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多くの犠牲の上に生きる私たち
2023年08月19日(土)
「対馬丸」って、覚えておられすか?
私たちは多くの犠牲の上に生きている。
お盆の夕刊フジの連載は、対馬丸物語。
「対馬丸」語り部・平良啓子さん
9歳にして見た生き地獄、語り継ぐことが〝使命〟
多くの犠牲の上に生きる私たち
夕刊フジ8月14日 →こちら
78年目の敗戦の季節です。
僕たちが子どもだった頃は、今よりも学校現場で平和教育が盛んに行われていたように思います。僕の小中学校時代は、夏になると戦争の映画上映会があったり、被爆者の方を呼んで全校生徒でお話を聞いたりしたものです。その一環として、「対馬丸」についても本を読んだり映画を観たりした記憶があります。果たして今の子ども達は対馬丸の遭難について学校で教えてもらっているのでしょうか。
1944年7月、サイパンの闘いで日本軍は陥落。これにより、米軍はサイパンからB-29爆撃機を出撃することが可能となり、日本全土への空襲がいつ行われてもおかしくない事態となりました。
日本政府は、沖縄県知事に、「本土決戦に備え、非戦闘員である老人、婦女、児童を本土または台湾へ疎開させよ」と通達を出します。 そして8月21日、疎開船の対馬丸は他の疎開船とともにおよそ1700人の民間人を乗せて那覇を出港し、長崎へと向かいました。
幼い子どもたちは、まるで修学旅行に出かけるかのようにはしゃいでいたという記録が残っています。「ヤマトに行ったら雪が見られる」と楽しみにしていた子もいたといいます。
しかしその翌日、対馬丸は悪石島沖合で米軍潜水艦からの魚雷攻撃を受けて沈没。乗員乗客合わせて約1500人が死亡。生き残った児童はたったの59名でした。 この生き残った児童のひとりで、戦後、自らの体験を語り続けた平良啓子さんが7月29日に亡くなりました。享年88歳。死因は、急性大動脈解離との発表です。
平良さんはこの8月にも講演会の予定が入っており、特に闘病をしていたわけではなかったようで、突然のお別れとなりました。 平良さんは「対馬丸」に、祖母や兄、従妹と同乗していました。しかし6日間の漂流の末、家族親族で無事生還できたのは、彼女だけだったそうです。
奄美大島の漁師に救助されました。従妹の時子さんは目の前で流されていきました。漂流している間、子どもたちの死体がどんどん寄ってきたといいます。9歳にして、平良さんは生き地獄を見たのです。
戦後しばらくの間は、「対馬丸のことは語るな」と箝口令が引かれていたといいます。しかし平良さんは、この悲惨な出来事を語り継ぐことが生き残った者の使命と考え、現在まで、本の執筆や講演活動を続けてこられました。
「長いこと生きているのも生かされているのも、(亡くなった)子どもたちが(語れ、語れ)と言うから、私は語らなくてはならないから、生きなければならない」
私たちは多くの命の犠牲の上に生きている。そのことを噛み締めて夏を過ごしたいと思います。
ーーーーーーーーー
先人たちが築いてきた今日の日本の繁栄。
その恩恵を享受すると同時に、感謝の気持ちを忘れてはいけない。
甲子園球児の躍動に、自分の青春を重ねて見ている。
ああ、輝いていた時もあった? のかなあ?・・・・
まあ、あっても無くても月日は無情に過ぎていく。
敗戦68年目の夏、自分としては生後65年目の夏。
先人たち、ご先祖さん、に感謝しながら静かに過ぎていく。
PS)
twitterの登録、ありがとうございました。
フォロアーが千人単位で増えて、驚いている。
できるだけ皆さまに有益な情報発信を心掛けます。
まだ暑い夏が続く。
コロナもインフルも、流行っているけども、
特効薬をお持ちの方は3日連続で飲むだけ。
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この記事へのコメント
先生おはようがさいます。毎日ブログを楽しみに拝見させて頂いています。
対馬丸の事件の映画は10年位前に教育テレビで観ました。アニメ映画で、淡々した表現なのに、悲惨な内容だったと記憶しています。
その、唯一生き残った方は対馬丸の事を語るのは、語る事で、亡くなった人達の供養にもなる。という思いもあったのではないかと思います。
戦争は生き残った人達も戦後になっても、一生忘れられない辛い思いをずっと抱えている。
それも戦争の悲惨さの一つだと思います。
Posted by シャイニー at 2023年08月19日 09:36 | 返信
ご冥福をお祈りいたします。
>多くの犠牲の上に生きている
全くそのとおりだとは認識しています。重みがあります。
振り返ると最近の何か上辺のポジティブなディスカッションでなく重みがあり悲しい話が多すぎて。言葉がうまくでなくなります。語るのにも体験者ではないですし、語るのも語っていいのかも悩むし、体験者でないと真実はわからないし、親や祖父母のように沈黙するのか、伝えるのが今度は孫の世代だけにな色々考えます。
Posted by 心の中の応援者 at 2023年08月19日 03:19 | 返信
政府や応援者の上辺のお悔みの言葉と「対馬丸のことは語るな」という語るなの言論封鎖の二律背反に苦しみ、遺族は暗黙の了解で黙ってるしか選択できない社会なのだと思います。そして現実、それは今もそうです。だから関係者ほど表上の建前の言葉に反して、色んな言葉と戦うか、黙るかの選択におかれるのだろうと思います。
政府の思いやりあふれる美しい言葉やお悔みの言葉に反して実際の遺族や体験者は大抵どんな事件でも沈黙するようそれを応援した人らともども集中砲火か見えない雰囲気での圧力での無言の沈黙を要請されると思います。だから語らない人も多かったのだろう。どんな事件でも建前を信じて口にだすと受けた人が更なる攻撃を受け傷つくことが現実だから、相当、葛藤し様々な黙らそうとする圧力や嫌がらせ見て見ぬふりしながら戦意高揚のために広報に使われる周囲の無神経さに対して戦われたのだろうと思います。なんだかの被害者になれば周囲の愛を感じ癒されるのではなく、現実は言論封鎖と戦う人生のはじまりが多いのかもと思ってしまいます。
>この悲惨な出来事を語り継ぐことが生き残った者の使命と考え、現在まで、本の執筆や講演活動を続けてこられました。<
勇気いっただろうし、相当妨害あっだろうなと思うと、その体験が強くしたのか。強い方だなと思います。
Posted by 心の中の応援者 at 2023年08月20日 11:23 | 返信
ワクチン未接種です。ワクチン後遺症だけでなく、コロナ後遺症のことを取り上げていただけませんか。20代娘は先月コロナ感染し、総合病院でプレドニンやアスベリン、トラネキサムサン、ロキソニンが処方されたので、飲み合わせが不安でイベルメクチンは一日しか飲みませんでした(医師にイベルメクチンのことは聞けなかったので)罹患一週間後熱咳が治まったのに強い倦怠感が、三週間経った今は度々頭痛がおこります。今からでもイベルメクチンを飲んだらよいのか、全て自己責任となるので親としても迷っています。長尾チャンネルから拝見してましたが、いざ身内がコロナ罹患して、こんなに痛い目に遭うとは思いませんでした。このまま治らなければ、、と思うと辛いです。
Posted by 神戸っ子 at 2023年08月21日 12:17 | 返信
かずくん、お疲れ様です。
今日8月22日は、対馬丸が撃沈された日なんですね。。特に調整してコメントを書いていた訳では無いのですが、綺麗にピタリと当たりました。
最近は、またいろいろと“届く”のだけど、別のことに集中しないといけない事もあって困ったなあ…とは思っています。お庭に人も集まってくるみたい。
そういう時、普段から気が付かない所ですごく助けてくれているんだろうな〜と考える。対馬丸で亡くなった子ども達も、きっと同じ事が繰り返し起こらない様に一生懸命に伝えに来ているのだと思います。
対馬丸の口減し説については(そうだろうとは考えているけれど)、80代の方々が食べ物が全くなくて少しでもあると日本兵が全部取って行った話や、お腹が空いてやっと見つけた芋か何かのかけらを、絶対に取られない様にと箱の中に隠れて食べた話などを聞かされていたので、「そうだろうな」とだけ思う。そもそも海に囲まれている痩せた土地に人を大量に送り込むのも不自然過ぎる話で、戦争というのは合理性のカケラも無く、人命を道具として消費するから出来る自己破壊行動なんだなあ…と、つくづくと思う。
今日の原口一博さんのXスペース(宇宙っぽい笑)を聴いていたのですが、「お互い争わせて分断させる事が目的」と何度も繰り返しされた言葉を、ずっと覚えておこうと思います。
あと、明るく前向きに変えようと信じる人の「人数を増やす」というのも、具体的で説得力があった。
どんなに精神的に追いつめる言葉を言われても、非合理的な要求をされても、自分はどうせ1日は「お弁当」だと考えて、出来る事を冷静に整理しています(笑)
雑なお弁当も、丁寧で綺麗なお弁当も、全部自分次第。限られた時間、限られた量だけど、色んな種類の素材も味も彩りも全部自分でデザインして、自分の為に作って自分で頂くだけ(笑)
そうやって自分に集中出来たら、他人の“無茶な要求”がどれだけ異常かすぐ気付くし、充実させる存在から目を離さなくなるかな…なんて考えています。
こんな世界でも、78年前に亡くなった子ども達と未来の子ども達に向けて、明るく柔らかな光に照らされます様にと、自分自身の心を平安にして、祈りを捧げたいと思います。
今日も、お疲れ様でした。
Posted by 白夢 at 2023年08月23日 01:09 | 返信
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