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中村哲先生を悼む
2019年12月05日(木)
アフガニスタンで亡くなった中村哲先生のお顔が浮かぶ。
世界に誇る偉大な医師を失った悲しみで、混乱している。
中村哲先生は、2010年6月13日に尼崎の
長尾クリニックの近くで講演されている。
マイブログにしっかり記録が残っている。→こちら
約10年前、空海と関寛斎を想起している。
生活に向き合うのも医師の仕事と教えて頂いた。
私はその時、感動してペシャワール会に入会した。
ずっと会員だっが、この3年くらいサボっていた。
今はただただ、ショック。
まだ受け止められない。
ただただ、ご冥福を祈るしかない。
「NHKドキュメンタリー 中村哲さん 「武器ではなく命の水を」」再放送 →こちら
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10年前の日記を読み返す。
「アフガニスタンの真実」
昨日は、地元尼崎で、感動の午後を過ごしました。
アフガニスタンで26年間活躍している中村哲医師の講演会、
「アフガンに命の水を」を質疑応答を含めてたっぷり拝聴しました。
中村医師の朴訥なお話に涙が出ました。
私の頭には、空海、関寛斎、そして中村哲、とインプットされました。
中村医師は、1984年から26年間、アフガンで活動しています。
最初はボランテイア活動で入ったのが、いつの間にやらこんなことになった、と。
1984年は、私が医師になった年。
中村氏は現在63歳。九州大学卒の神経内科医。
つまり、私が開業した年齢(37歳)で、アフガンに入職している。
1978年のソ連軍のアフガン侵攻が9年間続いた。
これでアフガン人250万人(アフガン人口の10%)が亡くなった。
アフガンとパキスタンの国境は実にファジー。
パキスタン側にある、ペシャワール会を拠点に活動している。
中村氏は両国間を行き来している。
アフガン人は、日本人を尊敬しているが、その理由。
1)日露戦争に勝った国
2)広島、長崎に原爆を落とされたが、見事に復興した国
つまり、同じアジアの国として、誇りに思っているらしい。
中村医師は、最初はフランス人と間違われたそうだ。
日本人とわかると友好的扱いを受けた。
最近は、アメリカの仲間だとばれて、友好関係がちょっと怪しくなってきた。
日本人は軍隊を持たないことをもっと強調すべきだと言われた。
日本人はもっと誇りを持って堂々とふるまうべきだとも。
ロシア軍進攻のあと、内戦状態に陥り治安が一時悪化した。
しかしタリバン政権で国土が統一されて、治安が急速に改善した。
最も安全な時代であった。
そのころから井戸を掘り始めた。
病気を無くすには、水を確保することが一番大切だと知った。
最初は病気を無くそうと頑張っていた。
ハンセン氏病などの伝染病が蔓延しているが、
わずかなお金もないので、人々は死んでいった。
そこに911事件が起こった。
そのころバーミアンも破壊された。
マスコミの嘘
・ピンポイント攻撃など無かった=無差別攻撃だった
・自由を謳歌するアフガン女性の姿もねつ造だった。
・タリバンは悪とは言い切れない。
中村医師にとってのアフガン問題とは
空爆ではなく、水の確保の問題。
水の問題は住民にとってまさに死活問題。
用水路を地元住民と一緒に作る毎日。
水が確保できると、難民キャンプから家族を呼び寄せることができる。
学校も作り、教育にも力を入れた。
現在は治水工事の毎日。
そこには、日本の伝統時術も応用されている。
「技術定着資産」と言う言葉を使われた。
治安を安定させるためにモスクも建設した。
Q 何故日本ではなくアフガンなのか?
A どちらでもよかった。
もしアフガンにいなければ九州の無医村で働いていただろう。
電車に乗って、ヨボヨボのおばあさんが乗ってきたので席を譲っただけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
Q 危険はないのか?
A 看護師や家族(息子さん)や友人が犠牲になったが、これは仕方がない。
食糧配給チームを3つに分けて、リスクの分散を図った。
「自己責任」という言葉には、「放っておいてくれ」と言いたい。
Q 今の日本をどう思うか?
A 余計なもの(携帯電話など)が多すぎるので、必ず行き詰まる。
しかし日本民族は歴史があるので、必ず再生もできる。
拝金主義、武器主義からの脱却が必要。
Q タリバンの本当のところはどうか?
A 悪いとは限らない。
自分もタリバン一派とみなされているのかもかもしれない。
マスコミが作った偏見が多い。
女性が顔を見せないのは、単なる慣習法だった。
Q 地球温暖化の影響は?
A アフガンも日本と同じで、洪水と干ばつの差が激しい。
総じて、乾燥化との闘いである。
中村医師は、聴診器の代わりに、現在は什器を操縦する毎日である。
日の出とともに起きて、日没と同時に寝るので、健康である。
ペシャワール会の運営は寄付によって賄われている。
私も寄付をした。
中村医師の話を聞きながら、自分の無力さを情けなく思うとともに、
昨夜の免疫療法や、今日の京都での抗加齢医学会は一体何だろう?
と考えた。
同時刻に京都国際会館で開催されている、抗加齢医学会(アンチエイジング学会)の
シンポジウムテーマは、「抗加齢医学が日本人を幸福にするか?」だった。
中村医師に学ぶところは実に大きい。
彼はキリスト教徒だそうだが、言葉の中に
「和」と「男気」と「本物の優しさ」を感じた。
こんな医師はもうなかなか出ないだろう。
彼に関する沢山の書物や、DVDが出ているが、お金を出して買うべき。
そして、ライブは中村先生の人柄がよく分かり、一層のファンになるだろう。
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西日本新聞の「中村さん語録」から
★援助する側から現地を見るのではなく、現地から本当のニーズを提言してゆくという視点である。
彼らはわれわれの情熱のはけ口でもなければ、慈善の対象なのでもない。
日本人と同様、独自の文化と生活意識をもった生身の人間たちなのである(活動の基本姿勢について)
★誰もが行くところには誰かが行く、誰も行かないところにこそわれわれに対するニーズがある
(辺境山岳部で医療活動や井戸堀り活動を続けることについて)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/565439/
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絶筆 【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】
信じて生きる山の民 2019/12/2 11:49 西日本新聞 国際面
我々(われわれ)の「緑の大地計画」はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバー
ド北部農村を潤し、2020年、その最終段階に入る。大部分がヒンズークシ山脈を源流と
するクナール川流域で、村落は大小の険峻(けんしゅん)な峡谷に散在する。辺鄙(へ
んぴ)で孤立した村も少なくない。
比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関
心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。我々の灌漑(かんがい
)計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。こうした村は旧来
の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然、治安当局が
警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。
●忠誠集める英雄
ゴレークはそうした村の一つで、人口約5千人、耕地面積は200ヘクタールに満たない
。これまで、日本の非政府組織(NGO)である日本国際ボランティアセンターが診療所
を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。PMS(平和医
療団・日本)としては、計画の完成に当たり、このような例を拾い上げ、計画地域全体
に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。
同村はジャララバード市内から半日、クナール川対岸のダラエヌールから筏(いかだ
)で渡るか、我々が3年前から工事中の村から遡行(そこう)する。周辺と交流の少な
い村で、地域では特異な存在だ。圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パ
シャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。
パシャイはヌーリスタン族と並ぶ東部の山岳民族で、同村の指導者はカカ・マリク・
ジャンダール。伝説的な英雄で、村民は彼への忠誠で結束が成り立っている。他部族に
も聞こえ、同村には手を出さない。
10月中旬、我々は予備調査を兼ねて、初の訪問を行った。クナール川をはさんで対岸
にPMSが作った堰(せき)があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。ゴレーク
側からも工事を行わないと回復の見通しが立たない。ゴレークの方でも取水口が働かず
、度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。この際、一挙に工事を進め、
両岸の問題を解決しようとした。
最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約200名が集まって我々を歓待した
。他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりして
いて、惨めな様子は少しも感ぜられなかった。
ジャンダールは年齢80歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、厳(
いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あ
って猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。
PMSの仕事はよく知られていた。同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残
されていたからである。
「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」
「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、
村はうれしいのです」
●終末的世相の中
こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界
を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都
市部の民心の変化を思い浮かべていた-約18年前(01年)の軍事介入とその後の近代化
は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、
忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。
近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京や
ロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞
(かすみ)のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや
流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両
岸はプラスチックごみが堆積する。
国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いか
かる温暖化による干ばつ-終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。
見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた
)を見つめる。
× ×
「アフガンの地で」は、アフガニスタンで復興支援活動を続ける「ペシャワール会」
(事務局・福岡市)の現地代表でPMS総院長の中村哲医師(73)によるリポートです。
次回は来年3月掲載予定。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/564486/
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この記事へのコメント
無医村で働くどころか海外の治安の悪いところで医療行為以外に干ばつ事業までこなされたのは凄過ぎです・・・
Posted by 薬剤師 井澤康夫 at 2019年12月06日 08:30 | 返信
「武器ではなく命の水。」
中村哲さんたちを支援する小学生たちが想いをつなぐ。
日本では「閣議決定」で、自衛艦と隊員約300名を中東の海に派遣する。
防衛省設置法第4条「所掌事務」の「調査・研究」だそうだ。
「状況が変化したら自衛隊法上の海上警備行動を発令する」(防衛政策局長)。
かつての「軍部独走」ならぬ「官邸独走」だ。
改憲できなくても、「壊憲」が進む。
国税で後援会会員5000名?を「桜の宴」に招待。
「オリの宴」のあとは、後期高齢者の健保自己負担は倍増。
アヘ支持率は、高止まり。「ワン・チーム」だって!
Posted by 鍵山いさお at 2019年12月06日 11:46 | 返信
12月7日。中村さんの遺体はアフガン大統領らに見送られ出発。
12月8日。成田空港に到着。トラックの荷台に。
日本政府は首相も閣僚だれひとりも、迎えず。
Posted by 匿名 at 2019年12月10日 05:49 | 返信
ペシャワール会の名前だけは聞いた事があったくらいの私が、あのひどい事件からいろいろな事を知る。卑劣なテロ行為に怒りをおぼえ、1月にペシャワール会に2000円程寄付。今月は入会予定。ペシャワール会には今までよりいっそう活動を活発化していただき、
今までよりいっそうアフガニスタンを緑の国にする等していただきたい。暴力は無意味ばかりか、逆効果になることがあるということを、逃げ隠れした犯人達に理解させ、復讐としていただきたい。私も微力だが手伝っていこと思う
Posted by 怒りのアフガン at 2020年02月09日 04:34 | 返信
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