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コロナ禍におけるウエルビーイング
2021年06月13日(日)
コロナ禍で人生や生活が激変した人が多い。
こんな時こそウエルビーイングを考えたい。
おのれは、今、ウエルビーイング、なのか。
そもそも
ウエルビーイング、とは。→こちら
「自らを知ること」がウエルビーインングの第一歩、だと。→こちら
なるほど。「己を知れることが幸せ」につながる、そうだ。
ウエルビーイングを追求する雑誌として「ソトコト」がある。→こちら
この本を読んでいるだけでも、なんとなく幸せな気分になる。
そんな「幸せ雑誌」から取材を受けて掲載された。→こちら
こんな僕が載ってもいいのかな? と思いながら。
この雑誌を読むと、改めて幸せの「カタチ」は色々だなあ、と思う。
これがきっかけで自分のウエルビーイングを意識するようになった。
自分は幸せなのか。
身体と心はどう?
答えは、「よう分からない」である。
少なくともウエルビーイング的には問題がありそうだ。
仕事柄、日々、たくさんの「死」を見る。
「死から見たウエルビーイング」が僕のテーマ。
しかし、「死」を見過ぎると、「虚無的」になりがちだ。
「反出生主義」に陥らずに年老いてきたことは幸運だった。
コロナ禍は、「一人で考える時間」を、国民全員に与えた。
その結果、「幸せでない」→「自殺」を考える人も増えた。
先日、「いのちの電話」に取り組む人たちの活動をテレビで観た。
「他人のウエルビーイング」まで考える人たちに、敬意を抱いた。
来年、その「いのちの電話」で頑張っている人たちに講演する。→こちら
いったい何を話すか、今から悩みながら探していこう、と思う。
昨日は、淡路島の中心である洲本市で映画の舞台挨拶をした。
淡路島で唯一の、70年以上歴史のあるレトロな映画館である。
意外にいろんな人とのお出会いがあり、行って良かった。
淡路島は長い歴史があり、寺と神社とお寺がとても多い。
代表格は「伊弉諾神宮」である。→こちら
お伊勢さんと同格、とのこと。
淡路の歴史は日本の歴史だ。
そして同じ兵庫県、である。
四国(徳島)だと思っている人が多いが兵庫県である。
神戸からは明石大橋があるので、1時間で洲本に着く。
帰りは、岩屋から明石港まで船で渡った。(580円)
県内旅行であるが、予想以上に楽しかった。
移住した人から今しか取れない琵琶を頂いた。
なんか歴史を感じる味。昼は、魚料理だった。
淡路は、瀬戸内海の魚と淡路牛と生ネギなど食の宝庫だ。
海も山もある、都会に近いリゾートなのでパソナも移転。
淡路島には、コロナなんて、ほぼ、いない。
淡路島の患者数は長尾クリニックより少ない。
しかし同じ兵庫県ということで、緊急事態宣言が、現在も出ている。
大阪兵庫はもう深夜まで酒を出している店があるが、淡路には無い。
気が付けば、なんだか「ウエルビーイング」状態になっていた。
これは「淡路効果」なのかな、なんて思いながら現実に戻った。
PS)
コロナチャンネル #399
僕は、触りたい――リモートだけでは、人間は生きていけないよ →こちら
海を見たら、「ハワイに行きたいなあ」と思ってしまった。
そういえば、6月26日(土)は沖縄、那覇市医師会の講演だ。
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この記事へのコメント
先生、とても興味深いお話を見つけましたので、洲本には婿養子だった私の父親が事業を起こし暮らしておりました、母親とは私が大人になってから離婚したらしいです祖父の山林や色々なものを売買し追い出されたのですが、そこから淡路島は母にとっては鬼門でした。
道しるべの線を読みました凄いですね淡路島。邪馬台国にもとても興味があり九州か奈良かと、昔の事は面白いですよね。
死を見過ぎる、若い頃は無くなった人を見るのはとても怖かったです、母は祖母が亡くなった時には、幽霊でもいいから出てきて欲しいと言っておりましたが、夢に出るのは大阪に居る私のとこだけ「仏さんにお水も供えてて」お茶は毎日だけどたまには冷たい氷の入ったお水が飲みたいらしいです。
母親は何で私の所に出てこないのよて寂しがっつていました。
夢枕にたつて本当です、朝方お爺ちゃんが出てきました私の夢に、起きてい家事をしていたら田舎の親戚のおばさんから、お爺ちゃんが急に亡くなったと‥お正月に頂いたお酒を飲み過ぎたと祖母が泣きながら話していました。私は神様も幽霊も信じているのですよ。
田舎で採れるびわは美味しいですね。
Posted by 長尾先生大好き。 at 2021年06月13日 01:27 | 返信
先生、私は何度も淡路島に遊びに行っています、みさき公園から?船に乗って福良港まで母の前では言えませんが。今は立派な明石大橋で渡ります。
何か感染者数も減ってきたこともあって気持ちが緩んできました。マスクは熱いですが着けています。ソトコト前向きに生きられるそんな本。先生触りたいのですか・・私で良かったら、どぞ。
沖縄医師会講演・・どうか台風が来ません様に台風さえ来なかったら最高です6月の沖縄。
海は一日中でも眺められますね、先生がハワイに行った時には何をしてますか❔
私は最後に行ったのが娘とホノルルマラソンでした。
昨年一年生の孫等は朝顔の鉢植えがもらえず、今年種を渡されたからと娘から託され種に傷を入れ水に浸けて今日芽が出ていました、鉢と土を買いに行き沢山の芽を土に植え替えました。沢山咲きます様に少し伸びてきたら孫とこに運びます。プールはあるらしいですヨカッタです。
Posted by 長尾先生大好き。 at 2021年06月13日 04:20 | 返信
「コロナ禍におけるウエルビーイング」を拝読、「僕は、触りたい――リモートだけでは、人間は生きていけないよ」も拝見いたしました。偉そうなことは申し上げられませんが、現代の人たち、特に大都市生活者は、まるで自分は死なないとでも思っているのではないかというような生き方をしていると私は以前から感じています。『ソトコト』の長尾先生のインタビュー記事の中で、『ある高校で「人は生き返るか」とアンケートをとったら5%程度の人がイエスと答えた。』とありましたが、私にはそれほど不思議には思えませんでした。それだけ、「死」というものを現代の「日本人」は遠ざけてきたのだと思います。現に映画、小説、テレビドラマなどでも、亡くなった「彼」や「彼女」が現生に出て来てもう一度一緒に人生をやり直す設定のものが溢れていると私は思っています。現代人にとって「生」も「死」も全く現実感を失ってしまっているのではないかと感じています。
何がそうさせるのか、私には分かりませんが、一つはやはり、身近で人の「死」を体験する事が本当に少なくなってしまっている事によるのではと私は思っています。全て家族が病気になれば、「病院」に入院、病院で亡くなる人がほとんどの現代社会です。それに加えて、「核家族」、「ホテル家族」などという言葉も既に「死語」になり、家族そのものが「崩壊」している事の多い現代社会では、「家族」、「人」の「生」も「死」も現実感を喪失してしまっているのではないかと私は感じています。
そのような現代社会で長尾先生は時代の流れに反して、1500人もの方の「看取り」を行ってこられたことは大変価値のあるものであると私は考えます。その1500人の方の家族の方たちにとり「生」も「死」も意味深いものとして心の奥深く刻まれていると私は思います。長尾先生は『自分は幸せなのか。身体と心はどう?答えは、「よう分からない」である。少なくともウエルビーイング的には問題がありそうだ。仕事柄、日々、たくさんの「死」を見る。「死から見たウエルビーイング」が僕のテーマ。しかし、「死」を見過ぎると、「虚無的」になりがちだ。「反出生主義」に陥らずに年老いてきたことは幸運だった。』と述べられていますが、決して「虚無的」にならないで頂きたいと切に私は思います。尼崎市に住まわれている方、そして長尾先生に診察を受けられていらっしゃる方々にとり、長尾先生は心の支えになっている本当に大切な人なのだと私は思います。コロナで大切な人と人が無理やり引き離されてしまっている時代に、私は長尾先生のように、人と触れ合って生きることが出来ればと心から望んでいます。
いろいろと偉そうなことばかり書き連ねてしまいましたが、どうぞご容赦ください。
ワクチン接種など激務が続いていらっしゃると思いますが、どうぞ長尾先生、スタッフの方々お身体に気を付けてください。
Posted by 洋ちゃん at 2021年06月13日 08:58 | 返信
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