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梁先輩、ありがとう!
2024年06月25日(火)
敬愛する先輩である梁先生が亡くなられた。
いわゆる突然死だけども、ピンピンコロリ。
想い出を夕刊フジの連載に書かせて頂いた。
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医師・梁勝則さん
尊敬できる...こんな医者はもう現れない
差別を受けながらも必死に働き、
育て上げたお母さまが優しさの源泉に
夕刊フジ 長尾和宏 →こちら
今回書かせて頂くこの人の存在は、多くの皆さんが知らないかと思います。でも、「長尾にとって尊敬できる医者を3人挙げろ」と言われたら、僕は真っ先にこの人の名前を言います。
偉大な先輩であり、畏友でもありました。 阪神・淡路大震災の被災者支援に続いて在宅ケアや終末期ケアに尽力、プライマリケアについて多くの発信をし続けた梁勝則(リャン・スンチ)医師(林山朝日診療所理事長)が、5月21日に神戸市内の病院で死去されました。享年68。死因は脳幹出血でした。
梁先生が倒れて入院した。重篤なようだと人づてに聞いたのは5月の声を聞いた頃。お見舞いに行かねばと思っていた矢先の訃報に、茫然としました。
脳幹とは、大脳と脊髄をつなぐ生命活動にとても重要な場所。ここの血管が破れることで起きる脳幹出血は、脳出血のうちの10パーセント程度を占めます。小さな出血であっても深刻な状態になるケースが多く、数時間で死に至ることもある病気です。
脳幹出血はある日突然発症します。呂律が回らない、物が二重に見える、眩暈がする、手足や顔の感覚がおかしいと感じたら、すぐに救急車を呼んでください。
梁先生は数年前にがんを発症し、克服しました。がんになる直前、やはりプライマリケアに力を注ぐレジェンド看護師の宇野さつきさんと、熟年婚をなさいました。 「リャン先生、最高のパートナーをめぐり会えて幸せでしたね...」 葬儀の日、祭壇の遺影に向かって僕は呟いていました。
先ほど「畏友」と書きましたが、在宅看取りや認知症ケア、孤独死の問題に向き合うなど、僕がしていた仕事と重なるところが多くあり、最高のライバルと思っていた時期もあります。でも、僕よりも何倍も患者想いで、包容力がありました。
その優しさの源泉は、お母様の生き方にあったのかもしれません。梁先生の母・春子さんは韓国生まれ。5歳のときに一家で日本に来ました。炭焼きなどで家計を助け、小学校2年生までしか学校に行かせてもらえなかったそうです。19歳でお見合い結婚。梁先生を含め子供を3人もうけましたが、夫がある日突然、家を出て行ってしまいます。
差別を受けながらも必死に働き、梁先生を立派な医者に育て上げた春子さんは、70代後半で認知症に。そんなお母さんのために梁先生は認知症の人のための施設をクリニックのそばにつくりました。僕は一度だけお母さんにお会いしましたが穏やかな人でした。
理不尽な目に遭っている人がいれば、絶対に放っておかない、見捨てない人でした。こんな医者は、もう現れないでしょう。梁先生、あなたと同時代に町医者として生きられて、僕は幸せ者です。
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梁先生の凄さは短い文章では表現できない。
もうこんな医者にはで会えないと思う。
この文章が夕刊フジに掲載された6/15は、月世界ライブの日だった。
本当なら、梁先生が来られていたはず。
PS)
6/15の神戸のクラブ月世界ライブのテーマは、
「ミスタームーンライト」だった。
まさに、月光のような存在だった。
奥様の宇野さつきさんがライブに来てくれて嬉しかった。
ライブ終了後は梁先生の家に行き、チーンしてきた。
合掌
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この記事へのコメント
「脳幹出血」って、門外漢には言葉を聞いただけで即死をイメージしてしまいます。脳梗塞を喰らったものとしては「高血圧による動脈硬化」が原因と聞くと脳卒中全般、手の打ちようがありません。患者の前では「食事・運動・睡眠が予防の決め手」と梁先生も言われていたに違いありません。30代で多忙な知人がくも膜下出血で急死しました。とてもそんな予兆もありませんでした。専門家も一般人も「ある日突然襲われるやまい」として覚悟する以外にないのでしょうか。
「医師の不養生」はまったく問題にされません。「インストラクターの不養生」はどうでせう。生徒さんの目前で急死とあれば、だれもその「健康科目」を信用しないでしょう。医師に許されることが健康インストラクターには許されないのです。「惜しい人を亡くした」とはなりません。「先生と生徒がともに過ごしたパフォーマンス」が我楽多のようにもろくもくずれていくのです。生徒としての私自身がその都度心底そう思ったのですから間違いありません。
「健康科目のそれぞれの大家」が早世されると「なんで?なんで?」となります。そこで「総合診療科」の出番となるは必定ではありませんか。「それぞれの道を究める」もいいのですが、複数のフットネスクラブでいろんな「専攻科目」の代行インストラクターをやって来た者としては、生徒さんの求めているもの、とりわけ年寄り衆の求めているものはよく分かります。脳梗塞片麻痺から短期歩行回復を、「インストラクターの意地」にかけて体現しなければなりませんでした。「専門外来ではなく総合外来」として経験と知恵を再構築しなければならないところに追いこまれたのです。
今まちかどたいそうでも「脳脊髄循環運動」というのをやっていますが、気功や家庭医学、ヨーガや太極拳などでつちかってきたアーサナや型・身体技法のなかにもヒントがありました。つたないながら永年東西で繰り返され伝えられてきた宝庫の中にヒントがありました。元インストラクターとご近所さんとの間のパフォーマンスのやりとりのなかで洗練されていくものと確信しています。
梁先生の大往生を悼みつつ、医療と無縁なも素人も素人なりにご近所さんたちと精進してまいります。
Posted by 匿名でごめん at 2024年06月25日 01:45 | 返信
今晩は。
梁勝則医師のコラムを読みました。
自宅で最後を迎えたいという患者の願いに寄り添う様、努力して来られたのだと思いました。
私事ですが、妹は、末期癌でしたが、夫から、倒れるまで働かされ、退院してからも働く事を強いられました。
訪問看護も受けられず、亡くなる為だけに病院に入院しました。
恐怖と後悔と絶望が、一気に襲って来る中、孤独な死を病院で迎えました。
コロナ茶番を殆どの人達がわ信じていた頃で、脳出血なのに、病院は、入院を拒みました。
もし、妹の主治医が、梁医師の様に優しかったなら・・・と思ってしまいます。
心の卑しい人が多い時代に、この様な人に出会えた人は、幸福だと思います。
仕事が出来る人は、多く居るのでしょうが、優しい人は、とても少ないと思われます。
長尾先生の無念さが、伝わって来る様で・・・本当に惜しい方が亡くなってしまいましたね。
心より御冥福をお祈りします。
Posted by 三毛猫 at 2024年06月25日 11:59 | 返信
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