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戦争と性
2024年08月17日(土)
NHKスペシャルで「グランパ1000枚の写真」を観た。
米軍の写真家が硫黄島の日本兵の様子を撮っていた。
笑顔で米兵と談笑している写真もあり、意外だった。
戦後は、GHQやMPが日本各地を支配した。
必然的に日本の各地に米兵の「慰安所」が作られた。
それは政府(東久迩内閣)の命令であった。
日本人女性が乳房を米兵に触られている写真は貴重だ。
専門家の討論会では、憤る男性学者もいた。
戦争は、若い男と男が殺しあう。
一方内地では、敗戦国の女性が戦勝国の男性を性接待する。
いいとか悪いとかという話ではない。
ブルースという従軍カメラマンの孫のマリアンが
お爺ちゃんが残した1000枚の写真を日本に持ってきた。
どんな気持ちで写真を撮ったのかを検証したかったのだ。
戦争と性を知るための貴重な写真を実際に観てみたい。
是非、このNスぺをアーガイブで観て欲しい。→こちら
PS)
僕のXスペースで詳しく話したので、そこで聴いて欲しい。
明日の21時のNスぺは、特攻隊だ。
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この記事へのコメント
長尾先生
私は 20歳くらいから
美輪明宏さんの音楽会や講演会に
行ってました。
金色オーラの 美輪さんを
見たくて 行くのですが
時々 戦争の話をして下さり
美輪さんが 作詞作曲した
戦争の悪魔の歌もあります。
迫力のある歌です。
美輪さんは このブログにもある
「慰安所」で働いた女性から
直接 話を聞いています。
過酷だったようです。
毎日 毎日
1人の女性にたいして
50人くらいの兵隊がずらっと
並ぶんだそうです。
毎日 50人 だと そこに
イボができるそうで 激痛らしく
激痛に耐えながら また毎日
50人 並ぶそうです。
当然 自死する女性もいて。
「慰安所」で女性を取りまとめる
のは 日本人の軍人で 負けたら
米兵にこびをうって生きていて。
ちなみに日本兵も 戦地に女性を
連れていき 自分は死にたく
ないから 慰安婦の女性に
武器を持たせて
お前が先を歩けと言われたと
美輪さんは 直接
戦地に行った 女性から
話を聞いたそうです。
国防軍という名の 軍隊をつくると
公約に書いてある 自民党に
票を入れた人たちは
カルマをかえすことになるのかな。
一番迷惑なのは 魂の連帯責任で
戦争を止められなかった
私たちが
戦争に巻き込まれることです。
.
Posted by 長尾先生が大好き at 2024年08月17日 07:50 | 返信
NHK映像の世紀バタフライエフェクト『東京 戦後ゼロ年』では、その詳しい経過が生々しい映像として映し出されていました(なんども放送されていますが、戦後世代には一度は必見です)。
古今東西、戦争には「慰安婦制度」が付き物です。中曽根康弘の回顧録では、アジア各地に派遣された会計士官の仕事だったそうです。「皇軍」はなにごとも「現地調達」。行き先ごとに「慰安所」を急造し「慰安婦」も現地調達。「皇兵の乱暴狼藉」は行き先々で現地住民の恨みを買ったので、会見士官は大忙しだったそうだ。
日本の「戦国時代」でも略奪・強姦は当たり前。時代劇では省略されているが、その「現地調達」方式は、近代皇軍に引き継がれたのだろう。日本政府が占領軍の士官・末端兵の性的欲求を管理するため、皇軍の経験を活かし全国各地に「慰安施設」急造を手際よく推し進めたのは自然の成り行きだったのでしょう。
Posted by 匿名でごめん at 2024年08月17日 08:47 | 返信
昨日16日(金)のテレビは、疲れて寝てしまって観ていません。朝日新聞の紹介に拠りますと、グランパの夏:オランダ竿十の写真家マリアンは、祖父のブルースが従軍写真家として撮影した約1万1千枚の写真を12年前に受け取り、調べてきた。戦地の日常、激戦地.硫黄島での捕虜となった日本兵と共に写真に写る米兵=写真=日本兵の頭蓋骨...。関係者や専門家への取材を交え、写真が写した戦争の内実を追っていく。
特に、戦後間もない占領下の進駐軍向け「慰安施設」の内部とみられる写真は珍しいものだという。上半身裸の女性と兵士、料金表と言った写真は、日本政府の関わりなど歴史的な経緯やマリアンという専門家のやり取りも含めて深い印象を残す。語られずにきたものを、写真がかろうじてつなぎとめていた。現代を生きる私達は何を読み取るか」と書かれていました。私は以前に東京で戦災孤児のお世話をした日本人男性が「戦災孤児の面倒はだれも見なかった。唯一多額の寄付をくれたのはじつはアメリカ兵相手にした女性達でした。その他の人々は何もしなかった」と仰っていました。戦災孤児のお世話をしたという男性は、私にはふつうの市民に見えたし、地味で上品は服装であったとした分かりません。
翻ってこの写真を撮って頂いたカメラマンは、オランダ人カメラマンと思われます。オランダは、昔から長らく東インドを植民地にしていましたけど、日本軍が進行して、日本の植民地にしようとして、結局インドネシアとして独立してしまったことを随分憎んでいた。オランダ女王は最近退位なさったけれど、相当日本を憎んでいました。イギリスもインドの独立させてしまった日本を憎んでいました。ですから米兵と並んで日本女性を撮って「やはり日本女性は淫売だ」といいたい「外人」なんです。聖書にも「罪なき人のみこの女に石を投げよ」と言ったイエスキリストの言葉が載っています。
悪いのはアメリカ兵で生活の困ってアメリカ兵の相手をしている日本女性ではありません。裸の日本女性を写真に撮ること自体「外人」なんです。イギリスやオランダの植民地が独立してしまったことへの、日本への恨みです。
Posted by にゃんにゃん at 2024年08月18日 01:44 | 返信
お盆中、母がテレビのチャンネル権もってて、私は映画みてたのですが、先生ご紹介の「NHKスペシャル グランパの戦争~従軍写真家が遺した1千枚~」オンデマインドで見ました。
祖父母が優しくても、多くを語らなかったのは日本だけでなくアメリカもなのだなと思いました。
先生の「X」も聞かせてもらいました。頷きっぱなしでした。カメラマンの方の将校への憤りも日米同じような人が多いのだと思いました。写真ってすごいですよね。スマホでデジタルデータ写真は手軽になり、私もレストランの綺麗なコースなどすぐ撮影します。
一昨年のお盆に兄弟夫婦が来た時に戦争のテレビ見ながら、母の記憶のポロリ程度の想いで話きいてたのです。
母の幼い時の話で国道をジープでMPさんを眺めた。格好よかったけれどシャイだったや、佐世保に軍艦見に行ったなどの話を聞かせてもらいました。
祖父の遺影は母方の田舎にあるのですが、私は顔忘れがちなので、母に祖父の写真はないか以前、尋ねたが、大坂には1枚ももってきてないと長いこといわれてました。それで偶然、盆の用意に母が箱の整理したときに、母の若い時の昭和30年代の写真や、こちらの祖父母や家族の写真。私の幼い頃の写真が黄ばんだ状態ででてきました。その中に若い母方の祖母が赤ん坊の伯父を抱いてる写真ほか、祖父のフィリピンでの民族衣装をきたご一家と仲良さそうに撮影されてる白黒写真でてきました。台湾が日本の領土しってます。だから台湾に日本はこだわって近年、報道するのかも少し思いました。この10年前くらいまで殆ど何も知りませんでした。
フィリピンの民族衣装のご家族と映ってる写真は、祖父以外に黒い詰襟のスマートな同僚さんと、祖父が幼いお嬢さんの、肩に手を置いて横に民族衣装のご両親が一緒に写ってます。
もちろん、戦争はよくないことで誰もいきたくないでしょうが、しかし占領されたら明日から英語話せになるかもしれない。敵は恐ろしい鬼のようにも言われてたし、いきたくないがいかなければ、家族も国がなくなればという思いがあるから、軍に志願の人もいたわけですから。複雑です。
今は皆、事なかれ。武器とれなんて誰もいわないけれど、憲法や法律あるのに、皆、自分のことに精一杯は感じます。
友人も遊ぶときは誰も深刻な話したくないから平和ボケな話題しても、なにかのときに、気づいてると感じる言葉を呟きます。声をひそめて「今の時代は自分のことだけ考えといたほうがいい」と、殆どの人は違和感というか皆、胸に秘めてるものがあるけれど、処世術重視で語れない、楽しく明るい話しかできないのが今の時代なのだろうと実感すること多いです。ちなみに祖父は写真が趣味だったから白黒写真残ってたみたいです。でも日本では本当に魂を吸い取るで、神社仏閣など含め、頻繁に写真とろうとはしなかったは聞きました。今なら皆、インスタ映えのために写メばかりですから魂とられまくりだな(笑)と思いました。
一昨日、保険証探すため引きだしあければ3年前沖縄にいってよった旧海軍司令部壕資料館のチラシがでてきました。
チラシに大田少将、大田實司令官の電文の「県民斯ク戦ヘリ」の現代版が記載されてました。公式HPでも全文PDFでよめます。上官も心ある人から鬼のような人まで色んな人がいたのだろうと思いました。沖縄の民間の人の苦難を思いました。長くなりましたので掲載されなくてもいいです。
Posted by 心の中の応援者 at 2024年08月18日 12:13 | 返信
こんにちは。
平時でも、災害時でも性暴力はありますね。被害者の心の傷は
深く、聞く方もやるせないです。
爬虫類脳という言葉があります。間脳にあたる部位で、性欲の
刺激はこの爬虫類脳で処理されます。攻撃的になったり、執着や
所有欲旺盛になるのも、ここの働きです。
国連などが幼子へ性教育を推奨するのは、爬虫類脳を刺激して、
好戦的な人格形成を図るため。そう考える方がいます。確かに、
あり得ますね。性犯罪は繰り返されまる傾向にありますしね。
また、嘘をつくのも、この爬虫類脳です。自身の生存のためな
ら、嘘をつくのは許される、何が悪いのか?という考え方です。
自身の欲求は、ほどほどにしましょう。哺乳類脳の使いどころ
で、仏教でいう“とんじんち”や戒などがあるのでしょうね。
では。
Posted by たまねこ53号 at 2024年08月18日 08:37 | 返信
昔、小学生の頃、友達に誘われて、聖公会(イギリス国教会)の日曜学校に行きました。その時に聖書に書かれていた「ヨブ記」という箇所があって、物凄く真面目な義人であったが、神様の御意志で、財産も無くなるし、子供達も死んでしまうし、自分自身も病気三昧の暮らしになってしまう。一時は信仰心を失いかけるが、精神を持ち直して、神を信じる」という内容でした。自分も75~6歳になりますと、あちこち軋みが出てきて、「いよいよヨブの年齢になったなあ」と思います。ヨブのような信仰心はありませんけれど。
市民病院で「ワクチンは、なんというワクチンを何回接種しましたか?」と聞かれると「2回接種しておいて良かったかな」と思います。13日、16日と市民病院で18日もお勉強で疲れました。
浜松には行きたかったのですけど、行けませんでした。台風が来ては行ってしまって、また9号が中国、朝鮮半島にいくそうです。暑いけれど、トンボが一匹飛んでいて「やっと秋になった」と思いました。私の友達は大学生時代にスナックにアルバイトに行って、同志社の学生にライターをもらったと自慢していました。のちに東京で「関学のドイツ文学部卒の女性が、ある宗教なのか○○会という団体に入っていて、その宗教の男性と恋愛関係だと言っていましたが、どこかでスナックを経営しているというので見に行きました。大工さんか左官屋さんか若い男性と彼が、連れてきた中学生か10代の男の子が来ました。大工さんは黙っていましたけど、その小さい中学生見たな子供が、関学ドイツ文学部卒の女性をからかったり、もう一人アルバイトのツイッギーみたいにスマートな女性に「洗濯板に干し葡萄」と言ってバカにしたので、驚きました。「ええ!スナックって大学ドイツ語科卒の女性が中学生の男性に馬鹿にされるところなんだ!」と思いました。その後、就職すると、セクハラに会いました。就職して「ここで働くのだ!」と腰を据えると上司にセクハラ行為をされても、すぐには退職できかねます。「嫌だと言わなかった」とか「セクハラされると言われているのに職場に来ているは、売春と同じでOKと言ってるようなものだ。給料をもらっていると言う事は、その給料が売春のお手当なんだ」ということらしい。いまは「セクハラ防止法」があって、肩を触ってもセクハラで訴えられるらしいですけど。
だからお嫁に行くときは「就職したことはございません」とか「アルバイトだけです」というのが常識なんだそうです。
だから結婚して国民年金をかける事と、御亭主が亡くなられた時は、御亭主の年金に見合った、遺族年金をもらえます。
いつまでも未婚で就職しているのはおかしいと「虎に翼」の寅子さんは結婚して子供を産んで、今度こそ恋愛結婚をして、籍を入れるので、嫁ぎ先の先妻の子供に虐められるそうです。私は籍を入れる結婚はしたことは無いし、これからもしないつもりです。
結婚しないと市民病院などに入院するときに「保証人を出せ」と言われる。結婚すると「生命保険殺人事件」に巻き込まれる可能性が強いです。父は葬式費用の為に自分に生命保険をかけていましたが、母にも葬式費用の為に生命保険をかけていました。それで母はぷんぷん怒っていました。
家族っていると鬱陶しいし、居ないと寂しいです。父が死んだ時、神主さんに来てもらって、家の中で葬式を出しました。その後家の中を掃除しようとすると、母が「私が死んだときの葬式の用意をしているのでしょう!掃除しないでちょうだい!」と言って、二階にまで、調べに来ました。ですから母が死んだときは家の中で葬式もできず、母の亡骸は葬儀屋さんの預かってもらいました。母が死んだ直後から疲れが出て、掃除はしませんでした。お向かいの大工さんはお年寄りのお世話にも慣れているので、私にも「掃除しておかないと、死んだあと掃除屋さんに、何十万円ととられるよ!」と言っています、当分、私の死ぬ準備で掃除に専念したいと思っています。
Posted by にゃんにゃん at 2024年08月19日 01:25 | 返信
かずくん、お疲れ様です。
この特番は観ていないのですけど、アーカイブだけでなく再放送もありそうなので、見ようかな…と思ってます。地元ではあちこちに、その痕跡も話もいっぱい残っているし、リアルに身を守るために戦う話も昔からいっぱいあるし、現場地続きで問題も続いているので、過去のお話という訳でもないですね。
自分は「女も戦っている」というのは、変な感覚にしか見えなくて、その表現をきちんと言えば「女も(誰かに)戦わされている」が的確な表現だと思います。
例えば、子どもの祖母はかなり良家の子女だったのですけど、多分大陸の例の場所に大切に疎開されていて、でも敗戦後に未婚者は“そういう役割を担わされる”と伝わったため、殆ど知らない人と船に乗るために婚姻契約をして日本に帰る事ができました。
でも、調べてみたらやっぱり残っていた人達は「人身御供」として、自分達が殺されないために同族の若い女の子達を差し出していたそうです。この場合は、「無理矢理戦わされている(人身御供)」な訳で、心底グロテクスな話だなあ〜と思います。。
祖母にはもともと学生の頃から望まれた婚約者がいて、戦後も子どもがいたにも関わらず、探して会いに来ていたのですが、その申し出も断って、最終的には当時でいうキャリアウーマンになった後、本当に好きな相手と結婚しました。
でも、その後もいわゆる売春街の中心とする繁華街で、特にその環境で育つ子ども達の福祉目的で家庭訪問に力を入れて、実は子どもの方からもすごく感謝されたみたいです。。
半グレの子ども達の家庭って、実は親が暴力的で支配的だったり、無気力無関心で病気のネグレクト状態が多く、1番の犠牲者が最も弱い子どもになる…というただそれだけの真実を理解している人だったみたい。
壮絶な体験からくる強さに誰も言い返せなかったのと、生まれ育ちの良さから来る教育基盤と、一族が無宗派のクリスチャンで人権回復や社会福祉の立ち上げに力を注いだ事も、全部関係しているのですけど、とても奇数な役割を持っていた人だったんだなあ…と、つくづくと思います。。
だから戦後に関しては、「そうやって子どもを育てあげて来た」女性達が多くいて、その地域が現在結構なリアルフェミニスト地域に育っているのも、本当に無関係ではないですし、今もなお地続きで繋がっている貧困の鎖による、性暴力や若年者妊娠、売春の問題も、長年にかけて研究されて支援の体制も少しずつだけど始まっている。
それもまた、「女性達自身の歴史」であって、戦争と性による傷跡から更に進んだ回復と癒しの歴史まで、地元は見続けているのだと思う。
特に若年女性の売春に関して、ネグレクトや虐待などの深刻な保護者側の問題が大きいのですが、その際に支援側の重要な事は「話を聞く事」だったと思う。
その理由に、生まれた時から本人の意思を確認したり尊重してくれる様な環境にいなかった子が多く、自分の意思や気持ちもよく分からない状態で放置されている。というものだったと思います。
生まれて時から、誰かに大切にされて気持ちを尊重してもらう“経験”が乏しいと、自分の感情すらも分からなくなって、どれほど酷い事をされても、自己主張自体も出来なくなるし、“自我”が脆弱なために、簡単に性的にも搾取されやすくなり、妊娠等による若年母子の貧困の連鎖が止まらない、というものが大きな要因だったと思います。
「性」の前に最も遥かに重要なのは、子どもの「意思」の尊重と表現を守る事なんだと思います。
私はいつも同じ事ばかり言ってるけれど(笑)
(あ、ですから模範的女性像の押し付けが、問題解決に意味をなさないのも、逆に激しい差別に合う理由も、これなんですね)
「戦争と性」の先の歴史も振り返りながら、番組観て何かありましたら書きますね。
大切な方の旅立ちに、ご冥福をお祈りします。
今日も、お疲れ様でした。
Posted by 白夢 at 2024年08月21日 02:03 | 返信
インドネシアに日本軍が進行した時、オランダ人女性に危害を加えたのではないかと言う事を聞きました。オランダ国女王が日本に反感を持っているのもそのせいだと思います。戦争をもっと早く終わらせたら良かったのに、貧しい母子家庭の長男がいやいや特攻隊に加わって戦死しなくても良かったのに、「天皇制の維持」とか言って「無条件降伏はダメだ」と軍が言い出して、原爆が広島と長崎に落ちたと「ポツダム宣言」をググると載っています。早く降伏していたら、こんな貧困にあえいだ女性達がアメリカ兵の相手をしなくても良かったのにと思います。「天皇制の維持をマッカーサーが、約束してくれたと、昭和天皇陛下が喜んで「玉音放送で無条件降伏」したとNHKで言っていました。無念です
Posted by にゃんにゃん at 2024年09月12日 04:34 | 返信
思い出しました。江戸時代末期に日本に西洋医学を教えに来てくれたシーボルトという医学博士がいました。
大勢の蘭学者を創出させて、日本人も勉強しました。
私は10~15年前に日本郵船の藤丸で一泊して四国の宇和島に遊びに行きました。高野長英という高名は蘭学者は一時期宇和島藩に匿ってもらっていた小さな家も見てきました。その後高野長英氏は自殺したそうです。ところがシーボルトはさあこれからオランダに帰国しますと言って出港したのに、暴風雨に会い密に入手した伊能忠敬の日本地図を持っていたことが暴露されました。
シーボルト医学博士は現代的西洋の医学を教えると同時に日本を植民地にするべく地図も手に入れていたのです。
その影響もあって、弟子の蘭学者は弾圧されたのかもしれません。そして日本も東インドシナ(インドネシア)のようにオランダの植民地になっていたかもしれないと思います。そのオランダの憎しみが「アメリカ軍人に媚びる日本人女性」の写真だと思います。一体そのオランダ人写真家のお孫さんは何をしに日本に来たのでしょう?
Posted by にゃんにゃん at 2024年10月18日 04:39 | 返信
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