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アイルランドで死の権利世界連合の会合が開催

2024年10月08日(火)

先月、死の権利世界連合

の世界大会が開催された。

今回はアイルランドだった。

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【アイルランド安楽死】

イギリスの推進団体と協調 

先月の『安楽死・世界会議』の開催地 ...

で来年はなぜか『日本』❓❓❓

|世界の『安楽死&尊厳死』データベース   by むふむふ →こちら




日本尊厳死協会からも3人の役員が出席した。


というのも、次回は2026年に日本で開催されるから。



2026年の11月、東京、都市センターホテル。


2年以上先の話。


欧米は安楽死の議論。


日本は尊厳死の議論。


台湾は?

韓国は?

フェイリピンは?


東アジアはアジアの死生観がある。



医療が発達すると終末期医療の悩みも大きくなる。



とりあえず、先月、アイルランドでそんな会合が

あったことだけでも、皆様にご報告します。




PS)

昨夜の河添さんの回、沢山の方にご覧頂き、ありがとうございました。


1回ではとても収まらないので、またお呼びいたします。


来週のゲストは、奥さんを亡くされた小金井さん。


死亡認定は867人になったが、気になるのは

不認定の死亡がほぼ同数あることだ。


小金井さんはその一人。




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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

私は尊厳死協会の永久会員です。ただ自然に死んでゆきたいだけです。生きることにも死ぬことにも権利などありません。与えられた命に生かされて寿命が尽きれば死んでいく、ただそれだけのこと。しかし、死ぬまでをどう生きたいか、それを選択する自由は自らにあります。万が一のことがあった時、個人的に私は人工呼吸器や胃瘻はつけず、延命は望まない、そしてガンなどでの苦痛などが生じた時は苦痛緩和してほしい、それを尊厳死協会会員という形でリビングウィルの証明書にしています。疼痛緩和は時代と共に大部上手く出来るようにもなりましたが、身体のだるさしんどさなどを完全に取ることは難しいでしょう。でもガン末期でなくても心身ともに苦痛を抱える人々はいっぱいいます。癌で不安だからさっさと死にたい、棺桶式ガス室に入って死なせてくれ、はいわかりました、死にたい人みんな集まれ、簡単に死ねるよ、というのはあり得ないことだと思います。

Posted by 遠い声 at 2024年10月09日 10:58 | 返信

尊厳死、安楽死についてリンクからむふむふさんの記事を読んでみた。日本では安楽死が論議を呼ぶ段階ではまだなく、尊厳死すらなかなか進んでいない現状。長尾先生ら日本尊厳死協会の人達が一生懸命頑張っておられるのに。

先生もおっしゃるとおり、東アジアにはアジアの死生観がある。自分が南アジアに住んでみて思うのは、やはりアジア独特の欧米とは違った、人が死ぬことへの解釈があるのは確か。
だけど日本とは、似ていて微妙に違うとも感じる。
例えば親等の家族が死んでいくのに対する受け入れ方。人によっても違いはあるが、日本に比べてあっさりしているというか、仕方がない、と諦める事が日本ほど難しくないというところ。日本のそれは、最後までしがみつきたい、置いていかないで、という気持ちが強く、言い換えればそれはエゴなんだろうけど、死んでいく家族の意思が尊重されない場合というのはきっとそれが理由の大半を占めているように思う。
同じようにそれは親の老いについても言える。親の老いを受け入れられない。だから介護する子は平穏でいられなくて苦しんでいたりする。

居住国はヒンズー教徒が多い国だけど生老病死の考えは仏教と同じ。日本人ももっと仏教の教えに学び、老いや死を受け入れられるようになれば、自分のエゴから家族にしがみつく事もなく、自分らしく死を迎えたい家族の思いも大事にする事が出来るのではないだろうかと思うけど、どうなんだろうか。

Posted by Yoko Oda Thapa at 2024年10月10日 01:38 | 返信

Yoko Oda thapaさんの疑問に思い当たることがあります。
同じ仏教徒と言っても、倭人は「漢語訳された仏教」徒なのです。生老病死の「四苦」があります。漢語の「苦」は「ドゥフカ」の音訳です。意訳ではありません。「生」が苦しかったでしょうか。産んだ母は苦しかったでしょうが、赤子は苦しかったでしょうか。「生まれる苦しみ」などこれっぽちもなかったことでしょう。
(私は著名なふたりの宗教学者にこの件をはがきで質問したところ、翌々日にはがきでご返事がありました。自筆で書かれたご回答は私のそれと合致しました。歳すでに晩年のことでした。)

匿名でごめんからYoko Oda Thapaへの返信 at 2024年10月10日 10:56 | 返信

悪用の懸念や制度的難しいことはともかく…。私が考えたのは一時、さることの泣寝入りから酷い鬱になったことがあったからです。若い時に、動物実験反対に署名などしていたとき、EUの動物福祉の3Rなど見ていました。近年ではどうしても毒物の犠牲は食べ物ふくめありますから動物実験の福祉としての考え方「生きてるうちはせめて幸せに、死ぬときはなるだけ苦痛なく」という考えになってるそうです。人間と動物は違いますが、痛み恐怖を感じる生き物としては同じでしょうから。
昔は緩和ケアなどが追いついてなく父の末期がんの状態は壮絶だったらしいです。だから子供である私に見せたくないと末期は母が父に会わせてくれませんでした。
別に病気でなくても、凄いショックを受ければ立ちたくても立てない。いろんな哲学や神仏のお話をよんで自身を励ましても、どこか空虚な思いを抱えて精神論だけではやはり無理で、生きてる間に何ができるか考えて、少しでも、しっかりした生き方に対して考えられたりできるうちは、鬱状態ではありません。鬱状態になるとどう前向きに考えても、どくか空しく空まわりするのです。そして厳しい現実や、厳しい現実に耐えられなくなった人が自殺を選ぶ。この国にも3万は自殺する人がいる。どんなに命の大事さを問うたり、死生観や神仏に意識を向けても、精神が弱いと叱りつけても、3万の人が自死を選ぶが「現実」です。安楽死制度がなければ、自分で自分を死なさなければなりません。
そういったときの想いは「楽になりたい」が一番で死を選ぶが、自殺となると失敗もあるし、望まなくても周囲に迷惑をかけてしまうこともある。残された家族に精神的トラウマや費用負担をかけることもある。もし失敗したらと思って自死の想いを留めると思いますが、そこまで思いつめてるときは半ばノイローゼか重度の鬱状態が多いですから、失敗や後の悲惨な姿も考えず実行してしまうのだと思います。それなら苦しい思いから逃げたくて自死を選ぶのに、周囲から自死する思いをなじられ、失敗したときにもっと生き地獄を味合わせるのなら、難しくて不可能かもしれないが、医師の元で苦痛なく安心してあの世に旅立てるほうが自殺よりマシだろう。どれだけ綺麗な言葉がとびかっても、世知辛く現実は厳しい。人に相談したくても相談できない言えないこと実際は沢山ある。たとえば自分のコンプレックス問題ならともかく仕事で秘守義務関わる重大なことを知って苦悩や、家族状況からや事件に巻き込まれての泣き寝入りで適切なケアがうけられてないやら、いろんなケースあると思います。
やはり3万人は現実にどんなに悩み相談や命の電話の本当はただ、そこに対処療法として追いやれみたいな上辺の元にやはり3万命を自分で消す現実があるのだから。それならせめて苦痛なく。医師のもとで安心した中で処置されたほうがいいのではないかという思いが根源に残ります。
実験動物の最後は必ず安楽死らしいです。実験された後は感染症の問題などもあるから。
別に今のワクチン問題でなく、薬害やら隠された企業からの実験行為などで隠されただけにケアもうけられず、苦しんで自死を選ぶような人も今までいたと思います。相手が大きい会社は組織なら、発覚するのも氷山の一角。そんなとき生き地獄を味あわせて、ひっそり思いつめて自死を選ぶより、せめて死に方だけでも苦痛なく安心の元でと思うと。生き抜く強さを語る感動話や精神論にもわかるのだけれど。無責任がまかり通り、何も信用できないような現代だから、もちろん安易に選ぶのはよくないし、気持ちの回復が望める状態なら生きる大事さのほうを説くけれど、気持ちとしては自殺するくらいなら、医師の元で苦痛ない安楽死を。きれいごといっても現代は一人で思いつめないといけない現実がある以上、そう考えてしまいます。

Posted by 心の中の応援者 at 2024年10月11日 08:02 | 返信

住職兼医師として境内に医院を併設し活動されていた田中雅博さん。膵臓がん死を前に『般若心経はスピリチュアル・ケアの経典』をほぼ完成されていました。
「死に至る病の過程で、他の動物とは違う人間独自の苦があります。『死ぬ』という、自己喪失にかかわる苦であり、これがスペピリュチュアル・ペインです。身体の痛みが強いと、痛みに耐えているだけで他に余裕が無く、スピリチュアル・ペインは隠れています。しかしオピオイド(麻薬)の適切な使用等で身体の痛みが無くなるとスピリチュアル・ペインが強く現れてきます。」
「ここで『苦』とは『思い通りにならない』という意味です。『思い通りにしたい』という渇愛から『思い通りにならない』という苦が生ずるのです。」「般若心経の『五蘊皆空』、すなわちスピルチュアル・ケアなのです。」(書きかけの原稿から)

匿名でごめんから遠い声への返信 at 2024年10月11日 11:09 | 返信

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