…本当に辛いですね
一人一人に人生の物語があって、最後の最期に出逢うって どんな意味があるんだろうと思いつつ、
助産師があるなら、助死師があってもいいんじゃないかと恩師がおっしゃった言葉が響く…
わたしって、ちゃんとお看取りサポートができたのかと振り返る。。。
振り返っても、時を戻すことができない中、いつも よかったね探しをしている自分がいる。
訪問看護というお仕事ですが、満足度100%を目指したいです
Posted by 宮ちゃん at 2021年02月18日 09:40 | 返信
一期一会的なお看取り…本当に辛いですね
一人一人に人生の物語があって、最後の最期に出逢うって どんな意味があるんだろうと思いつつ、
助産師があるなら、助死師があってもいいんじゃないかと恩師がおっしゃった言葉が響く…
わたしって、ちゃんとお看取りサポートができたのかと振り返る。。。
振り返っても、時を戻すことができない中、いつも よかったね探しをしている自分がいる。
訪問看護というお仕事ですが、満足度100%を目指したいです
Posted by 宮ちゃん at 2021年02月19日 07:27 | 返信
昨日、急いで、大きな病院から退院された末期がんの方です。
腹水が溜まり、ドレーン留置でウロガードに繋げて ご自宅に戻ってきました。
多い時は、4Lの廃液があるそうです。
退院時、大きな病院の医師からは
「抗がん剤をやって、腫瘍が小さくなり、効果はみられたが、血液データから見るとやれる状態ではないので、中止しています。
日常生あに支障をきたし、動けなくなるようだったら、抗がん剤はやらない方がいい」と
丁寧に、ご本人とご家族に説明してくださっていた。
でも、「腫瘍が小さくなり、効果がみられた」という言葉が、ご本人、ご家族に期待を持たせ、
もしかしたら、治るかもしれないと思わせてしまう。
だから、ご本人の希望は、
旅行に行きたい。ゴルフに行きたい。庭いじりをしたい。。。。たくさんの希望がありますが、
TS 1を飲みたい、なんです。
抗がん剤のやめどきの本をご家族に読んでもらおう。
最期の時間を選ぶのはご本人です。知らずして選ぶはないですもんね。
本当に難しいです。
Posted by 宮ちゃん at 2021年08月13日 09:13 | 返信
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