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強いストレスがかかっても折れないために
2025年01月12日(日)
強いストレスがかかっても折れない人には、
ある秘訣があるという記事をシェアしたい。
そうありたいなあ、なんて思いました。
強いストレスがかかっても折れない人は何が違うのか...
精神科医が「これほど重要なものはない」という能力
(プレジデントオンライン) →こちら
まずは、自分を誉めること。
そして、人に上手に依存すること。
この2つが大切、だという。
いい記事だと思ったのでシェアしたい。
そうかあ・・・
自分はどうか?
と問うてみると、
できるような、
あまりできていないような、
微妙。
これから一生続く、混迷の時代。
とりあえず、折れない心を作る知恵だよね。
それを知り、実行することも、ひとつの能力だと思う。
PS)
寒い日が続きますね。
心も寒くならないように気をつけてください。
時には誰かに依存すること、を心に留めておきましょう。

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この記事へのコメント
過去いろんな「精神科医」に接してきた。
ヨガ教室を併設しているところもあれば、錠前つきのところも。
ストレスはいつも振りかかって来る。避けられない。
今は、「現実を受け入れなけれならないつらさ」に、途方に暮れている。
「自分を褒めることも、だれかに上手に依存することも」なく、
ただ、まちを彷徨い、「時の流れ」に身を任せるのみ。
Posted by 匿名 at 2025年01月12日 12:16 | 返信
まだ旅先なのですが、今日はお昼からバレエを観にプラハの国立劇場に行きました。そしたら開演30分前になっても会場のドアが開かない。中を見ても電気もつかず人も居ないし、どうもここで公演があるとは思えない。
誰かに聞こうと思っても、通りすがりの人にどうやって聞こうか…英語は若い人しか通じなさそうだし。
焦りながら途方に暮れていると目の前に若い綺麗なお姉さん達2人が現れ、会場のドアを開けようとしている。
勇気を出して、今日のバレエ公演のチケットを買ったけど、ここじゃないんでしょうかねと言ってみたら、なんとその2人連れもその公演を観に来たという。
彼女らが隣のビルの人に聞いてくれ、バレエはここじゃなく国立オペラ劇場という別の会場に行くべきだった事が判明。チケットを良く見たら会場はそう書かれてある。今頃気がついたけど結構離れているので歩いてたら間に合わない。
タクシー乗るしかないな、でも見回してもタクシーいないしアプリ入れてないので呼べないし…と思っていると、お姉さん達がタクシー呼ぶので一緒に乗って行かないかと誘ってくれた。タクシーはすぐ来て、開演少し前に無事着くことが出来た。
お姉さん達にお金を払おうにも現金がユーロしかなく、どうしようと思っているうちに彼女らは会場の中へダッシュで消えてしまった。降りがけに、私1人だったら今日ここに来るの間に合わなかったと思う、助かったわありがとう、とだけしか言えなかった。
バレエ(ロミオとジュリエット)はとても素晴らしく、観れて良かった。本当にラッキーだった。
帰り道、私はいつも肝心の所で詰めが甘いなと反省し、お姉さん達にお世話をかけて何もお礼が出来なかった事を悔やんでいたが、宿に帰って先生のブログを開くと、この記事。
そうだ、時には誰かに依存していいんだ、って。今度またいつか、自分ができる時に、誰かに何かしてあげたら良いんじゃないのかな、と思えた。
Posted by Yoko Oda Thapa at 2025年01月12日 03:29 | 返信
思ってもみなかった記事でしたが、とても大事なことですね。
じっくり読ませていただきますね。
自死を選んでしまうのもこういうことが関係していることが少なくないのでしょうか?
同じことが起きててもなんとか踏ん張れる人とそうではない人、
常識的に、道義的にはそうなのでしょうが、結構厳しいことも言われてますね。
多くの方面で選択する場合の責めるような、否定する話はよくみて何とも言えない気分になってしまいます。
死後の話でもそうです。
確かに周囲を見ると、甘えるというのは違いますが、親から褒められ肯定的に育った人(甘やかされ過保護という意味ではなく)
は、メンタル面にしっかりしたものがあって、ゆるぎない精神的な安定感を感じたことがありました。
この話はもっと深堀りした再びの記事も読みたい気持ちです。
Posted by シェアありがとうございます! at 2025年01月12日 12:04 | 返信
いい情報ありがとうございました
私の家は藁ぶきの家です
それでも倒壊もせず今まで生きさせて頂きました
多くのご縁に感謝します
Posted by 貞静 at 2025年01月12日 01:48 | 返信
私自身も、色々な意味で「発達障害だ」と思います。「勉強しなさい」と言われれば言われるほど、したくなかった。
大学入試と関係ない「弁論部」のマルクス主義と「実存主義」の違いに興味がありました。
弁論部の先輩に「実存主義のサルトル」に心酔している人がいたからです。でも高校時代に、一度会っただけで、高校卒業以来一度もあったことはないのです。その先輩と恋愛結婚して、離婚した同級生から、疑われていますけれど、本当に一度もあったことはないのです。邂逅(かいごう)ってあるんだなあと思います。
後年になって、彼の義理の父が有名なマルクス主義者だったから、実存主義に走ったのだと理解できました。
それだけではないのでしょうけれど。
父が復員したのは30歳過ぎだったし、母は24歳でしたけれど、いわゆる花嫁学校出身ではなかったのか、子育ての苦手な人でしたから。真面目ではあったけれど、嘘つきでした。優等生でなければいけなかったし。大学も母の言う通りの大学でなければいけなかたし、でも「あんたがあの大学でないと嫌だというから許した」と言う事になっていました。いろいろありますよ。一人っ子だったし。でも日本で子供の数が少ないのは「結婚して相手に保険をかけて殺すと大金が入る」保険制度が原因だと思うし、シングルマザーに何の保証も福祉政策も無いからだと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2025年01月12日 01:49 | 返信
かずくん、こんにちは。
私の風邪は随分と良くなったのですが、昨夜は子どもの咳が寝ようとすると止まらなくて、対応に追われて済んだあとは熟睡。。
あまり記憶無く、朝起きて友達と遊びに送り出すまでもがドタバタで、一通りやる事済んだらまたお参りに出る予定。
戦跡も周るので今年はある程度予定も立てておこうかな…と考え直しています。
かずくんのブログも読んであれっと思ったのですが、実は私も昨日は珍しくお寺の方に参拝しました。
本当に初めての場所。寺院は本当に馴染みが無くて(といってもご縁があって父を預けています。でもそれ以外は全然)
それで「へ〜こんな感じなんだ」とちょっと意外。
とても柔和で寄り添う様な温かい雰囲気でした。人もたくさん参拝されてたし、人気があるのも分かる気がしました。
子どもが欲しがった御守りも私にご縁があった品も、何だかとても意外で面白かった。また行ってみたいと感じました(笑)
自然を祀る神様は、どこか荒魂が強くて気が引き締まるのですけど、今までお寺もほとんど行く機会が無かったので、もう少し関心を持ってみようと思います。
このお勧め記事、読みました。
個人的にはどうなんだろう…。苦手な方だとは思うのですが(親は厳しかったとは思う)、年齢と経験を重ねることも、だいぶ変化して来ますね。
割と無理はするので、周りの方が心配して見かねて手を差し伸べる、というパターンもあったかも…。
でも人って長い目で見てみると、多分自分のやって来たことがただ返っているだけの様な気はしますね。
自分は精神科の面接やカウンセラーによるカウンセリング技術はもともと肯定的で、この記事の様に臨床と論理的な考え方が上手く統合されて抵抗少なく受け入れられたり実践しやすい思考になる、というのはあるのかなと思います。
個人的には、本を読んで勉強している精神科医の方もいますし、臨床に基づいた理論は探すと本当に良いのもあると思います(私は薦められたのだけど)
不思議と古くからの親しみのある物語と、親和性が高いのも、あるあるなのかも知れませんね。
「三匹のこぶた」は、不思議と子どもたち意外と知ってる。家が壊れたら自分が食べられる恐怖なんて、よく考えたら怖い。
私自身は「家と豚」の2つの要素にツボってしまって、「家を建てる(建築)」「豚を飼う」の二つは地元の古くからの文化の中で、切っても切り離せない関わりがあります。
タンパク質、昔は土地の細い資源の貧しい田舎の地域こそ(そういえば、大部分がそうだけど)、各お家の屋敷で豚を飼っていたと思います。
それで、「こぶたのウォッシュレット」と言うのは、厠から繋がった豚舎までの細い通路を小さな子ぶたちゃんだけは通れるので、そこを渡って遊びに来た子ぶたちゃんが、ぴょんぴょん顔を出してお尻を舐めてくれるからだって(笑)
それがこぶたのウォッシュレットの秘密♪
そうやって屋敷内で育てられた豚は、正月などの行事の時に食べられるのですが、海岸で捌いてお肉を洗う時はやっぱり寄生虫などがいて綺麗に洗い除いてから、貴重な食料として頂いたそうです。
それを話してくれた方は、本島よりももっと貧しい場所に幼少期は暮らしていたけれど、母や祖母の愛情の話は山の様に聞かされました。
貧しいからこそ、子どもをなお大事にする。という想いとお話は、まだ時々聞くことが出来ます。
臨床では「自分の弱さ」が病的なまでに自覚出来なくて、生きづらい人やトラブルに見舞われる方達が対象になりやすいのかも知れませんが(自覚出来ないのが、一番厄介だと感じます)、「弱さ」を「お金」に換算して自己保身で無自覚のままでいるのが、現代の病のひとつなのかもなあ…とも感じました。
これからまたお参りに行って来ます。
かずくんも、良い一日になりますように。
今日も、応援しています。
Posted by 白夢 at 2025年01月13日 01:15 | 返信
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