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アレが現実になった日
2023年09月15日(金)
阪神タイガースが、18年ぶりに優勝。
「アレ」がこんなに早く現実になった。
優勝が決まった瞬間、思わず涙したわ。
今夜の試合は最初から最後まで
サンテレビで全部リアルで観た。
最後の最後まで本当にヒヤヒヤした。
泣いているということは、僕は阪神ファン。
阪神タイガースは、選手の平均年齢が12球団で一番若い。
そして岡田監督の65歳は球界最年長。
岡田監督のお人柄と選手の伸びしろがもたらした優勝だった。
優勝を記念して秘話を3つほど紹介しよう。
1)今年の正月、僕は岡田監督とたった2人だけで風呂に入った。
湯舟も脱衣場もずーっと二人きりだった。
「監督は同じ年ですね」
「俺は昭和32年やから1つ上や」
「じゃあ、先輩、頑張ってください!」
その時点では、まさか「コスモスの日」に優勝するとは、
大変失礼ながら、1ミリも思わなかった。(ゴメンナサイ)
2)1985年の優勝が決まった瞬間、僕はあの引っかけ橋にいた。
道頓堀川に次々と飛び込む人たちを、すぐ近くで見ていた。
実は1ケ月くらい病院に籠って仕事していて、遠くから
女友達が大阪に遊びに来ていたので、観光案内中だった。
忙しくて野球を全く見ていなくて、その日に
阪神タイガースが優勝したことも知らずに偶然そこに居た。
3)少し前、亡くなった横田選手の訃報を書いた。
今夜、横田選手のユニフォームも胴上げされていた。→こちら
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プロ野球阪神元選手 横田慎太郎
豊かな人生の意味教える闘い
夕刊フジ 2023年7月29日 →こちら
いよいよ夏の甲子園の季節。長いコロナ禍を抜けて、今年こそ選手の皆さん、応援団の皆さんが理不尽な思いをせず思い切り青春を謳歌してほしいと願っています。
この選手もかつて甲子園で汗と涙を流したはず。名門・鹿児島実業で1年生の秋から4番打者。高校通算29本塁打という好成績を残し2014年にドラフト2位で阪神に入団した横田慎太郎さんが、7月18日に神戸市内の病院で亡くなりました。死因は脳腫瘍。28歳の若さでした。
横田さんが体調に異変を感じたのは、2017年2月頃。バッティングの練習中、ボールが二重に見え思い通りにバットに当たらなくなりました。病院に検査に行くと、医師からは思わぬ言葉が。 「脳腫瘍です。一旦野球のことは忘れてください」
頭が真っ白になったといいます。しかし再びマウンドに立つことを決意し、2カ月に2度の手術と放射線治療に向き合いました。 脳腫瘍は、頭蓋骨内にできる腫瘍の総称です。細かく109種類に分類されますが、大きくは良性と悪性に分類されます。
悪性脳腫瘍とは、すなわち脳のがんのこと。主な症状として頭痛、嘔吐、視力異常の3つが挙げられますが、その他にも腫瘍が脳内のどこにできるかによって、様々な症状が現れます。小児から高齢者まですべての年齢で発生するのもこの腫瘍の特徴です。僕も、横田さんと同じ20代で脳腫瘍が見つかった人を、これまで数例看取ってきました。
横田さんは苦しい闘病の甲斐あって、その年の9月には寛解。復帰を目指しリハビリを頑張りますが、視力が元に戻らずに2019年9月に現役を引退しました。
どんなに無念だったことでしょう。しかし横田さんは決して人生を投げ出すことはなかった。阪神退団後は、「誰の手も借りずに一人で生活することに挑戦したい」と鹿児島県内で一人暮らしを開始。ご自身の経験をもとに、執筆やオンラインで講演活動を始めます。
2020年は脊髄に腫瘍の転移が判明。懸命な治療を続けた結果、半年後には、腫瘍は消滅。「今回もたくさんの方に支えられ2度目の命を頂きました。これからは世の中の人のお役に立つと心に誓いました」と述べています。 しかし昨年、腫瘍がまた再発しました。この春には積極的な治療を終えて、ご両親のサポートのもと療養生活に入っていたそうです。
横田さんは昨年、南日本新聞に「くじけない」というタイトルでコラムを執筆。そこには、「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を噛み締めている、と書かれていました。
豊かな人生とは、長さではなくて、何を乗り越えたのか
――横田さんの闘いが、そう教えてくれます。
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PS)
まだクライマックスシリーズと日本シリーズがあるので
喜ぶのは半分にしておこう。
「アレ」の次の言葉は、「ソレ」ではどうかなあ。
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この記事へのコメント
阪神、優勝しましたね~!
そんなに熱心なファンではないけど、やっぱり嬉しいです。
長尾先生、1985年の優勝の時に戎橋におられたなんて凄いです。
しかも、今年、岡田監督とお風呂でご一緒なさって会話もなさっていたんて、これもまた凄いです。
横田選手のユニフォームを胴上げしたのは思わず涙しました。
サンテレビの中継アナウンサーも「忘れません」と言ってましたね。
お母様も感激なさって「慎太郎は幸せです」と仰っていたとか。
病気で野球を諦めなくてはならなくなっても、
人のためにと講演したりなさっていたとのことですが、
本当に立派だと思います。
本当に人生は長い短いではないですね。
魂はあらかじめこの世での人生の青写真をもってこの世に生まれてくるともいいます。
早くあちらに帰っていく魂は、短くても凝縮した人生を生きて、
魂を成長させて帰って行くのだとも聴きます。
そして、魂はこの世を去っても生き続けます。
選手たちの思いが伝わっているから、きっと今日の優勝を見て喜んでいると思います。
「神様は乗り越えられない試練はお与えにならない」はとても共感します。
私も本当に辛かった時期をこの言葉を支えにしていました。
横田選手が発信した数々の言葉がきっと多くの人を勇気づけ、
支えになっていると思います。
Posted by モルゲンロート at 2023年09月15日 01:10 | 返信
先生、秘話をありがとうございました。横田選手も甲子園に居てたと思います。人生は、理不尽で、悔しく思う事が多い気がします。なぜ神様は、真面目に生きてる人に試練を与えるのかな。
先生は、若い頃もモテモテだったんですね。
監督によってチームが生き返る、岡田監督の何が、優勝につながったか、人柄ならば、どういう人柄なのか、チームを導く力とはどういう力なのか、チームリーダーとはなど知りたいです。日本にもそういうリーダーが居たらなあ。
私は毎日の生活で精一杯です。アレが次のソレは、名案ですね。流石、先生アイデアマンですね。
ソレになると思います。
Posted by みかんです at 2023年09月15日 08:15 | 返信
申し訳ないですけど、野球にさっぱり興味ないのです。
でも父も阪神ファーンでしたし、偶然弟子入りした米山先生と弟子のK君も阪神ファーンでした。
K君はお給料とか待遇面では、不満があったみたいですけど、阪神ファーンということでは労使一致していて、私から見たら馬鹿みたいと思いました。
米山先生も父も、あの世で喜んでいるでしょう。
関西の人は大方阪神ファーンじゃないですか?
広島はカープだし、九州はソフトバンクだし。
東京はいろいろ居てるみたいですけど。
スポーツはアメリカのオタニサーンや、日本のバスケットや、夢中になるものが多いですね。
ローマ帝国の「パンとサーカス」でと一緒で、国民を夢中にさせる術なのかなあと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2023年09月15日 09:16 | 返信
私は野球に興味ないですが、家族は見入ってました。阪神勝っただけとと思っていれば、優勝?されたのですね。私が中学くらい西武デパート、今やユニクロになった地元ローカルですが塚シンできたときがそうだったなと思います。弟が個人の寅キチで同居の時はテレビみてうるさかったです。ソフトバンク応援の北九州のおばさんから今まで阪神が勝てば野球のことで弟あてに電話ありましたが、昨日は母あてにあり楽しそうに野球の話でもりあがってました。コロナ前は弱くてニャーオとかふざけて言ってたのに、トラに復活。選手の方も執念の虎ですね。2018年、大阪北部地震の時に停まったバス内で「執念の虎」って窓に阪神の広告貼っていたこと覚えています。頑張られた脳梗塞で亡くなられた選手のお悔みを申し上げます。
先生のお歌、またきいて寝ました。鎮魂歌のような気もしました。
Posted by 心の中の応援者 at 2023年09月15日 09:47 | 返信
アレの次はソレですよね、流石言葉のセンス抜群の長尾先生、素晴らしい!
Posted by 遠い声 at 2023年09月15日 09:08 | 返信
今年のタイガースは本当に強かった。悔しいけれど敵ながらあっぱれ、でした。
つらくて優勝のニュースは一切見ていないのですが、横田選手のユニフォームも胴上げされていたのですね。少しタイガース好きになりました。
本当におめでとうございます。
CS戦える事を祈ります。
Posted by カープがんばれ at 2023年09月16日 12:37 | 返信
若い頃、甲子園球場の裏の安アパートに十年住んでいたので、試合のある日は部屋に居ても歓声がよく聞こえてました。一度阪神ファンの友人に誘われて甲子園球場へ観戦に行った時、野球の事はよくわかっていなかった私でもファンの方々の応援の仕方が面白くて楽しめたのを憶えてます。三塁側の席でした。
1985年に阪神が優勝した時の事は記憶にあり、その日は職場の先輩と阪急の東通り商店街で飲んでたんですが、優勝が決まった瞬間、今から飲み物全部半額でーす、とお店の人が言ったので店の中は大盛り上がりに。
横田選手のお話、心に響きました。脳腫瘍って若い人がなるとと本当に酷ですね。厳しい治療にもよく耐えられ、2度の再発にも気持ちは負けておられなかった。並の精神力ではないですね。まだ28才でいらしたなんて。いい年こいて大人げ無く、ヘタレですぐ弱音を吐く自分が恥ずかしい限りです。この選手のどこまでも前向きな生き様に学ぶ所は大きいです。
Posted by Yoko Oda Thapa at 2023年09月16日 01:51 | 返信
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