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尊厳死を巡る議論の中間まとめ

2012年07月09日(月)

尊厳死に関してみなさままら沢山頂いたコメントを、まとめてみた。
反対派、賛成派、中立派・・・いろんなご意見ありがとうございました。
最後のお二人、「花へんろ」さんと「桜」さんの御意見が身に染みました。
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沢山頂きましたが、私と面識のある方のコメントは除きました。
どこのどなたか全く知らない方の御意見を、便宜上、
勝手に区分けして並べてみました。お許しください。

多くの方に、ゆっくり読んで、考えて頂ければ幸いです。

もっとも資料がありませんね。
ちょっと多いけれど、以下を参照ください。http://firestorage.jp/download/67583941907aa675fe861be3283fff47625e389b
7月9日で消されるURLですから、興味のある方は
プリントアウトしてください。
もしくは、要望があれば私のHPにPDFで載せることもできます。

ちなみにメデイアでは、こう報じられました。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/37601.html

さて、今週7月12日(木)、再び尊厳死議連の総会があります。
再び障害者団体の意見陳述があり、私も会議に出席します。
障害者団体の方が納得されるまで、私も考えて行きたいと思います。

なぜなら、障害者の方の基本的人権を担保する法律であると信じているからです。


【反対派の方の御意見】

後日談:橋本操さんが「長尾さん、面白い」って言ったのは、呆れてものも言えない面白さだったそうです(笑)
唯一よかったこととして、うれしそうに話してる長尾さんには悪いですけど・・・。
Posted by ポットさん at 2012年07月05日 09:46 | 返信


その場にいました。
中立の立場から見てもあなたの言ってること、主張してること、説明してることは支離滅裂。こんなブログで自分のいいように言い訳してないで、猛省しなさい。
Posted by 武井(兄) at 2012年07月04日 11:51 | 返信
 

自分に気持ちのいいコメントばかり選ばない。
→個人のブログだから、そんなのは勝手だ。
尊厳死協会のえらい人が言うことは影響力があるということを知らないのか。
→それはそれ、これは個人のブログだ。わかりました。
ぜひ今度尊厳死法制化賛成の方々の集まりに呼んでください。
これから何度もコメントを投稿します。
一通でも掲載された暁には、住所氏名、メールアドレスと連絡先、すべてお伝えします。
Posted by 武井(兄) at 2012年07月05日 12:14 | 返信


なぜコメントの選別をおこなうのですか?

賛同も批判も受けてこそ立派な人間じゃないのですか?
医者としてのプライドですか?障害者ごときに論破されて、相当悔しかったんですか?
主催の弁護士会のせいにしないで、堂々を障害者相手にきれていいんですよ?
それでこそ生命倫理を振りかざす権利がありますよ。
障害者は患者ですって?あそこにあなたの患者がいましたか?
患ってる者って意味ですか?
あなたたちのやろうとしていることのほうが、患ってますよ。
なぜあの場に障害者がいたからキレなかったんですか?ブログ上でのこけおどしですか?
その程度の強がり書いて、精神年齢おいくつですか?
やはり医者は社会的経験も少ないから精神年齢は低いのは当たり前ですけど、特に低くないですか?あなた。

口先だけでごまかそうとしても、政治家のやることと一緒で、なにもかもお見通しですよ。
Posted by 武井(兄) at 2012年07月05日 12:00 | 返信
 

コメント消さないでくださいね(笑)
Posted by 武井 正臣 at 2012年07月05日 12:32 | 返信
 

武井正臣さま
長尾和宏です。昨夜は御苦労さまでした。
ご挨拶できずに失礼しました。
武井さまに限らず、コメントの選別はしていません。
私は幼稚です。様々な批判もそのまま載せています。
武井さまのコメントを消すこともありませんので、ご安心ください。
Posted by 長尾和宏 at 2012年07月05日 02:11 | 返信
 

長尾和宏さま
 一昨日のシンポジウムに参加させて頂きました。私は尊厳死法制に反対の立場です。不治の障がいがあります。
 私は尊厳死推進の立場の方がどんな背景、思想、理論を持って尊厳死法を制定しようとしているのか、直接伺いたくて参加しました。ですから先生が語ることにとても興味があって臨みました。
しかし、コーディネーターの方が言われたように、討論のとっかかりすらも見いだせませんでした。
『終末期』が「亡くなってから」わかるのであれば、法による措置など不可能であります。
 人間にとって最も重いことの一つである死をあの程度の議論で法でもって扱うことは本当に乱暴極まりないことです。。
 何より、「尊厳死法」ではなく、生きていく為の整備にご尽力いただきたいと切に願います。
Posted by 及川 智 at 2012年07月05日 04:00 | 返信


【唯一、賛成派の方の御意見】

たぶん、「尊厳をもって生を全うしたい。栄誉ある撤退をしたい」という声は、「どんな苦難があろうとも、頑張って生きましょうよ」という声に消されてしまうんですね。後者の方が声が大きいし、世論にすんなり受け入れられますから。

仮に法制化されると拡大解釈されて、重度の障害をもつ方々が常に「あなたはまだ生きるの?」というプレッシャーにさらされ、存在自体を否定されかねないのも怖い風潮だと思います。

しかし尊厳死を認め、普及させるには法制化が不可欠です。法制化で一定の要件を満たした場合に延命治療の中止をしても主治医が訴えられないという保証ができるまでは、怖くては中止はできないですね。法制化されなければ、現状は変わらないと思います。
Posted by 内科医K at 2012年07月06日 06:36 | 返信

【それに対する反論】 

内科医K様

 思いがけない返信、ありがとうございます。
悲しいことに障がいを持って生まれた者、高齢者が殺されるということが後を絶ちません。その背景は現実的な生きづらさがあることにほかなりません。全力を持って生きづらさのもとを絶つ、改善することが絶対的に優先されるということだと信じています。「現状で尊厳死はなされている」との見解もありました。

 訴訟を起こされない保証と「死なす法」。論点が違うように感じるのは私だけでしょうか? 十分な話し合いと信頼関係が存在すれば訴訟などという事態には陥らないと感じます。やや短絡的な論理かもしれませんが。患者と医師の関係性はそうであることが極めて望ましい。と思います。
及川智から内科医Kへの返信 at 2012年07月08日 11:29 | 返信


【中立派というか、どちらでもない立場の方の御意見】

シンポジウムなどに時々出ますが、今日みたいにかみ合わない議論は初めてでした。
主催は東京弁護士会となっていましたので、司会は弁護士と思っていたのですがこれが・・・。

デイの昼食調理ボラから帰宅してお茶して、5時前どれブログでも・・・とPC開いたら、長尾先生も参加と。こういう会はあると知っていたのですが、雨も降っているからパスしようと思っていたのを急拠参加。

大体参加メンバーと持ち時間の配分が不公平で、フェアでなかったですね。
それと話し合うテーマについての共通理解がなく、自分たちの事例以外に想いが及んでいない様子が残念でした。一般席には障害者関係仲間が沢山いらしたようでしたが、タイトルの先頭についている「高齢者」の望まない延命には関心なし。多分朝日新聞の告知を読んで、それを聴きにいらした方も多かったのではと思いますが。

優生思想とか障害者は不要な命と見るのかとか、ピントはずれな発言が多く、「そうじゃない、尊厳死は一定条件時の個人の自由意志の尊重。第一あなた自身、自分の自由意思をサポートして貰えているから(人口呼吸器の装着他)今その発言が出来るんでしょ。他の方の自由意思だって大事と思ってほしい」としみじみ思いました。後半は同じことの繰り返しに呆れてしまい、急いで読まなければいけない本を持っていたので、席でそれを読んでいました(>_ 長尾先生の徒労感も伝わってきましたよ。お疲れさまでした。
尼崎に帰れば先生を信じて病気と共存している患者さんが沢山おられる。
「今日はひどかった」と東京の悪口でも言って笑わせて上げて下さいね。
Posted by 梨木 at 2012年07月03日 11:07 | 返信

こういう体験をして、また障害者にも受け入れられる表現を身につけていかれるのでしょうね。
リーマンさんの言われる、この世に起こることに、
無駄なことは何一つなく、
すべては、よくなるためにの過程に過ぎない…。

先生が、平穏死を目指していかれる道には、こういうイバラの道もたくさん出現するのでしょうね。
でも、また立ち上がり、まっすぐに前を見て、歩いていかれる先生だと思います。
命の燃焼する限り、前を向いて自分の信念に向かい、生き続けていかれる姿が目に見えるようです。
ご自分のことを馬鹿な医者だと言わないでください。
顔も名前も出して、すべての責任を引き受け、行動される先生の姿は、神々しく輝いておられます。
ご自分を褒めてあげてください。
先生の後ろには、先生の生き方を応援している方がたくさんおられます。
今日も心穏やかに、お体ご自愛くださいませ。
Posted by かめ at 2012年07月04日 02:09 | 返信
 

立命館大学に、『生存学研究センター』という研究拠点があって、ここの研究者が
以前インタビューで、最近の「尊厳死」や「平穏死」ばかりが注目されている風潮に
危惧を覚える。という内容を話していました。

ちなみに、『生存学』の定義は、次のようにされています。

「病い、老い、障害とともに生きること。異なりをもつ身体。
それは、福祉や医療の対象である前に、人々が生きていく過程であり、生きる知恵や技法が創出される現場です。人々の経験を集積して考察し、社会との関わりを解析し、これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示す──それが「生存学」です。」

延命をしないことが、優生思想や障碍者不要論につながらないようにすること。
これは勿論重要なことですが、「尊厳死」がなぜその「生存学」と敵対するものと
捉えられてしまうのか、むしろ違和感を覚えたものです。

私自身は、「尊厳死」とは、その人の「生き方」を最後の最後に台無しにすることなく
その人らしく全うするものである、と思っています。
「死に方」というより「生き方」の問題なのです。
ですから、「生存学」と敵対するものではありません。

上野千鶴子氏なども、「死に方まで、医者に満足してもらわないといけないのか」と
いささか乱暴に批判されています。

今回の300人対1人のような多勢に無勢の集まりではない場で、在宅ホスピスに関わり
「尊厳死」問題に取り組む専門家は、こうした一方的な誤解に基づく批判に反論するべきでしょう。
今回のブログを読んで、遠からずそういう議論の場が必要になってくると思いました。
Posted by 花へんろ at 2012年07月04日 02:56 | 返信


死を前提とした人と、生を前提とした人との議論?
良き死を考える事を目的とした人と、どこまでも良き生を考える事を目的とした人との、論点のない議論?
その場にいないので分かりませんが、全く相反した方向へ向かっている人達の処へ、相反した結論だけを持って単身飛び込んでおられる図が浮かびます。
でもどちらも生命の尊厳性を求めていることに変わりはないと思いますし、そこに論点があればもう少しお互いの思いが理解されたのではないかと思います。

尊厳死を認め法制化することが、障害を持つ方々の生きる権利にプレッシャーをかける事に繋がりかねない。
何かあちらを立てればこちらが立たずのようでもどかしいものを感じますが、解釈する側が法制化された言葉を深く理解する、哲学的な理解力を持たないと本来の目的が成り立たないように思います。
法律があって人間があるのではなく、人間の尊厳の為に法律があるのですからそれを使いこなす側の力量の問題ではないでしょうか。

Posted by 桜 at 2012年07月08日 11:24 | 返信

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この記事へのコメント

私は父を、父の遺言に反して、病院の中で、MRSAで、死なせてしまいましたので、母はできるだけ、自宅で平穏に、自然に死なせてやりたいと思っています。その為には、あとで私が、警察に引っ立てられても、仕方がないと思っています。これは、患者、利用者と、家族の問題であって、医師はそれを産婆の様に、補助するだけなのではないかと思います。
ですから、法律を制定するときは、医師の責任では無く、患者本人と、家族の責任を明確にする署名のある契約書が必要だと思います。
そして、尊厳死法の成立に疑問や反対があるのなら、決して、尊厳死法の制定を急いではいけないと思います。
優生保護法と、尊厳死法は全く、違う世界の話ですが、日本や、スウェーデンでは優生保護法で、ハンセン氏病の患者さんの隔離と、生殖器の摘出手術を当然のようになされました。
たしか、美智子皇后陛下も、ハンセン氏病の本をお読みになっていて、深い思いをお持ちでいらっしゃるとのことです。

昨日、教育TV(Eテレ)で、脳性まひの中年女性が20歳の時、家族の希望で、生殖器の摘出手術をされたが、今は、前向きに明るく生きていらっしゃると言う内容でした、途中から見たので、その女性が今は何歳かは不明ですが(脳性麻痺の方がたの多くがそうであるように)極めて、知能の高い女性でした。
尊厳死とは範疇が、違いますが、私達は、そう遠くもない過去の世界で、そして今も、障害者に対して、どういう医療がなされたのか、明確に知っている必要があると思います。
そして、国の福祉政策を悪用した「貧困ビジネス」があるようには、決して、「尊厳死ビジネス」等という産業が出ないように、法律を、100%整備する必要があると思います。
T.E.ローレンスが、アラブ民族独立の為に、狂奔したのに、ロイド.ジョージや、ヨーロッパの老練な政治家に、振り回されたようには、長尾先生や尊厳死協会は、ならないと信じています。
勿論、我が厚労省が、老練な政治家とは思っていませんけど。

Posted by 大谷佳子 at 2012年07月10日 01:20 | 返信

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