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安楽死に関する僕の考え  ーご批判をお寄せくださいー

2020年10月05日(月)

昨夜、日本尊厳死協会のワーキンググループの

ズーム会議を我が国を代表する有識者と行った。

その中で、京都ALS嘱託殺人事件が話題になった。

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日本尊厳死協会としての見解はHPに出ている。→こちら


それとは別に、僕は事件への個人的見解をいくつかのメデイアで述べてきた。

しかし、そんなことを有識者のほとんど(会田教授を除く)は知らなかった。


ちょっとショックだった。


メデイアに出ても、誰も読んでくれない。

小説を書いても専門家は読んでくれない。


まあ、そんなもんだろうけどね。

だからもう少ししたら、メデイアからも卒業予定だ。


いくら自論を述べても肩書が無いと、誰も読まない。

特に有識者は、町医者の戯言など誰も気をとめない。


しかし主要な3つの拙文をここで紹介したい。

是非、多くの人から、ご意見を賜りたいのだ。



1) 朝日新聞「論座」→こちら


2) 日本医事新報 →こちら


3) 月刊公論  →こちら



僕は、今回の事件を一人称で考えたい。

皆さまのご批判を、どんどん浴びたい。


奇麗ごとは大嫌い。

と言いながら、まだ多少は奇麗ごとだけど。


ALSの人たちと毎週、いろんな問答をしている。

みんな胃ろうや人工呼吸器は拒否!である。


僕も自信がない。


林さんのご冥福をお祈りする。



PS)

コロナチャンネル #169  ドクター和の部屋in薬師寺


浦嶋偉晃さんに聞く「一般企業のコロナ防衛策って?」→こちら



今日は、死ぬほど忙しかった。

朝起きてから今まで1秒の休みなく働いていた。


トイレも、朝一番の次はつい先ほどだった。

よく病気にならないものか不思議である。


お看取りが11日間、毎日続いている。

深夜も早朝もずっと働いている。


正直、情けなくて、心で泣いています。


もう、あかん。

死にたい、と。


人間は辛いことがあると、そんな気持ちになり得る生き物。

しかし愚痴を吐ける誰かがいるだけで生きることができる。


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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

応援してます。身体に気をつけてね。

Posted by 匿名 at 2020年10月06日 01:47 | 返信

「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」ですものね。正直なお言葉お待ちしています。

遠距離介護の道中、人とメールでやり取りすることが気晴らしや励みになってました。
大概は私を労わる返信をくれる中「親の世話をすること、人に何かできることの方がしあわせ」と仰る方が。
多系統萎縮症であるその方とお会いした時「人にしてもらうばかりはつらい。死にたい。」
ご家族が席を外された時にそう仰っていました。正しい正しくないとかは脇へどけて、とにかくお話を聴く。それだけしか出来ませんでした。その時だけでも気が紛れてもらえたら、というのも自己満足に過ぎないのかも知れませんが。
同じ経験、同じ境遇にならないと解らない・・・確かにそうだけれど、だから解らん知らん!っていうのもね。
自分のものさしを押し付けるのでなく、相手を解ろうとする、想像してみることも大事だと思います。

Posted by taco at 2020年10月06日 08:08 | 返信

まずALSを患った当事者の方々のお考えを詳細に聞かないとわからないなと思います。おそらく「生きることの意味」を考えれば考えるほど尊厳死・安楽死方向に向かうのではと想像はできます。

現状は声の大きい人の意見しか出てきていません。なので「自分が当事者だったらどうするか」「主治医だったらどうするか」を想像で語るしかありません。私が患者の立場であれば絶対に胃瘻も人工呼吸器もお断りします。今だって生きるのはしんどいなと思っている最中ですから。主治医だったら難しいですね。自分だったらこうする、と伝えてもいけませんし。

自然界から見ると人間のやっていることなんて無意味なことばかりです。一人の人間にフォーカスを当てるとさらに、です。生きることは自己満足。他人を幸せにして最大級の自己満足を得るのが一番の幸せと言われています。

では他人を幸せにできない人は幸せになれないかというと違います。幸せでなければ生きていてはいけないのかというとそれも違います。なのでご本人が苦痛でなければもちろん生きていていい(生きる権利がある)、苦痛に満ちた生活が続くのであれば・・・私は人工的な生命維持法は本人の希望があれば(判断力の有無にかかわらず)やめていいという考えです。

長尾先生への批判ですが、あえて言うなら胃瘻の栄養を徐々に減らし、水分を徐々に減らし、の方法が果たしてOKとされるか。そしてその時点が終末期と本当に認められるだろうか。その疑問だけです。

日本尊厳死協会への批判としては、以前も書きましたが安楽死と尊厳死を明確に区別することから始めると一向に議論が進まないと思います。そんなことができるのなら、先生はなぜいまだにリビングウィル面談で苦労されているのでしょうか。

そして「自殺はいけない」という立場から入ってしまうとやはり難しいと思います。尊厳死も自殺の要素はゼロとは言えませんから。自殺もタブー視しない、というのは相当に困難だろうとは思いますが。

安楽死、尊厳死、自殺、このあたりは明確に線が引かれるわけでもなく地続きです。特に本人の求めに応じて生命維持装置を外すということが消極的安楽死に位置づけられるのであれば、尊厳死との重なりは大きくなります。また消極的安楽死が認められれば、医師が薬剤を投与して死に至らせる積極的安楽死についてはする必要がなくなります。

なので個人的にはご本人の希望に応じて人工呼吸器や胃瘻、そして延命目的の点滴を中止することさえ認められればほぼ問題はクリアされると考えます。きわめてシンプルな方法です。認知症があって自分で点滴を抜いてしまう方も「生命維持の希望なし」に準じていいと思います。そのあたりも含めて倫理委員会で話し合って記録に残すべきでしょう。

それができれば自ずから尊厳死という概念も広まるのではないか、と思います。

Posted by 広島の赤牛 at 2020年10月06日 08:57 | 返信

私の母は73歳の時に大腿骨骨折で入院し手術を受け、歩けるようになりましたが、しばらくしてパーキンソン病を発症しました。私は「ALSなどの難病は医源病ではないか?」と疑っています。例えば、何かの重篤な病気になり、それを強い薬等で治療し、病気は治ったのだけれど、後でALSを発症した・・・とか。
因果関係がハッキリしないから何が原因でALSを発症したか説明できずに、難病となっているのでしょう。私の母の場合は73歳と高齢で体も弱かったので、骨折手術に耐えて薬などの投与を受ける中で、体の機能がマヒしたのでしょう。
私は医療に頼り過ぎる人間の暮らしが、難病を作っている可能性があると思います。安楽死を望むような患者を作り出してはいけません。死ぬべき時に自然に死ぬならば、安楽死を考える必要はありません。
だから、出来る限り医療に頼らない生活をするしかないでしょう。

Posted by 丘の上の変人 at 2020年10月06日 09:41 | 返信

長尾先生、お願いがあります。
先生は私よかはるかに頭が良いので日本語を正しく使いましょう
表題の「ご批判・・・」のところは「意見」ではないのでしょうか
また、ブログの「皆さまのご批判を、どんどん浴びたい」マゾじゃあるまいし・・・
「皆様の意見や思うところを、お聞きしたい」で、十分なのではないですか
私は意見を言うだけの知識は持ち合わせていませんので、思うところが正しいかな
まず、「京都ALS委託殺人事件」の医師二人の行動は「自殺ほうじょ」で犯罪です
いつもここら辺は「ヒポクラテスの誓い」を思い出す
「頼まれても死を導くような薬を与えない。・・・」と、あります
また、私はが見ても、尊厳死協会の見解の積極的安楽死として容認されるための4要件も確かに満たしてないように思われます。
安易に京都ALS委託殺人事件を合法として認めたら、これから、簡単「死にたい」の一言で全てがかたずけられ、本来、生きたくても周りの空気だけで死を選ぶ方が多くなるのは間違いなく起きると思うからです
誰しもが「死にたい」という気持ちが起きるのは、生きていれば当たり前のことなのに
特に一生懸命に生きようとしたら当たり前のようにぶつかること

尊厳死ですが、参考にしたいのが
2)日本医事報
確かのこのプロセスなら、少なくとも、「頼まれても死を導くような薬を与えない。」はクリアしているいると思う
まず、薬は「緩和ケア」「持続的鎮静」のみに使用され、枯れるように死んでいけるから

本当はに早く「尊厳死」と「安楽死」を区別されることいいですね

「安楽死特区」を読まさせて頂いた感想も書きます
池端貴子と鯨井正平の心中のシーンですが、「空っぽ心のままで死ぬ」ことがなく良かったと思う
この二人が平凡な人生を送ることが出来るのなら、色々ありながらでも幸せになれただろうに、背負っているものが違いすぎただけ。ただ、それだけ
でも、心中という形で二人はやっと結ばれる。それが二人の愛の形
澤井真子と美和はこれから本当の母と娘のような関係になっていくような・・・
と、いうよか澤井真子は美和が、昔、愛し合った人の面影を見ることは、なかったんだろうかいう疑問が残ります
また、美和は本来は弟がいたという事実を知りながら、真子先生をどのよに見ていたのだろうか、もしかしたら、どこか母親の面影を追い求めて・・・
この「安楽死特区」の鳥居医師とバルちゃんは「癒し」です
この二人がいなければ
池端貴子と鯨井正平の心中と酒匂章太郎の自殺は、余りにも、悲しい出来事になってしまう
特に、岡藤歩の事を思うと複雑です
愛する人の自殺や貴子と正平の心中を目の前で見せつけられ、ズタズタになってしまった心を抱えて、これからどうしていくのかと思うと、やるせなさしかない
そんな、物語の中で鳥居医師とバルちゃんは物語の空気を「ぬくもり」に変えてくれる

余分ですが「肩書」てよくわからない
「肩書」は洋服の一種ですか、私はバカだから分かりません
要は中身が大切なのでは
怒られるかもしれないけど、長尾先生の足跡は一杯あると思います
それを気が付かない人たちは悲しいね
でもね、町のお医者様だからこそ分かる沢山の事を、「有識者」の方々はどこまで理解しているのだろうか
そして、本当に患者さんに取ってはの医療とは・・・

Posted by ナオミ at 2020年10月06日 10:07 | 返信

長尾先生のお考えと全面的に同じです。もし私が患者だったら長尾先生に診てもらいたいです。胃瘻や人工呼吸器をつけることになったら死ぬまでやり続けなければならないというのであれば初めから拒否する人も多いでしょうが、やめたくなったら一緒に考えてやめることだってできるんだよ、というのであればじゃあやってもいいかなと思う人も多くなるのではないでしょうか。しかし、一旦やってしまったら、今の日本では、やめるのは犯罪になってしまうのではないかとそれをできる医者は少ないように思います。患者と寄り添い、一緒に悩みながら、最後までしっかり見守ってくれる医者こそ、本来のあるべき医者の姿です。私が医学部の学長か大学病院の院長だったら、臨床医の指導医として長尾先生を客員教授にお迎えしたいところです。これからの医者を長尾先生に育ててもらいたいと、しつこくずっと思っております。世のため人のため長尾先生長生きして下さいませ。

Posted by 遠い声 at 2020年10月06日 10:56 | 返信

先生、お疲れ様です。
ご批判を、とのことですが先生の命への向き合い方や生きることへの深い思いに共感する者です。
人工透析を拒否して50代で亡くなっていった方。自己決定支援がなされなかったのか、人工呼吸器をつけて周囲の人間を
まるで呪うような態度で亡くなっていったALSの方、、、。たくさんの痛い終末期の看護しか提供できなかった私です。
父を在宅で看取りました。左側の脳梗塞、食べることも話すこともできぬまま、2年胃瘻からの強制栄養で生きてくれました。
美味しい物を食べられなくなったら自然にと考えていた私は「口から食べられるだけにして、家で看取ってあげたい。」と妹に言いました。妹は「お父ちゃんを餓死させるのか!?」と言い、尊厳死はできませんでした。けれど、妹は餓死させなくて良かったと思っています。私が、自然をごり押ししたら、きっと妹は傷ついたでしょう。ただ、最期は吐血でした。注入食を入れると辛そうにしていました。消化吸収能力が限界だったのでしょう。減らしてやれば良かったと、私は後悔しています。看護師なのに、気付いてやれなかった。辛い思いをさせてしまいました。
きっと、この問題に正解はないのでしょう。それぞれにそれぞれの正解があるのでしょうね。ただ生きることを大事にできる、そんな人間でいたいと思います。

Posted by ルナース at 2020年10月07日 05:44 | 返信

なるほど

ノバから広島の赤牛への返信 at 2020年10月07日 10:40 | 返信

医療の進歩は有難い事でもありますが、同時にそれが無かった
時代には生まれなかった苦しみがつきまとうものだなと思います。
人類の作ったカルマ。

先生の仰るとおり、最後をどうしたいのかなど、人生会議とリビングウィル
または、エンディングノートを記すことは必要だと思います。それは、
周りの人への愛でもあると思います。延命するかしないかは本人が決めるべきだと思います。

私はシンプルに考えてます。自殺も安楽死も自らの命を縮めようとする心があります。件の事件はご本人は自殺を望み、他者の命を縮めることは殺人です。
緩和は受けても延命をせずに、自然に逝くことを尊厳死だと思っています。緩和は必要です。肉体が辛いと、心も引きずられますから。

毎日みんな死に向かってます。明日突然亡くなるかもしれません。
人生あっという間だと思えば、私は辛くても生ききった方がいいと思います。
私は目に見えない世界があると思っているので、お墓参りも行き、故人に話しかけたりもします。初詣も行きます。死んで肉体を捨てても、無にならないので死に逃げはできないと思ってます。人は自らの望んでこの世に生まれてきたと思っているので、自殺はあちらで悔やむと思います。また同じく人生のやり直しが待ってます。
永遠に続く苦しみはないので、ぶざまな姿となって心が苦しくなっても最後の一滴まで生ききれる自分でありたいと思います。

全く別な視点で、そもそも、何故近年こんなにアレルギー、不妊症
癌、精神疾患、神経の病気などが増えたのか疑問で調べています。
色々原因はあるでしょう。しかし、毎日私たちが食べているもの
も原因の一つだと感じます。政府は3年前だったか、輸入小麦や
蕎麦の残留農薬基準値を大幅に緩和しました。何百倍です。他にも。
輸入小麦は収穫前と後にラウンドアップを撒いてます。
日本は世界で1、2を争う農薬使用国です。添加物規制も甘いです。
病気で苦しむ前に、食を見直した方がよいと思います。

Posted by ポトス at 2020年10月09日 03:05 | 返信

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