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病気や死因を公表する義務などない
2023年10月21日(土)
病気や死因を公表する義務などない。
当たり前のことだけど知らない人も。
そんなことも「夕刊フジ」に書いた。
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社会学者・加藤秀俊さん 亡き妻への〝ラブレター〟
病の詳細を公表する義務などない
教えたくなければそれでよし
夕刊フジ 長尾和宏 →こちら
2025年開催予定の「大阪・関西万博」を疑問視する声が日に日に高まっています。僕は関西人だから嬉しいだろうって? いいえ、ちっとも嬉しくないですよ。海外パビリオンの目途が立たぬまま予算は膨らむ一方。それでも、「国家事業だから」と血税を注ぎ込む。失敗を予測しつつ一度決めたら戻れない...この国の政治家は、先の戦争からも、コロナ禍からも何も学んではいないようです。
太陽の塔をシンボルにした、1970年の大阪万博は、こんな場当たり的なものではありませんでした。政治家でも広告代理店でもない知識人たちが「万国博を考える会」を自主的に結成し、企画を練り上げ、徹底的に予算を管理。大収益を生んだのです。この「万国博を考える会」の中心に、この人がいました。
『中間文化論』などで知られる社会学者で評論家の加藤秀俊さん。9月20日、都内の病院で亡くなりました。享年93。詳しい死因は明らかにされず、ただ「病気のために死亡」との発表。
当連載を長年続けていますが、新しいやり方だと思いました。病の詳細を公表する義務など誰にもないのです。教えたくなければ、それでよし。 幅広いジャンルで多くの著作を世に出し続けた加藤さんですが、先立たれた妻との人生を書いた『九十歳のラブレター』(2021年、新潮社)は、既婚高齢男性にぜひ読んでほしい一冊です。
加藤さんと妻・隆江さんは、小学校の同級生。戦争の混乱の中、青春時代に運命の再会を果たし、加藤さんは隆江さんに思いを寄せ続けました。「いまの言葉で言うと、ストーカーだった」と振り返るほどに。念願叶い彼女のハートを射止め、23歳で結婚。隆江さんは夫の人生を、太陽のように明るく照らし続けていたようです。
それから65年。別れは突然訪れました。 加藤さんがいつものように朝食を用意し隆江さんを起こしに行くと、冷たくなっていたそうです。2019年9月のことでした。
御夫婦は生前、二人が初めて出会った港区青山の小学校のすぐ近く、桜の木の下にお墓を購入していました。加藤さんは、こんなことを書いています。
〈あなたはいま、そこにいる。生まれ育った青山である。(中略)ぼくたちの墓石のうえには春になれば桜の花が満開で、散るはなびらがさやさやとそそいでくるだろう。母校の校章も桜だった。ふたりそろって母校の学区内、入学のときからいっしょ、死んだあともおなじところでいっしょ、こんなしあわせがあっていいものだろうか〉
同級生で、親友で、同士でもあったおふたり。加藤さんは今頃、隆江さんと再再会を果たし『九十歳のラブレター』を、照れながら渡していることでしょう。
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加藤さんて、なんて素敵な人なんだろう。
僕も彼の死に方に賛成。
そのためにはしっかり「遺言」を残さないとね。
リビングウイルは、死ぬまでのこと。
遺言は、死んでからのこと。
両方をセットでやっておかないとね。
今日、「高齢社会をよくする女性の会」の
基調講演ではそんなこともお伝えしたい。
PS)
今日、イアホンで谷村新司さんの歌を聴いていたら、
偶然にも谷村新司をお看取りした医師にお会いした。
そんなことってあるのかな?
実は僕はそんなことが、よくある。
10月28日の申し込みはキャパの2割だけど、
谷村新司さんをしっかり語り、歌いたいと思う。
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この記事へのコメント
前回の万博も行ったことは、無いのです。
自主映画組織の誰かが「反万博」に連れて行ってくれましたけど、途中で昔の彼女にでもあったのか、どこかに行ってしまいましたので、夜道を一人で帰って来ました。
何年後かに中国博覧会には、叔父の嫁さんと子供達と一緒に行きました。
昔の東京オリンピックも、JFケネディが応援してくれて、アメリカ軍の基地だった代々木を返してくれたのでオリンピック会場になったと本に書いてありました。
あの頃は貧しかったけれど、皆平等で、今より明るかったですね。
Posted by にゃんにゃん at 2023年10月21日 04:22 | 返信
長尾先生。おはようございます。
確かに小林真央さんの時から疑問に感じていましたが、著名人だからと言って病の詳細を公表する義務は
ありませんよね。
母の入院中に知人にばったり会った事があります。後で婦人科系の病気でお亡くなりになったと風の噂で
聞きました。知られたくなかったんだなと気づきあの時に気づかないふりをしてあげればよかったと後悔しました。
普通の方でもそうなのだから著名な方は尚更でしょうね。
でもきっと天国から奥様が迎えに来られて今頃天国で一緒にお茶でも飲まれているかもしれませんね。
先生、昨日のNHKの72時間 ご覧になられましたか?
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023102013418
すごい良かったです。入院患者さんや何十年も通院して来られていた患者さん、患者さんたちを無事に移動させる為に
打ち合わせを重ねる80人のスタッフ、総指揮の担当をされていた安藤看護師、その旧校舎で自分が若い時に
担当したもう助からない年上の女性の患者さんとその旦那さんからかけられた言葉を話すベテランの医師。
地元の病院もちょうど 新しい病院に建て替えた所なのでオーバーラップしました。
私、自宅にいるよりも長い時間いたその病院の事 大嫌いかと思っていたらよく考えたら愛していたんだって気づきました。
何時間もいた屋上の食堂も余命宣告されて母にごまかす為に泣いていたトイレも しょっちゅう行くので時々会話を交わす様になった店員さんがいる病院の売店も 救急車で搬送された時にずっと待機していた患者家族さん達がすわるソファーも。
番組の中で総指揮の安藤看護師が自分を育ててくれた病院がなくなるのは寂しい思いもあると仰っていたので
最近、長尾クリニックを引退された長尾先生も同じ気持ちかなと思い書き込みに来ました。
まだ見逃し配信もあるので是非、是非🐾
Posted by うし🐮さん at 2023年10月21日 07:37 | 返信
私の母、8年前の2月に死にました。突然に死んだのです。ちょうどかかりつけ医が、東京の学会に参加するので留守にすると言っていた日でした。朝ヘルパーさんが来たので、おしぼり用のタオルを5~6枚水に濡らして、ヘルパーさんが来る直前に電子レンジで温めて、お待ちするのです。へるぱーさんが帰るとタオルを回収して洗濯機に入れて洗うことにしています。それから朝と昼兼用の食事の介助でその日は、母の好きなものが多かったのでたくさん食べました。薬を飲ませたらもう5時でした。母は「6時には夕ご飯を食べたい」と言っていましたから、慌てて買い物に出て、阪急デパートとスーパーと寄って、介護支援専門員協会の勉強会の会費を銀行から振り込んで、帰宅したら、母がベッドにもたれて動かなくなてtいました。母があらかじめ教えてもらっていた主治医の携帯に電話したら、「僕は帰れないから、救急車読んで。多分T救急病院になると思うけど、診てもらって」と言われました。消防署に電話して救急車を頼みました。「生き返るかもしれないから、人工呼吸してみてください」と言われました。見様見真似で人工呼吸をしても、母の唾液が私の顔にかかるだけでした。救急車が来て救急病院に行って、「大動脈解離による心タンポナーデで亡くなった」都の診断書をもらいました。医療関係者ではない私が在宅介護をして、母は私がいない間に、既に死んでいました。ですから病院でCTスキャンで大動脈解離による心タンポナーデとの死亡診断書を頂いて無事に葬式も出せたと思います。
在宅の死に成れた看護師さんやお医者さんなら別の処置をしたのかも入れません。
Posted by にゃんにゃん at 2024年02月23日 12:03 | 返信
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